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歴史はなぜ繰り返すのか  対称年表と近代70年サイクル・No.
(文中敬称略)
開設    2006(平成18)年11月4日
(この間省略)
更新    2010(平成22)年2月20日
更新    2010(平成22)年5月9日
更新    2010(平成22)年11月7・14・21日
更新    2011(平成23)年10月10・16日
更新    2011(平成23)年12月24日
更新    2012(平成24)年3月11日
最新更新 2012(平成24)年11月8日

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No. 8
対称年表 1918-1929/1989-2001
対称年表 1929-1935/2001-2007
対称年表・参考文献


対称年表と近代70年サイクル 4 目次
 第1部 対称年表・1919〜1935と1989〜2007
▼浜口内閣と小泉内閣・その1(1929年〜1931年=2001年〜2004年)
▼アメリカの繁栄(1925年〜1929年=1995年〜2001年)
▼Uターン地点としての米同時テロ(1929年=2001年)
▼最大の相違点―恐慌発生せず

歴史はなぜ繰り返すのか  対称年表と近代70年サイクル・No.3に戻る
▼浜口内閣と小泉内閣・その1(1929年〜1931年=2001年〜2006年)
 宮尾攻氏は「七十年の時を経て蘇る浜口雄幸の亡霊」(「文芸春秋」2001年10月号緊急増刊号)において、浜口雄幸内閣小泉純一郎内閣について、


「この2つの政権は、70年間という歳月の隔たりを越えて類似していた」


 と指摘している。
 読売新聞(2001年9月13日)の「似ている『70年前』」でも、浜口内閣と小泉内閣について類似点が指摘されている。
 「昭和恐慌と平成恐慌 庶民と指導者の深層心理」(「週刊東洋経済」2001年11月5日号臨時増刊号)でも、浜口内閣と小泉内閣について類似点が指摘されている。
 松本和男『2003年日米恐慌』(中公新書ラクレ、2001)でも、


「小泉内閣の経済政策『聖域無き構造改革』も戦前、昭和恐慌時に浜口内閣が行ったのと同じ徹底したデフレ政策だ」(111頁)
 

と指摘されている。
 金子勝『長期停滞』ちくま新書、2002、60-62頁でも、浜口内閣と小泉内閣について類似点が指摘されている。
 田中秀臣・安達誠司『平成大停滞と昭和恐慌』(NHK出版、2003)には、


『昭和恐慌当時と現在の経済論戦を比較してみると、まさに経済論争の「パラレル・ライフ」が発生したような気分になる』(113頁)
『昭和恐慌によるデフレも、その発端は浜口雄幸首相や井上凖之助蔵相による「財界整理」政策にあった。(中略)浜口首相や井上蔵相にとっては、第一次世界大戦による特需によって水膨れした「バブル」の後始末、関東大震災や昭和金融恐慌によって累積した不良債権の処理、膨大な財政赤字の削減などが、金本位制復帰の「グローバルスタンダード」という悲願達成のための必要条件であった。つまり彼らは、「世界標準」を達成するためには「痛みをともなう改革」が必要であると考えていたのだ。これはまさに「小泉改革路線」そのものである。また、同時に規制緩和や減税の必要性が論争の対象となっている点も同様である』(114頁)


 とある。
 2人の具体的な共通点と、その末路については、No.5の「▼浜口内閣と小泉内閣・その2」で後述したい。
▼アメリカの繁栄(1925年〜1929年=1995年〜2001年)
 冷戦終結前後のアメリカは、不況に喘いでいた。
 水野隆徳『世界恐慌への跫音』(東洋経済新報社、1999)62頁、箭内昇『メガバンクの誤算』(中公新書、2002)48頁の記述によれば、アメリカでは1990年2月頃から第2次銀行危機が発生し、シティコープ(現シティバンク)などは倒産の危機にさらされていたのである。
 日米貿易摩擦も激化、深刻化していた。訪日したブッシュ(父)大統領が、皇居の宮中晩餐会で倒れてしまったのは1992年1月9日のことである。
 この不況は、ブッシュ(父)大統領の再選を阻んだ決定的要因となったようである。
 皮肉なことに、ビル・クリントンが、「問題は経済だよ、馬鹿」とブッシュを批判して、1992年11月に大統領に当選した後、アメリカ経済は次第に立ち直り、好景気が始まっていったのである。
 アメリカが変貌した理由は、どこにあるのだろうか。1990年代の株価の高騰の要因は、既にいくつも挙げられているが、まず筆頭がIT革命だろう。
 有森隆『ネットバブル』(文春新書、2000)には、


「95年夏。IT景気の幕を開く象徴的な出来事が起こった。1995年8月9日、ネットスケープがナスダックでIPO《管理人注、株式新規公開時の公募増資》した。
 (中略)
 同じ年の夏《管理人注、英語版は8月24日発売》、マイクロソフトの基本ソフトの新製品『Windows95』が空前の騒ぎを引き起こしていた」(166頁)


とある。
 ウインドウズOSを供給するマイクロソフトと、CPUを供給するインテルの、いわゆる“ウインテル”連合のパーソナル・コンピューターが世界を制覇したのである。
 マイクロソフト、インテルの他にも、サンマイクロシステムズ、シスコシステムズ、オラクル、Yahooなどのコンピューター企業の急成長は、これらが株式を公開しているナスダック総合指数に大きな影響をもたらし、“インターネットバブル”とまで呼ばれるようになり、ナスダック指数をダウ以上に急激に上昇させたのである。
 ちなみにナスダック(NASDAQ、「全米証券業協会自動相場報道システム」の略)は、全米証券業協会(NASD)が1971年2月に設立したアメリカの店頭市場であり、かつ世界で初めて電子化された証券市場である(フィスコ監修、ダイヤモンド社編・著『[図解]わかる!ナスダック』ダイヤモンド社、2000より)。
 1995年7月17日、ナスダックは史上初めて1000ポイントの大台に到達した。この指数はナスダックが発足した1971年2月8日を100ポイントとするものなので、24年間で10倍になったことになる。
 3年後の1998年7月16日には2000ポイント、1年4か月後の1999年11月3日には3000ポイント、2か月後の1999年12月29日には4000ポイント台に到達したのである。 
表4-1   ナスダックの推移(2000年3月まで)
大台突入(終値で、1000ポイント刻み) 月日 大台達成に必要だった年月 特記事項
1000P(ポイント)台到達 1995年 7月17日
2000P台到達 1998年 7月16日 3年
3000P台到達 1999年 11月3日 1年4か月
4000P台到達 12月29日 2か月
5000P台到達 2000年 3月9日 3か月
5048.62P 3月10日 終値での史上最高値
以下、表4-7に続く
 ナスダックの上昇の推移をグラフでご覧になりたい方は、こちらのリンク先をご覧になるとよいだろう。

 理由のもう1つは、1995年1月に米財務長官に就任したロバート・ルービンが取った“強いドル政策”にあるだろう(三國陽夫『黒字亡国』文春新書、2005、114-115頁、129頁)。
 ルービンの就任直後の1995年4月、円ドル相場は1ドル=79円75銭の戦後最高値に達している。
 アメリカは財政赤字を続けている。しかしアメリカはこれを全く心配していない。いざとなれば円を切り上げればいいためで、そうすれば対日債務はいくらでも減価させることができるためだ(同著43頁)。
 外貨準備高の大半をドルで保有している日本は、ドルが暴落してしまえば、保有しているドルが目減りしてしまう。それを避けるためにはドル買介入を行って、円安ドル高にし続けなければならないことになる(同著44頁)。
 ドル為替本位制では、日本がドルを買い支える限り、ドルを財政赤字の支払いに使うアメリカのみが突出した赤字を出しても成長できる。かくして、責任を負うのは消費し輸入し続ける赤字国(アメリカ)ではなく、生産し輸出し続ける黒字国(日本)という逆転現象が起こったのである(同著67頁)。

 ニューヨーク証券取引所(NYSE)は、アメリカを代表する株式市場で、世界恐慌を引き起こした1929年の株価暴落、また1987年のブラック・マンデーの舞台にもなった。
 NYSEで取引されるダウは、正式には「ダウ・ジョーンズ工業株30種平均株価」と言い、ウォール・ストリート・ジャーナルの発行元でもあるダウ・ジョーンズ社が毎日発表する(修正)株価で、NYSEを代表する株価指数である。
表4-2   ニューヨーク・ダウの推移(2001年同時多発テロまで)
大台突入(終値で、1000ドル刻み)
その他の節目の株価
重要な出来事(●印で示す)
月日 大台の達成に必要だった年月 特記事項
1000ドル台突入  1972年 11月14日(火)
2000ドル台突入 1987年 1月8日(木) 14年10ヶ月
アラン・グリーンスパン、FRB議長に就任 8月11日(火)
2722ドル42セント 8月25日(火) ブラックマンデー前の最高値
ブラックマンデー 10月19日(月)
●ブッシュ(父)大統領当選 1988年 11月8日(火)
2734ドル64セント 1989年 8月25日(木) ブラックマンデー前の最高値更新
●米ソ冷戦終結 12月3日(日)
●米、第2次銀行危機 1990年 2月
●湾岸危機・湾岸戦争 8月〜91年2月
3000ドル台突入 1991年 4月17日(水) 4年3ヶ月
●クリントン大統領当選 1992年 11月3日(火)
4000ドル台突入 1995年 2月24日(金) 3年10ヶ月
5000ドル台突入 11月21日(火) 9ヶ月
6000ドル台突入 1996年 10月14日(月) 11ヶ月
●クリントン大統領再選 11月5日(火)
●グリーンスパンFRB議長、「根拠なき熱狂」発言 12月5日(木)
7000ドル台突入 1997年 2月13日(木) 4ヶ月
8000ドル台突入 7月16日(水) 5ヶ月
●グリーンスパンFRB議長、「今の繁栄は100年に1度か2度の現象」と発言 7月
アジア通貨危機 7月〜
9000ドル台突入 1998年 4月6日(月) 9ヶ月
ロシア通貨危機 8月下旬〜
10000ドル台突入 1999年 3月29日(月) 12ヶ月
11000ドル台突入 5月3日(月) 1ヶ月
11722ドル98セント 2000年 1月14日(金) 終値での史上最高値
9796ドル03セント 3月7日(火) 戻り安値
11221ドル93セント 4月3日(月) 戻り高値
●大統領選挙。ブッシュ(子)とゴアがフロリダ州で大接戦 11月7日(火)
●ブッシュ(子)大統領当選確定 12月13日(水)
 上の表を見ればお分かり頂けると思うが、前回の大台達成(4000ドル台突入)からわずか1年未満で5000ドル台に突入した95年ごろから、ダウの上昇のペースが著しく早くなっている。いかにインフレーションの進展を考慮したとしても、急騰と言っていいだろう。その後は1年どころか半年未満で1000ドル単位の大台を更新し続け、11722ドルの史上最高値まで駆け上がっていったのである。
 1995年から2001年までの間、株価が急落した危機は2度あった。いずれも前述したが、1度目が1997年10月、アジア通貨危機を受けた株の急落である。10月27日(月)、ダウは554ドル26セント下落した。下落率は7.2%に達した。
 2度目が1998年8月、ロシア通貨危機を受けた株の急落である。8月31日(同じく月曜日)、ダウは512ドル61セント下落した。下落率は6.4%だった。
 しかし、表を見れば分かるように、いずれのケースも株価上昇の致命傷にはなっておらず、ダウはその後も上昇を続けた。

 No.3の「▼金融恐慌と平成金融危機」の項で前述したように、“平成金融危機”のため、日経平均株価は下値の抵抗線だった14000円台を突き抜けてしまい、1998(平成10)年10月9日、バブル崩壊後3番底となる12879円97銭を付けてようやく底を打った。
 その後、小渕政権の景気刺激政策が功を奏したのか、はたまたアメリカのダウやナスダックに引きずられたのか、日本の株価も反発していった。
 吉川元忠『経済敗走』(ちくま新書、2004)には、


『小淵内閣は九八年十一月に緊急経済対策として二四兆円、九九年の十一月にも経済対策として一八兆円の財政出動を行なっている。この補正だけでも計42兆円で、当初予算も含めてかれこれ一〇〇兆円近くをつぎ込んでいる。宮沢蔵相は「初回からハマの大魔神(横浜ベイスターズの抑えの切り札、佐々木投手のこと)が登板した」と表現していたが、要するに、その後に出す物はないということだった』(170-171頁)


 とある。
 やがて、日本でも森政権によって「IT革命」が叫ばれ、御当地であるアメリカより規模は小さいながらもITバブルが現出することとなった。この日本のITバブルの顛末については、有森隆『ネットバブル』(文春新書、2000)が詳しい。

表4-3   1998〜2000年、日経平均株価の推移と、関連の動き(表3-9からの続き)
1998(平成10)年 6月8日(金) 円ドル相場、1ドル=140円73銭に(円安の底値)
7月12日(日) 参議院選挙で自民党敗北。橋本首相辞意表明
7月30日(木) 小淵恵三内閣成立(第84代首相)
10月9日(金) 日経平均終値、12879円97銭(バブル崩壊後3番底)
10月16日(金) 金融再生関連法案が参議院で可決
10月23日(金) 政府、長銀(日本長期信用銀行)に戦後初の国有化を適用
12月13日(日) 政府、日債銀(日本債券長期信用銀行)を国有化
1999(平成11)年 3月3日(水) 日銀、短期金融市場の金利をゼロに(ゼロ金利政策)
8月20日(金) 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行、将来の持ち株会社設立と事業統合を発表
2000(平成12)年 1月14日(金) ニューヨーク・ダウ終値、11722ドル98セント(終値での史上最高値)
3月10日(金) ナスダック終値、5048.62P(ポイント)(終値での史上最高値)
4月1日(土) 自自公連立政権から自由党が離脱。自由党は分裂し政権残留議員は保守党を結成
4月2日(日)  深夜、小淵首相緊急入院
4月5日(水) 森喜郎内閣発足(第85代首相)
4月12日(水) 日経平均終値、20833円21銭(1998年10月9日の3番底以降の反発の最高値)
以下、表4-9に続く

 では、同時期のアメリカの金利の推移はどのようなものだったのだろうか。
 アメリカの金利(公定歩合とFF…フェデラル・ファンド…金利)は、連邦準備制度理事会(FRB、Federal Reserve Board)の理事らが参加する、年8回(基本的に6週間毎の火曜日に)開催される連邦公開市場委員会(FOMC、Federal Open Market Committee)にて決定される。
表4-4   アメリカの金利の推移(1987年〜2000年5月まで)
月日 公定歩合 FF金利 金融政策、その他特記事項
1987年 9月4日(金) 6.0% 変化なし
1988年 8月24日(火) 6.5% 変化なし
1989年 2月24日(金) 7.0% 変化なし
1990年 12月18日(火) 6.5% 変化なし
1991年 2月1日(金) 6.0% 変化なし
4月30日(火) 5.5% 変化なし
9月13日(金) 5.0% 5.25%
10月30日(水) 変化なし 5.0%
11月6日(水) 4.5% 不明
12月20日(金) 3.5% 4.0%
1992年 7月2日(木) 3.0% 変化なし ?(★公定歩合の底値)
9月4日(金) 変化なし 3.0%
1994年 2月4日(金) 変化なし 3.25%
5月17日(火) 3.5% 変化なし
11月15日(火) 4.75% 5.5%
1995年 2月1日(水) 5.25% 6.0%
7月6日(木) 変化なし 5.75%
12月19日(火) 変化なし 5.5%
1996年 1月31日(水) 5.0% 5.5%
1998年 9月30日(火) 変化なし 5.25% 中立
10月15日(木) 4.75% 5.0% 中立
11月18日(水) 4.5% 4.75% 中立
1999年 5月18日(火) 変化なし 変化なし 引き締め
6月30日(水) 変化なし 5.0% 中立
8月24日(火) 4.75% 5.25% 中立
11月16日(火) 5.0% 5.5% 中立
2000年 2月2日(水) 5.75% 5.75% 中立
3月22日(水) 5.5% 6.0% 中立
5月16日(火) 6.0% 6.5% 中立
以下、表4-8に続く
 日本経済新聞社編『検証バブル 犯意なき過ち』(日経ビジネス人文庫、2001)には、


「グリーンスパンFRB議長は1989年半ば、バブルが崩壊すると直ちに金融緩和に転じた。公定歩合やフェデラルファンド金利の下げは二十回以上に及んだ。急速にしぼむ風船に空気を補充し、バブル崩壊のショックを少しでも和らげようとしたのだ」(117頁)


 とある。
 吉川元忠『情報エコノミー』(文春新書、2001)には、


「グリーンスパンのFRBの金融政策はどういうものだったのであろうか。
 公定歩合の動きとしては、91年から92年にかけ、景気テコ入れのため相次いで利下げを3%にまでした。94年からは修正に入り、95年には5.25%にまでなった。98年秋にロシア通貨危機
(※管理人註、1998年8月)、ヘッジファンドのLTCM破綻(※管理人註、1998年9月)への対応として緊急利下げを行った。この修正が99年から始まり、2000年後半は6.0%で推移した。その後は株式市場対策として後述のように2000年暮れから2001年に入って、相次ぐ利下げを行っている」(153頁)


とある。
 金子勝『経済大転換』(ちくま新書、2003)には、


「1980年代後半以降におけるアメリカ経済の景気循環の変化を振り返ってみよう。それは、資産バブルの交代を演出する歴史であった。アメリカ経済は、住宅バブルが崩れれば株バブルに乗り換え、株バブルが弾ければ住宅市場をバブルにするというように、資産バブルをつなぎながらもってきた。そしてグリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長による巧みな金融政策が、この綱渡りを成功させてきた。それが『グリーンスパン神話』と呼ばれたのである」(33頁)


とある。

 では、対称されるべき1929年の世界恐慌発生前のアメリカは、どのような状況だったのだろうか。
 第一次大戦終結直後のアメリカは、現代の米ソ冷戦終結直後がそうであったように、不況に見舞われていた。
 アメリカは1919年末の金本位制復帰を目指していたため、金融の引き締めを実施したが、これが“1920年恐慌”を発生させてしまい、株価と物価が暴落、生産活動が縮小し輸出が減少してしまったのである。
 しかし1923年から景気は回復し、以降1929年まで、アメリカは怒涛の20年代(ローリング・トゥエンティーズ)と呼ばれる繁栄を謳歌することとなった(以上、侘美光彦『「大恐慌型」不況』講談社、1998、208頁、山田伸二『世界同時デフレ』東洋経済新報社、1998、70頁より)。
 繁栄の具体的な様子は、F・L・アレン『オンリー・イエスタデイ』(ちくま文庫、1993)でも描写されている。株価や土地の高騰もあるが、史上初めて世界に現れた、大量消費生活という点でも注目されよう。
 アメリカの繁栄は、株価の高騰の前に、まず不動産の高騰となって現れた。特に注目されたのは、温暖なリゾート地であるフロリダである。
 『オンリー・イエスタデイ』370〜374頁には、フロリダの土地価格が1926年には暴落したとある。しかし株価はその後も上昇を続けた。
表4-5   ニューヨーク・ダウの推移(1919年〜1929年)         
ロバート・ソーベル『大恐慌前夜』(徳間書店、1987)、浅井隆『日本発世界大恐慌はやってくるか』(第二海援隊、1998)、山田伸二『世界同時デフレ』(東洋経済新報社、1998)秋元英一『世界大恐慌』(講談社選書メチエ、1999)エドワード・チャンセラー、山岡洋一・訳『バブルの歴史 チューリップ恐慌からインターネット投機へ』(日経BP社、2000)、林どりあん『歴史が教える相場の道理』(日経ビジネス人文庫、2001)より作成
月日 ダウの終値 特記事項
1919年 11月(日付不明) FRB、公定歩合を4%から4.75%に利上げ
11月(日付不明) 119ドル62セント
1920年 2月(日付不明) FRB、公定歩合を4.75%から5%に利上げ
3月(日付不明) FRB、公定歩合を5%から5.25%に利上げ
不明 FRB、公定歩合を5.25%から?%に利上げ
不明 FRB、公定歩合を?%から7%に利上げ
5月9日 FRB、公定歩合を7%から?%に利下げ
11月3日 FRB、公定歩合を?%から4.5%に利下げ
1921年 8月(日付不明) 63ドル90セント
1924年 5月(日付不明) FRB、公定歩合を4.5%から?%に利下げ
8月(日付不明) FRB、公定歩合を?%から3%に利下げ
1925年 不明 FRB、公定歩合を3%から3.5%に利上げ
不明 FRB、公定歩合を3.5%から4%に利上げ
1926年 2月(日付不明) 1924年9月からこの時点までの間に、ダウ平均は37%上昇
1927年 不明 200ドル台突破
FRB、公定歩合を3.5%に利下げ
1928年 2月(日付不明) FRB、公定歩合を3.5%から4%に利上げ
5月(日付不明) FRB、公定歩合を4%から4.5%に利上げ
7月(日付不明) FRB、公定歩合を4.5%から5%に利上げ
年末 300ドル台突破
1929年 6月7日 ヤング案発表、ドイツの第1次大戦債務を減額
6月末 333ドル
7月末 347ドル
8月9日 FRB、公定歩合を5%から6%に利上げ
8月末 380ドル
9月3日 381ドル17セント 史上最高値
 一方、90年代後半のアメリカでは、景気の好調が持続したため、“ニュー・エコノミー論”が言われるようになった。
 ニュー・エコノミー論とは、アメリカの長期にわたった好況は、もはやコンドラチェフなどの景気循環とは無縁のものになったというものである(以上、吉川元忠『情報エコノミー』文春新書、2001、140〜170頁、188〜200頁、東谷暁『エコノミストは信用できるか』文春新書、2003、140〜166頁より)(コンドラチェフなどの景気循環論についてはNo.6で後述する)。
  また、『情報エコノミー』141頁によれば、ニュー・エコノミー論とは要約すると、1経済の拡大、2労働生産性の上昇、3物価の安定、の三本柱が、半永久的に続くとするものだと言う。

 ダウは2000年1月14日、11722ドル98セントの史上最高値に達した。ナスダックは、ダウよりも2か月遅れて3月10日、史上最高値の5048.62ポイントを付けた。
 ナスダックより更に2か月遅れて、公定歩合とFF金利が最高水準に達した。
表4-6     ダウ、ナスダック、金利の最高水準
2000年 1月14日(金) 11722ドル98セント(ダウの終値での史上最高値)
3月10日(金) 5048.62P(ナスダックの終値での史上最高値)
5月16日(火) 公定歩合とFF金利は各0.5%引き上げて各6.0%、6.5%に(各金利の最高値)
 そして、まずナスダックが先に、史上最高値の翌日から暴落していったのである。
表4-7     ナスダックの推移(表4-1の続き。2000年3月から2001年同時多発テロ直前まで)
月日 終値 特記事項
2000年 3月10日(金) 5048.62P(ポイント) 終値での史上最高値
3月13日(月) 4907.24P ▼141.38P、下げ幅史上5位
3月14日(火) 4706.63P ▼200.61P、下げ幅史上2位
4月3日(月)  4223.68P ▼349.15P、下げ幅史上最大
4月12日(水) 3769.63P ▼286.27P、下げ幅史上2位。2000年1月31日以来終値で4000P割れ。史上最高値からの下落率25%強
4月14日(金) 3321.29P  ▼355.49P、下げ幅史上最大(下落率−9.67%)史上最高値からの下落率34.2%
9月1日(金) 4234.33P 戻り高値
2001年 4月4日(水) 1639.80P 同時テロ以前の最安値
5月22日(火) 2313.85P 戻り高値
以下、表4-13に続く
 表4-5を見れば分かるように、1929年のケースでは、公定歩合が6%に達した3ヶ月後にダウは暴落してしまい、世界恐慌がはじまっている。
 一方2000年においては、表4-4・4-6のように、2000年5月に公定歩合が6%に達した。そもそもナスダックは5月の最後の利上げの前、3〜4月に暴落してしまっていたが、ダウは暴落しなかった。
 利上げ政策から利下げ政策への転換は、ナスダックが暴落してもすぐには行われず、2001年1月まで待たれた。これはなぜか。恐らく、2000年はアメリカ大統領選挙の年だったため、中立性を保つために金利の引き上げ・引き下げとも見送られたからだと思われる。2000年11月の本選挙の終了後(特に本年はブッシュとゴアが接戦したため決着が12月まで長引いた)の2001年1月から、金利が段階的に引き下げられることになったのだろう。
 表4-8の通り、2001年1月から、2001年9月の同時多発テロ発生までの間に、公定歩合は6%から3%に、FF金利は6.5%から3.5%にと、半分まで引き下げられたのである。
表4-8   アメリカの金利の推移(表4-4の続き。2000年5月から2001年同時多発テロ直前まで)
月日 公定歩合 FF金利 金融政策
2000年 5月16日(火) 6.0% 6.5% 中立
6月27日(火) 変化なし 変化なし インフレ警戒型
8月22日(火) 変化なし 変化なし インフレ警戒型
10月3日(火) 変化なし 変化なし インフレ警戒型
11月7日(火) アメリカ大統領選挙。ブッシュとゴアがフロリダ州で大接戦
11月15日(水) 変化なし 変化なし インフレ警戒型
12月13日(水) ゴアが敗北宣言。ブッシュ勝利宣言
12月19日(火) 変化なし 変化なし 景気配慮型
2001年 1月3日(水) 5.75% 6.0% 景気配慮型
1月4日(木) 5.5% 変化なし 景気配慮型
1月31日(水) 5.0% 5.5% 景気配慮型
3月20日(火) 4.5% 5.0% 景気配慮型
4月18日(水) 4.0% 4.5% 景気配慮型
5月15日(火) 3.5% 3.5% 景気配慮型
6月27日(水) 3.25% 3.75% 景気配慮型
8月21日(火) 3.0% 3.5% 景気配慮型
以下、表4-14に続く

 ナスダックの急騰に追随するような形で反騰してきた日経平均も、ナスダック暴落の結果、後を追うような形で急落することとなった。

表4-9  日経平均株価の推移と、関連の動き(2000〜2003年)(表4-3の続き)
2000(平成12)年 3月10日(金) ナスダック終値、5048.62P(終値での史上最高値)
4月1日(土) 自自公連立政権から自由党が離脱。自由党は分裂、連立政権残留議員は保守党を結成
4月3日(月)  2日深夜、小淵首相緊急入院の発表
4月5日(水) 森喜郎内閣発足(第85代首相)
4月12日(水) 日経平均終値、20833円21銭(1998年10月9日の3番底以降の反発の最高値)
4月14日(金) ナスダック終値、3321.29P。史上最高値からの下落率34.2%
4月17日(月) 日経平均終値、19008円64銭(▼1426円04銭)下落幅史上5位、下落率▼6.98%
4月24日(月) 日経平均225、30銘柄の入れ換えを実施
5月11日(木) 日経平均終値、16882円46銭(▼819円01銭)。この日までの4日間で1556円09銭下落
5月22日(月) 日経平均終値、16386円01銭(▼472円16銭)
9月29日 みずほホールディングス設立
2001(平成13)年 4月26日(木) 小泉純一郎内閣発足(第87代首相)
日経平均終値、13973円03銭
9月11日(火) 同時多発テロ事件発生
9月12日(水) 日経平均終値、9610円10銭(▼682円85銭)下落幅史上8位、下落率▼6.63%。9・11事件発生により1971年8月以来通常の値幅制限を2分の1に縮小。1984年8月1日以来終値で10000円台割れ、終値でバブル後の最安値を更新
2002(平成14)年 2月6日(水) 日経平均終値、9420円85銭(▼54円75銭)バブル崩壊後の最安値
5月23日(木) 日経平均終値、11979円85銭(△17円87銭)テロ攻撃後の戻り高値
10月3日(木) 8936円43銭(▼112円90銭)1983年8月以来9000円台割れ、バブル後の最安値更新
10月10日(木) 日経平均終値、8439円62銭(▼99円72銭)バブル後の最安値更新
2003(平成15)年 3月11日(火) TOPIX、770.62ポイント(バブル崩壊後の最安値)
4月28日(月) 日経平均終値、7607円88銭(バブル崩壊後の最安値。史上最高値・1989年12月29日からの下落率▼80.45%)
6月11日(水) 長期金利、史上最低の0.43%を記録
以下、表5-9に続く

 No.5でも後述するが、日経平均株価は2003年4月28日、バブル崩壊後の最安値である7607円88銭を付けた。小泉純一郎の首相就任日(2001年4月26日)の終値は13973円03銭だったので、さらにその半分に下落してしまったことになる。



過去の日経平均の推移が気になった方々は、日本経済新聞社の公式サイトである日経平均プロフィールも御覧頂きたい。1949年5月16日に東京証券取引所が戦後初めて取引を再開して以降、現在までの日経平均株価の終値を検索出来る。



 一方、ダウはナスダックの暴落に引きずられる事なく、上限を11000ドル、下限を9000ドルとするボックス圏相場を1年近く続けた。
 この状態を一時的にせよ突き崩したのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロだった。

▼Uターン地点としての米同時多発テロ(1929年=2001年)
 1929年10月のニューヨーク株式市場の大暴落は、1919年の第1次大戦終戦から10年、1939年の第2次大戦開戦までも10年であり、戦間期の中間地点、折り返し地点、Uターン地点だったと言える。
 対称年表1989-2001を見ると、第2次世界恐慌は2000年11月ころに発生しているはずだったのだと思われるのだが、約1年ほど遅れて来たようである。
 これはなぜか。
 恐らく、本来対称されるべきはずの2000年にアメリカ大統領選挙があったので、後回しにされたからだと思われる。
 一体どういうことなのか説明すると、先んじている1929年の歴史は、アメリカで共和党の新大統領(フーバー)が当選(1928年11月)→日本に改革を標榜する首相(浜口雄幸)が就任(1929年7月)→ニューヨーク株式市場が暴落(10月)という経緯を辿った。
 2001年における歴史も、アメリカで共和党の新大統領(ブッシュ)が当選(2000年11月)→日本に改革を標榜する首相(小泉純一郎)が就任(2001年4月)→同時多発テロ(9月)という経緯を辿った。
 No.1に掲載した表に追加した、下の表をご覧になるとわかりやすいだろう。


表4-10           第2次大戦前と現代の大まかな対称年表(表1-1に追加して再掲)
共通する出来事 第2次大戦前  現代
日本のバブルの開始 1916年  大戦ブーム 1985年  プラザ合意
世界システムの一変 1919年  第1次大戦終結 1989年  米ソ冷戦終結
日本のバブル崩壊 1920年  反動恐慌 1990年  東京市場下落
日本の大震災  1923年  関東大震災 1995年  阪神大震災
日本の経済危機 1927年  金融恐慌 1997年  平成金融危機
アメリカで共和党の新大統領が当選 1928年11月  フーバー当選 2000年11月  ブッシュ当選
日本に改革を標榜する首相が就任 1929年7月  浜口雄幸就任 2001年4月  小泉純一郎就任
再び世界システムの一変 1929年10月  NY株暴落  2001年9月  米同時多発テロ
世界大戦への序曲 1931年  満州事変 2003年  イラク戦争
 ものの見事に相似しているのである。恐るべき歴史である。
 わたくし(管理人)は、このホームページ上において、歴史はこういうふうに対称されているぞ、という“結果”ならば、以上のように列挙出来るのだが、では一体なぜこうなるのかという“理由”は、明確に説明することができないままでいる。

 もし2001年9月に同時多発テロが起きなければ、2001年10月に第2次世界恐慌が発生していたのだろうか?
 かくして基準がずれてしまったので、1918年11月=1989年12月をスタート地点として設定していた基準点を、1929年10月=2001年9月に変更すべきであると考え、No.1の冒頭に掲載した年表(表1-5)の続きを、新しい基準点に変更した上で掲載した。

表4-11   対称年表・1929-1935/2001-2007(No.1の表1-5の続き)
★印を付け、なおかつ「第1次大戦終結後の世界」と「米ソ冷戦終結後の世界」の双方で同じ色を使用している出来事は、双方が対称可能な出来事であることを示している(色は、対称可能な出来事の時系列順に、を交互に繰り返し使用している)。
第1次大戦終結後の世界(1929〜1935) 米ソ冷戦終結後の世界(2001〜2007)




出来事



出来事
1929(昭和4)年 10月



(民

党)
★ニューヨーク株式市場大暴落、世界大恐慌はじまる 2001(平成13)年 9月




(自

党)
★米同時多発テロ(9・11事件)
11月 10月 米、アフガニスタンに報復攻撃開始
12月 11月
1930(昭和5)年 1月 12月 アフガニスタンのタリバン政権崩壊
2月 2002(平成14)年 1月 ブッシュ米大統領、イラク・イラン・北朝鮮に対し「悪の枢軸」発言
3月 2月
4月 3月
5月 4月
6月 5月
7月 6月 サッカーワールドカップ日韓共同開催
8月 7月
9月 独総選挙、ナチ党が第2党に進出 8月
10月 9月 小泉首相初の訪朝、初の日朝首脳会談、拉致被害者の消息判明
11月 浜口首相狙撃、重傷
北伊豆地震
10月 米ダウ・ナスダック、同時多発テロ後の最安値を付ける
12月 11月
1931(昭和6)年 1月 12月
2月 2003(平成15)年 1月
3月 2月
4月




(民

党)
第2次若槻礼次郎内閣成立(第28代首相) 3月 ★米英軍、イラク攻撃開始(イラク戦争開戦)
5月 4月 日経平均7607円(バブル崩壊後の最安値)
6月 米、独の第1次大戦賠償を延期するフーバー・モラトリアム提案 5月 ブッシュ大統領、イラクでの戦闘終結宣言
7月 独、銀行恐慌はじまる 6月
8月 浜口雄幸死去 7月
9月 ★柳条湖事件。満州事変はじまる 8月
10月 9月 十勝沖地震
11月 勧銀指数最安値 10月
12月


(政

会)
犬養穀内閣成立(第29代首相) 11月 衆議院総選挙。自民党が勝利
1932(昭和7)年 1月 第1次上海事変勃発 12月 第2次小泉内閣成立(第88代首相)
2月 井上准之助元蔵相暗殺 2004(平成16)年 1月
3月 2月 陸上自衛隊、イラク・サマワに派遣
4月 満州国建国宣言 3月 ロシア大統領選挙。プーチン再選
5月 5・15事件、犬養首相暗殺 4月



(海
軍)
斉藤実内閣成立(第30代首相)
6月 ローザンヌ会議 5月 小泉首相2度目の訪朝、拉致被害者の子供帰国
7月 NYダウ、世界恐慌後の最安値(41ドル22セント)を付ける
英連邦、オタワ会議。ブロック経済形成
独、総選挙。ナチス党が第1党進出
6月 イラク、米から暫定政府に主権委譲
8月 7月
9月 日満議定書調印 8月 アテネオリンピック開催
10月 9月
11月 ★米大統領選、F・D・ルーズベルト(民主党)が当選 10月 ★新潟県中越地震
12月 11月 ★米大統領選。ブッシュ(子)が再選
1933(昭和8)年 1月 独、アドルフ・ヒトラー内閣成立 12月
2月 2005(平成17)年 1月
3月 ★三陸沖地震
米、ルーズベルト大統領就任(在任〜45、3)
米、全銀行閉店(バンク・ホリデー)
日本、国際連盟脱退
2月
4月 3月
5月 塘沽停戦協定調印。満州事変終結 4月 中国の北京・上海などで大規模な反日デモ発生
6月 5月
7月 6月
8月 7月
9月 8月
10月 独逸、国際連盟脱退 9月 郵政民営化法案の賛否を問う衆議院総選挙。自民党圧勝
11月 10月 第3次小泉内閣成立(第89代首相)
12月 米、禁酒法を撤廃 11月 ドイツ、初の女性首相アンゲラ・メルケル就任(在任〜現在)
1934(昭和9)年 1月 12月
2月 2006(平成18)年 1月 堀江貴文ライブドア社長逮捕。ライブドア・ショック
3月 2月
4月 3月
5月 4月 イラク正式政府発足
6月 ヒトラー、SSを粛清(レーム事件) 5月
7月



(海
軍)
岡田啓介内閣発足(第31代首相) 6月
8月 独、ヒンデンブルク大統領死去。ヒトラー総統就任 7月 北朝鮮、弾道ミサイル7発試射
9月 ソ連、国際連盟に加盟 8月
10月 中国共産党、長征開始 9月



(自

党)
安倍晋三内閣成立(第90代首相)
秋篠宮家に悠仁親王が誕生。男子皇族の誕生は秋篠宮文仁殿下以来41年ぶり
11月 10月 北朝鮮、初の核実験を実施
12月 明仁皇太子殿下誕生 11月
1935(昭和10)年 1月 12月 フセイン元イラク大統領、絞首刑
2月 天皇機関説論争はじまる 2007(平成19)年 1月 防衛庁、防衛省に昇格
3月 独逸、ベルサイユ条約を破棄。再軍備宣言 2月
4月 3月
5月 米国、中立法成立 4月 エリツィン前ロシア大統領死去
6月 英独海軍協定締結 5月 フランス大統領選挙。ニコラ・サルコジが初当選(在任〜2012年5月)
7月 静岡地震 6月 イギリス、ゴードン・ブラウン首相就任(在任〜2010年5月)
8月 7月 新潟県中越沖地震
参議院選挙、自民党大敗
9月 8月
10月 イタリア軍、エチオピア侵攻 9月



(自

党)
福田康夫内閣成立(第91代首相)
11月 10月
12月 11月
以下、表8-44に続く

▼最大の相違点ー恐慌発生せず
 2001年9月11日の同時多発テロは、ニューヨーク株式市場の開場前に発生した。事件の影響を受けて、9月11日のみならず、結局週を通して全面休場となった。
 9月17日・月曜日、市場は一週間ぶりに開場した。この日ダウは終値で684ドル81セント下落し、下落額は史上最高になったが、下落率は7.1%にとどまった。
表4-12    1929年〜1932年と2001年〜2007年のニューヨーク・ダウの対称
●1929年〜1932年のケース(表4-5の続き)
『大恐慌前夜』『日本発世界大恐慌はやってくるか』『バブルの歴史』『世界同時デフレ』より作成
月日 終値 特記事項
1929年 9月3日 381ドル17セント 史上最高値
10月24日(木) 299ドル 暴落、「暗黒の木曜日」
10月28日(月) 260ドル64セント ▼38ドル33セント(下落率12.82%)
10月29日(火) 230ドル07セント 再び暴落、▼30ドル57セント(下落率11.73%)「暗黒の火曜日」
10月31日(木) FRB、公定歩合を6%から5%に利下げ
11月13日 198ドル69セント 暴落後の最安値…暴落から2週間後。史上最高値からの下落率48%
11月14日 FRB、公定歩合を5%から4.5%に利下げ
1930年 1月20日 FRB、公定歩合を4.5%から4%に利下げ
3月半ば FRB、公定歩合を4%から3.5%に利下げ
4月17日 294ドル 暴落後の戻り高値…暴落から5ヶ月後
6月(日付不明) FRB、公定歩合を?%から2.5%に利下げ
12月15日 157ドル 再び下落基調に…暴落から14ヶ月後
1931年 2月(日付不明) 190ドル 暴落から17ヶ月後
5月(日付不明) FRB、公定歩合を?%から1.5%に利下げ
12月(日付不明) 74ドル 再び下落基調に
1932年 7月8日 41ドル22セント 大底、史上最高値からの下落率89.2%
●2001年〜2007年のケース(表4-7の続き)
2001年 9月11日(火)     − 市場開場前に同時多発テロ事件発生。17日まで取引中止
9月17日(月) 8920ドル70セント 取引再開当日。▼684ドル81セント(下落額史上最大、下落率7.1%)
2002年 3月19日(火) 10635ドル25セント テロ後の戻り高値…9・11テロから6ヶ月後
10月9日(水) 7286ドル27セント テロ後の最安値…9・11テロから13ヶ月後。史上最高値からの下落率37.84%
2003年 6月4日(水) 9038ドル98セント 2002年8月22日以来9000ドル台回復
12月11日(木) 10005ドル16セント 2002年5月24日以来1年7か月ぶり1万ドル台回復
2006年 1月9日(月) 11011ドル90セント 2001年6月以来4年7か月ぶり11000ドル台回復
10月3日(火) 11850ドル61セント 2000年1月14日以来6年8か月ぶりに史上最高値更新
10月19日(木) 12011ドル73セント 史上初めて終値で12000ドル台突入
2007年 4月25日(水) 13089ドル89セント 史上初めて終値で13000ドル台突入
7月19日(木) 14000ドル41セント 史上初めて終値で14000ドル台突入


表4-13   ナスダックの推移(表4-7の続き。同時多発テロ以降)
月日 終値 特記事項
2000年 3月10日(金) 5048.62P 史上最高値
2002年 10月9日(水) 1114.11P 9・11テロ後の最安値(大底)。史上最高値からの下落率77.93%
2003年 5月2日(金) 1502.88P 2002年6月中旬以来1500P台回復
12月29日(月) 2006.48P 2002年1月15日以来2000P台回復
 前述したように、同時多発テロ発生までの間に、公定歩合とFF金利は既に半分まで利下げされていたが、テロ後の市場再開当日に早速利下げが実施され、以降も超低金利まで利下げされたのである。
表4-14   アメリカの金利の推移(表4-8の続き。同時多発テロ以降)
月日 公定歩合 FF金利 金融政策 特記事項
2001年 9月11日(火) - - - 同時多発テロ事件発生
9月17日(月) 2.5% 3.0% 景気配慮型 同時多発テロ後の市場再開当日
10月2日(火) 2.0% 2.5% 景気配慮型
11月6日(火) 1.5% 2.0% 景気配慮型
12月11日(火) 1.25% 1.75% 景気配慮型
2002年 1月31日(水) 変更なし 変更なし 景気配慮型
3月19日(火) 変更なし 変更なし 中立型
5月7日(火) 変更なし 変更なし 中立型
6月25日(火) 変更なし 変更なし 中立型
8月13日(火) 変更なし 変更なし 景気配慮型
9月24日(火) 変更なし 変更なし 景気配慮型
11月6日(水) 0.75% 1.25% 中立型 公定歩合の底値
12月10日(火) 変更なし 変更なし 中立型
2003年 1月29日(水) 変更なし 変更なし 中立型
3月18日(火) 変更なし 変更なし 判断留保(異例の措置)
5月6日(火) 変更なし 変更なし 景気配慮型
6月25日(水) 2.0% 1.0% デフレ警戒型 FF金利の底値
8月12日(火) 変更なし 変更なし 変更なし
9月16日(火) 変更なし 変更なし 変更なし
12月9日(火) 変更なし 変更なし 中立型
2004年 1月28日(水) 変更なし 変更なし 中立型
3月16日(火) 変更なし 変更なし 中立型
5月4日(火) 変更なし 変更なし 中立型
6月30日(水) 2.25% 1.25% 中立型 本格的に利上げ政策に転換
8月10日(火) 2.5% 1.5% 中立型
9月21日(火) 2.75% 1.75% 中立型
11月3日(水) ★アメリカ大統領選、ブッシュ再選
11月10日(木) 3.0% 2.0% 不明
12月14日(火) 3.25% 2.25% 不明
2005年 2月2日(水) 3.5% 2.5% 不明
3月22日(火) 4.75% 2.75% 不明
5月3日(水) 4.0% 3.0% 不明
6月30日(木) 4.25% 3.25% 不明
8月9日(火) 4.5% 3.5% 不明
9月20日(火) 4.75% 3.75% 不明
11月1日(火) 5.0% 4.0% 不明
12月13日(火) 5.25% 4.25% 不明
2006年 1月31日(火) 5.5% 5.5% 不明
★グリーンスパンFRB議長退任。2月1日ベン・バーナンキ新FRB議長就任
3月28日(火) 5.75% 4.75% 不明
5月10日(水) 6.0% 5.0% 不明
6月29日(木) 6.25% 5.25% 不明 2004年6月からの毎回の利上げは今回で終了
8月8日(火) 変更なし 変更なし 不明
9月20日(水) 変更なし 変更なし 不明
10月24日(火) 変更なし 変更なし 不明
12月12日(火) 変更なし 変更なし 不明
2007年 1月31日(水) 変更なし 変更なし 不明
3月21日(水) 変更なし 変更なし 不明
6月28日(木) 変更なし 変更なし 不明
8月7日(火) 変更なし 変更なし 不明
9月18日(火) 5.25% 4.75% 不明 2003年6月以来、4年3カ月ぶりの利下げ
10月31日(水) 5.0% 4.5% 不明
12月11日(火) 4.75% 4.25% 不明
2008年 1月22日(火) 4.0% 3.5% 不明
1月30日(水) 3.75% 3.0% 不明
3月16日(日) 3.25% 3.0% 不明
3月18日(火) 2.5% 2.25% 不明
4月30日(水) 2.25% 2.0% 不明
6月25日(水) 変更なし 変更なし 不明
8月5日(火) 変更なし 変更なし 不明
9月16日(火) 変更なし 変更なし 不明
10月8日(水) 1.75% 1.5% 不明
10月29日(水) 1.25% 1.0% 不明
12月16日(火) 0.5% 0〜0.25% 不明 米国の金融政策史上史上初となる事実上のゼロ金利
2009年 1月28日(水) 変更なし 変更なし 不明
6月24日(水) 変更なし 変更なし 不明
11月4日(水) 変更なし 変更なし 不明 ゼロ金利継続
2010年 1月27日(水) 変更なし 変更なし 不明 ゼロ金利継続
2月18日(木) 0.75% 変更なし 不明
 1929年のニューヨーク・ダウは、9月3日には史上最高値381ドル17セントを記録していたのだが、10月24日に暴落して世界恐慌がはじまった後、2年半に渡って下落を続け、1932年7月8日に41ドル22セントを付けて大底を打った。下落率は89.2パーセントに達したのである。
 ちなみに、史上最高値(381ドル17セント)が更新されたのは1954年11月だった。この間、実に25年もの歳月が必要だったのである(この項、松本和男『2003年日米恐慌』中公新書ラクレ、2001、80頁・86頁より)。
 バブル崩壊後の現代の日本の日経平均株価を見ても、1989年12月29日に付けた史上最高値38915円87銭から、2003年4月28日の最安値7607円88銭まで、下落率は80.45パーセントという惨状になったのである。
 一方2001年のアメリカの場合、ナスダックは同時テロを待たずして、ITバブル崩壊と共に暴落してしまった。ナスダックの底値は2002年10月9日に付けた1114.11ポイントで、2000年3月10日に付けた史上最高値5048.62ポイントからは77.93パーセントの暴落になった。
 ナスダックと比べればダウは、テロ後の底値はナスダックと同日に付けた7286ドル27セントで、2000年1月14日の史上最高値11722ドル98セントからは37.84パーセントの下落となり、軽微な影響にとどまった。最も、水野隆徳『世界恐慌への跫音』182頁の表によれば、下落率20パーセント以上ならベア・マーケット入りだそうだから、その条件は十分に満たしているが。

 ではなぜダウは踏みとどまったのか。その理由は、ナスダックほどIT関連銘柄が集中しておらず、上昇ペースも“急騰”ほどではなく、ナスダックと比べれば比較的緩やかだったため、ということになろうか?
 全般的な理由は、前周期のアメリカはいまだ勃興途中の新興大国だったが、今回は世界最強の国家だからであろう。
 なぜ1929年とは異なり、アメリカで恐慌が発生しなかったのだろうか?
 高尾義一は「世界秩序『再構築』のうねり」(「週刊エコノミスト」2003年4月1日号)において、


「米国で株価調整が遅れているのは、FRBが01年から持続的に金融緩和スタンスを取り、FFレート金利を下げてきたためだ」


 と指摘している。
 かくして、同時多発テロによっても恐慌が発生しなかった結果、アメリカの政治状況には大きな変化が生じた。
 1929年の場合、恐慌に無策とされたフーバー大統領が1932年11月の選挙で敗北し、勝利したのが民主党のフランクリン・デラノ・ルーズベルトだった。就任後のルーズベルトが、バンク・ホリデー、またはTVA(テネシー川渓谷開発公社法)などのニューディール政策を実施してゆくのは周知の通りである。

※バンク・ホリデーは、『世界同時デフレ』91〜92頁、『「大恐慌型」不況』64〜67頁、『日本発世界大恐慌はやってくるか』209〜211頁でも説明されている。

 一方2001年の場合、同時多発テロの結果、アメリカの世論はブッシュ大統領に高い支持を与えた。これがアフガニスタン戦争や、2003年のイラク戦争の開戦の大きな背景となり、結果2004年11月に再選されたのだろう。 前述したように、もし同時多発テロが起きなければ、2001年10月ごろに第2次世界恐慌が発生していたのだろうか?
 将来、“対称年表”の研究がさらに進めば、同時多発テロはアメリカの自作自演だった、という“陰謀史観”に更なる燃料を供給してしまう結果になるかもしれない。
 なお最後に、ニューヨーク・ダウ、ナスダック、金利の1987年〜2010年までの推移を、一括してまとめた表を掲載しておこう。
表4-15         ニューヨーク・ダウ、ナスダック、金利の推移(1987年〜2010年まで)
月日 ダウ ナスダック 公定歩合 FF金利 金融政策
1987年 1月8日(木) 終値で2000ドル台突入
8月11日(火) アラン・グリーンスパン、FRB議長に就任
8月25日(火) 2722ドル42セント
(ブラックマンデー前の最高値)
9月4日(金) 6.0% 変化なし
10月19日(月) ブラックマンデー
1988年 8月24日(火) 6.5% 変化なし
11月8日(火) 大統領選、ブッシュ(父)当選
1989年 2月24日(金) 7.0% 変化なし
8月25日(木) 2734ドル64セント
(ブラックマンデー前の最高値更新)
12月3日(日) マルタ会談。米ソ冷戦終結
1990年 2月 第2次銀行危機
8月〜91年2月 湾岸危機・湾岸戦争
12月18日(火) 6.5% 変化なし
1991年 2月1日(金) 6.0% 変化なし
4月17日(水) 3000ドル台突入
4月30日(火) 5.5% 変化なし
9月13日(金) 5.0% 5.25%
10月30日(水) 変化なし 5.0%
11月6日(水) 4.5% 不明
12月20日(金) 3.5% 4.0%
1992年 7月2日(木) 3.0% 変化なし ?(公定歩合の底値)
9月4日(金) 変化なし 3.0%
11月3日(火) 大統領選、クリントン当選
1994年 2月4日(金) 変化なし 3.25%
5月17日(火) 3.5% 変化なし
11月15日(火) 4.75% 5.5%
1995年 2月1日(水) 5.25% 6.0%
2月24日(金) 4000ドル台突入
7月6日(木) 変化なし 5.75%
7月17日(月) 終値で1000P(ポイント)台到達
11月21日(火) 5000ドル台突入
12月19日(火) 変化なし 5.5%
1996年 1月31日(水) 5.0% 5.5%
10月14日(月) 6000ドル台突入
11月5日(火) 大統領選、クリントン再選
12月5日(木) グリーンスパンFRB議長、「根拠なき熱狂」発言
1997年 2月13日(木) 7000ドル台突入
7月16日(水) 8000ドル台突入
7月 グリーンスパンFRB議長、「今の繁栄は100年に1度か2度の現象」と発言
7月〜 アジア通貨危機
10月27日(月) 7161ドル15セント(▼554ドル26セント)下落幅史上1位、下落率7.2%
1998年 4月6日(月) 9000ドル台突入
7月16日(木) 2000P台到達
8月下旬〜 ロシア通貨危機
8月31日(月) 7539ドル07セント(▼512ドル61セント)下落幅史上2位。4日間で1063ドル58セント下落
9月30日(火) 変化なし 5.25% 中立
10月15日(木) 4.75% 5.0% 中立
11月18日(水) 4.5% 4.75% 中立
1999年 3月29日(月) 10000ドル台突入
5月3日(月) 11000ドル台突入
5月18日(火) 変化なし 変化なし 引き締め
6月30日(水) 変化なし 5.0% 中立
8月24日(火) 4.75% 5.25% 中立
11月3日(水) 3000P台到達
11月16日(火) 5.0% 5.5% 中立
12月29日(水) 4000P台到達
2000年 1月14日(金) 11722ドル98セント
(終値での史上最高値)
2月2日(水) 5.75% 5.75% 中立
3月7日(火) 9796ドル03セント(戻り安値)
3月9日(木) 5000P台到達
3月10日(金) 5048.62P(終値での史上最高値)
3月22日(水) 5.5% 6.0% 中立
4月3日(月) 11221ドル93セント(戻り高値)
4月14日(金) 3321.29P(▼355.49P)下げ幅史上最大(下落率▼9.67%)史上最高値からの下落率34.2%
5月16日(火) 6.0% 6.5% 中立(各金利の最高値)
6月27日(火) 変化なし 変化なし インフレ警戒型
8月22日(火) 変化なし 変化なし インフレ警戒型
11月7日(火) 大統領選、ブッシュ(子)とゴアがフロリダ州で大接戦
11月15日(水) 変化なし 変化なし インフレ警戒型
12月13日(水) ゴアが敗北宣言。ブッシュ(子)勝利宣言
12月19日(火) 変化なし 変化なし 景気配慮型
2001年 1月3日(水) 5.75% 6.0% 景気配慮型
1月4日(木) 5.5% 変化なし 景気配慮型
1月31日(水) 5.0% 5.5% 景気配慮型
3月20日(火) 4.5% 5.0% 景気配慮型
4月18日(水) 4.0% 4.5% 景気配慮型
5月15日(火) 3.5% 4.0% 景気配慮型
6月27日(水) 3.25% 3.75% 景気配慮型
8月21日(火) 3.0% 3.5% 景気配慮型
9月11日(火) 市場開場前に同時多発テロ事件発生。17日まで取引中止
9月17日(月) 8920ドル70セント(▼684ドル81セント)下落額は史上最大 1579.55P(▼115.82P) 2.5% 3.0% 景気配慮型
10月2日(火) 2.0% 2.5% 景気配慮型
11月6日(火) 1.5% 2.0% 景気配慮型
12月2日(日) 米大手エネルギー企業エンロン連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク市の破産裁判所に申請し事実上倒産
12月11日(火) 1.5% 1.75% 景気配慮型
2002年 1月31日(水) 変更なし 変更なし 景気配慮型
3月19日(火) 10635ドル25セント(テロ後の戻り高値) 変更なし 変更なし 中立型
5月7日(火) 変更なし 変更なし 中立型
6月25日(火) 変更なし 変更なし 中立型
7月21日(日) 米大手通信企業ワールドコム、連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク市の破産裁判所に申請し事実上倒産
8月13日(火) 変更なし 変更なし 景気配慮型
9月24日(火) 変更なし 変更なし 景気配慮型
10月9日(水) 7286ドル27セント(テロ後の最安値。史上最高値からの下落率37.84%) 1114.11P(テロ後の最安値。史上最高値からの下落率77.93%)
11月6日(水) 0.75% 1.25% 中立型(公定歩合の底値)
12月10日(火) 変更なし 変更なし 中立型
2003年 1月29日(水) 変更なし 変更なし 中立型
3月18日(火) 変更なし 変更なし 判断留保(異例の措置)
5月6日(火) 変更なし 変更なし 景気配慮型
6月4日(水) 9038ドル98セント(2002年8月22日以来9000ドル台回復)
6月25日(水) 2.0% 1.0% デフレ警戒型(FF金利の底値)
8月12日(火) 変更なし 変更なし 変更なし
9月16日(火) 変更なし 変更なし 変更なし
12月9日(火) 変更なし 変更なし 中立型
12月11日(木) 10005ドル16セント(2002年5月24日以来1年7か月ぶり1万ドル台回復)
12月29日(月) 2006.48P(2002年1月15日以来2000P台回復)
2004年 1月28日(水) 変更なし 変更なし 中立型
3月16日(火) 変更なし 変更なし 中立型
5月4日(火) 変更なし 変更なし 中立型
6月30日(水) 2.25% 1.25% 中立型(本格的に利上げ政策に転換)
8月10日(火) 2.5% 1.5% 中立型
9月21日(火) 2.75% 1.75% 中立型
11月3日(水) 大統領選、ブッシュ再選
11月10日(木) 3.0% 2.0% 不明
12月14日(火) 3.25% 2.25% 不明
2005年 2月2日(水) 3.5% 2.5% 不明
3月22日(火) 3.75% 2.75% 不明
5月3日(水) 4.0% 3.0% 不明
6月30日(木) 4.25% 3.25% 不明
8月9日(火) 4.5% 3.5% 不明
9月20日(火) 4.5% 3.75% 不明
11月1日(火) 5.0% 4.0% 不明
12月13日(火) 5.25% 4.25% 不明
2006年 1月9日(月) 11011ドル90セント(2001年6月以来4年7か月ぶり11000ドル台回復)
1月31日(火) 5.5% 4.5% 不明
グリーンスパンFRB議長退任。2月1日ベン・バーナンキ新FRB議長就任
3月28日(火) 5.75% 4.75% 不明
5月10日(水) 6.0% 5.0% 不明
6月29日(木) 6.25% 5.25% 不明(2004年6月からの利上げは今回で終了)
8月8日(火) 変更なし 変更なし 不明
9月20日(水) 変更なし 変更なし 不明
10月3日(火) 11850ドル61セント(2000年1月14日以来6年8か月ぶりに史上最高値更新)
10月19日(木) 12011ドル73セント(史上初めて終値で12000ドル台突入)
10月24日(火) 変更なし 変更なし 不明
12月12日(火) 変更なし 変更なし 不明
2007年 1月31日(水) 変更なし 変更なし 不明
3月21日(水) 変更なし 変更なし 不明
4月25日(水) 13089ドル89セント(史上初めて終値で13000ドル台突入)
6月28日(木) 変更なし 変更なし 不明
7月19日(木) 14000ドル41セント(史上初めて終値で14000ドル台突入)
8月7日(火) 変更なし 変更なし 不明
9月18日(火) 5.25% 4.75% 不明
10月31日(水) 5.0% 4.5% 不明
12月11日(火) 4.75% 4.25% 不明
2008年 1月22日(火) 4.0% 3.5% 不明
1月30日(水) 3.75% 3.0% 不明
3月16日(日) 3.25% 3.0% 不明
3月18日(火) 2.5% 2.25% 不明
4月30日(水) 2.25% 2.0% 不明
6月25日(水) 変更なし 変更なし 不明
8月5日(火) 変更なし 変更なし 不明
9月7日(日) 米政府、政府系住宅金融機関(GSE)の連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)と連邦住宅金融抵当公社(フレディマック)を政府の管理下に置くと発表
9月14日(日) 米証券会社大手のリーマン・ブラザーズ、経営破綻
9月16日(火) 変更なし 変更なし 不明
9月29日(月) 10365ドル45セント(▼777ドル68セント)下落額は2001年9月17日を上回り史上最大 1983.73P(▼199.61P)
10月8日(水) 1.75% 1.5% 不明
10月29日(水) 1.25% 1.0% 不明
11月4日(火 ) 大統領選、オバマが当選
12月16日(火) 0.5% 0〜0.25% 不明
2009年 1月28日(水) 変更なし 変更なし 不明
3月5日(木) 1299.59P(▼54.15P)。2003年3月以来の1300ポイント台割れ
3月9日(月) 6547ドル05セント(▼79ドル89セント)1997年4月以来約12年ぶりの安値
4月30日(火) 米大手自動車会社クライスラー、連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク市の破産裁判所に申請
6月1日(月) 米の最大手自動車会社GM(ゼネラルモーターズ)、連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク市の破産裁判所に申請
6月24日(水) 変更なし 変更なし 不明
12月16日(水) 変更なし 変更なし 不明
2010年 1月27日(水) 変更なし 変更なし 不明
2月18日(木) 0.75% 変更なし 不明
4月23日(金) 11024ドル28セント(△69ドル99セント)。2008年9月19日以来約1年7カ月ぶりの高値 2530.15P(△11.08P)。2008年6月以来約1年10か月ぶりの水準を回復
11月4日(木) 11434ドル84セント(△219ドル71セント)。2008年9月8日以来の高値、米証券大手リーマン・ブラザーズが経営破綻する前の水準を回復 2577.34P(△37.07P)。2008年1月3日以来約2年10か月ぶりの高値



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