歴史はなぜ繰り返すのか  対称年表と近代70年サイクル・No.7
 (文中敬称略)
開設    2006(平成18)年11月4日
(この間省略)
更新    2010(平成22)年4月29日
更新    2010(平成22)年5月9日
更新    2010(平成22)年11月7日
更新    2011(平成23)年1月1日
更新    2011(平成23)年8月7日
更新    2011(平成23)年10月16日
更新    2011(平成23)年12月24日
最新更新 2012(平成24)年1月29日 

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対称年表 1918-1929/1989-2001
対称年表 1929-1935/2001-2007
対称年表・参考文献

対称年表と近代70年サイクル7 目次
第2部 近代70年サイクル・1919年以前
▼第3周期(1871〜1945)
・英仏の協調体制
・周期境界の後に起こった恐慌
・衰退するイギリス…ボーア戦争とベトナム戦争
・ドイツの勃興と英仏との摩擦
▼第4周期(1945〜現在)
▼イギリスのインド、アメリカの日本
▼パターンを見る
▼なぜ政治の頂点が先、経済の頂点が後なのか
▼なぜ70年サイクルは発生するのか
▼“果報は寝て待て”史観にならないか

歴史はなぜ繰り返すのか  対称年表と近代70年サイクル・ 6に戻る
▼第3周期(1871〜1945、74年間)世界大国:イギリス→アメリカ、挑戦国:ドイツ
表7-1     近代70年サイクル第3周期(1871〜1945)の大まかな流れ
年月 出来事
1868、1 戊辰戦争(〜69、6)
1870、7 普仏戦争(〜71、5)
  〃 9 フランス、第3共和政成立
  〃 10 イタリア王国ローマ教皇領を併合、イタリア統一成る
1871、1 プロイセン皇帝ヴィルヘルム1世ドイツ帝国皇帝に即位(在位〜83、3)
 〃  5 フランクフルト条約締結、普仏戦争終結
1873、9 ニューヨークで恐慌はじまる
1875、11 イギリス、スエズ運河会社の株式買収
1877、1 ビクトリア女王、インド皇帝に即位。英領インド成立
1882、5 ドイツ・オーストリア・イタリアの3帝同盟締結
1883、3 カール・マルクス
1888、3 独皇帝ヴィルヘルム1世死
 〃  6 独皇帝にヴィルヘルム2世即位(在位〜1918、11)
1891、8 露仏同盟成立
1894、4 米西戦争(〜94、12)
 〃  8 日清戦争(〜95、3)
1898、9 ファショダ事件(英仏間の危機)
1899、10 ボーア戦争(〜1902、5)
1901、1 英ビクトリア女王死(在位1837、6〜)
1902、1 日英同盟成立
1904、2 日露戦争(〜05、9)
1904、8 英仏協商成立
1907、8 英露協商成立(これにより英・仏・露の3国協商成る)
1911、10 辛亥革命(〜12、2)
1912、1 中華民国成立
 〃  2 清帝国滅亡
 〃  7 明治天皇崩御(在位1867、1〜)
1914、7 第1次世界大戦(〜18、11)
1917、5 ロシア2月革命。ロマノフ王朝滅亡
 〃  11 ロシア11月革命。ソビエト政権成立
1919、6 ベルサイユ条約締結
1920、1 国際連盟発足(本部・スイスジュネーブ)
1922、10 イタリア・ファシスト党(ベニト・ムッソリーニ)ローマ進軍
 〃 12 ソビエト社会主義共和国連邦成立
1923、9 関東大震災
1926、12 昭和天皇即位(在位〜89、1)
1929、10 アメリカ・ニューヨーク株式市場暴落、世界恐慌はじまる
1931、9 満州事変(〜33、5)
1932、11 フランクリン・D・ルーズベルト、米大統領に当選(在任〜45、4)
1933、1 アドルフ・ヒトラー、独首相に就任(在任〜45、5)
1937、8 支那事変(日中戦争。〜45、8)
1938、9 ミュンヘン会談(ヒトラーに対する宥和政策の頂点)
1939、9 第2次世界大戦(〜45、8)
1941、12 大東亜戦争(太平洋戦争。〜45、8)
・イギリス(覇権の移行)
・アメリカ(  〃  )

 新覇権国アメリカは、旧覇権国イギリスとは、独立戦争(1775〜83)と米英戦争(1812〜14)と2度、直接戦火を交えているのだが、結局はイギリスから、まるでバトンリレーのように覇権を受け継いだのである。
 では、一体いつ覇権はイギリスからアメリカへ移ったのだろうか。
 村岡健次・川北稔編・著『イギリス近代史(改訂版)』(ミネルヴァ書房、2003)には、


「ドイツとアメリカ合衆国は共に、(※管理人註、18)90年代にイギリスの鉄鋼生産高をしのぐようになった。石炭生産の点でもほぼ同様である」(196頁)


 とある。
 兵頭二十八氏は『沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』(PHP研究所、2002)において、


米の鉄鋼生産量は1807年には英の10分の1だったが、1848年には世界2位に躍進し、1890年には1位になった。1907年には英の2.6倍に達している」(127頁)


と述べている。
 では、なぜ覇権はイギリスからアメリカへ移ったのか。
 兵頭二十八氏は『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』(PHP研究所、2003)において、


「英国の不運は領域内に思うように石油が出なかったこと」(62頁)


 と述べている。

 経済・産業面からの分析のみならず、政治・国際情勢からの分析も必要だろう。
 No.6でも前述したが、中西輝政『大英帝国衰亡史』(PHP文庫、2004)199-201頁によると、1839年から42年にかけて、イギリスはフランス、ロシア、中国、そしてアメリカの四カ国を同時に相手にして戦争、または戦争の危機を闘い、そのすべてに勝利していた。

 しかし、同じく『大英帝国衰亡史』201頁によると、イギリスは、アメリカの北米大陸外への拡張を阻止する絶好の機会だったアメリカ南北戦争(1861〜1865年)に対しても、結局介入することはなかった。
 また、1895年、南米のベネズエラとイギリス領ギアナとの間の国境紛争によって英米戦争の危機が高まり、レーニンは戦争が始まるだろうと予言したが、これは外れた。その理由は、この危機の最中の1896年1月に起こった“クリューゲル電報事件”(表7-3で後述する)のため、イギリスがアメリカよりもドイツを脅威と見なし、イギリスはアメリカと和解して対ドイツ戦略に全力を集中したためという(205‐206頁)。

・周期境界の後に起こった恐慌
 以下、
・浅井隆『日本発世界大恐慌はやってくるか』(第二海援隊、1998)147-152頁
エドワード・チャンセラー『バブルの歴史 チューリップ恐慌からインターネット投機へ』(日経BP社、2000)
 の記述を参考にした。

 まず1873年5月1日、オーストリア・ウイーンの銀行が、アメリカ鉄道株の投機によって破産した。これによって始まった信用不安はオーストリアからドイツ、スイス、ベルギー、そしてアメリカに飛び火し、9月17日にはニューヨーク株式市場が暴落した。9月20日には遂にニューヨーク証券取引所が閉鎖された。
 1873年以降のアメリカでの恐慌は、3波に分けることが出来るという。第1波は1873年〜79年、第2波は1882年〜1886年、そして第3波が最も深刻で、1893年〜1897年まで続いた。
 No.6の「▼近代70年サイクル内の推移」でも前述したが、第2周期の末期には世界大国(イギリス)発の恐慌は発生せず、代わりに第3周期の最初にアメリカで恐慌が発生したことになる。
 前項の「いつ覇権はイギリスからアメリカへ移ったのか」という質問にも関連するが、侘美光彦は『「大恐慌型」不況』(講談社、1998)において、


「1820年代から60年代までは、主要な恐慌は、25年、37年、47年、57年、66年とほぼ10年前後の周期で、イギリスで5回発生している。その後、1870年代から1914年までは、イギリスでは大きな恐慌はほとんど発生しなくなり、代わってアメリカやドイツで起きるようになった。このころからアメリカやドイツの工業生産が急激に増大したからである。すなわち、資本主義の下での生産が発展し、景気循環の震源地がイギリスからアメリカやドイツに移行したということであった」(108-9頁)


 と述べている。

・衰退するイギリス…ボーア戦争とベトナム戦争
 南アフリカで起こったボーア戦争(1899〜1902)は、イギリスが勝利したものの、中西輝政氏が『大英帝国衰亡史』で述べているが、勝利の果実が得られるようなものではなく、大英帝国にとっては憂鬱な戦争だったようだ。
 ボーア戦争の位置づけは、No.5の「▼満州事変とイラク戦争」の項でも前述したが、これも中西氏が『大英帝国衰亡史』で述べているのだが、「辺境戦争」という概念が有効であるようだ。
 同著には、


「大英帝国はその長い歴史のなかで、多くの戦争を経験したが、そこには一つの奇妙なパラドックスが見出される。ナポレオン戦争や二つの世界大戦のように国家の命運がかかった大戦争には、当然ながらイギリスは一度も敗北したことはない。(中略)
 これに対し、その後の帝国の進路や向背に決定的な影響を与えることになったのは、いずれも小さな『辺境戦争』であった。またそれらはいずれも、イギリスを危険な国際的孤立に陥れるとともに、深刻な国内の分裂を引き起こす苦い戦争(ビター・ウォー)となったという点でも共通している。
 このことは世界大国のほんとうの陥し穴がどこにあるかを、よく示している。
 イギリスにとってのこうした『苦い戦争』の典型として、『ボーア戦争』以外に、十八世紀の『アメリカ独立戦争』、そして二十世紀の『スエズ戦争』がある」
(184-5頁)


 とある。
 そして、この「辺境戦争」の法則は、イギリスのみならずアメリカにも適応されると、わたくしは判断している。そのアメリカの「辺境戦争」の最たる例がベトナム戦争なのだろう(イラク戦争は、5で前述したように、満州事変と同じく周期境界戦争の前段階と思われる)。

ドイツの勃興と英仏との摩擦
 前述したように、『大英帝国衰亡史』208-209頁によると、イギリスはアメリカと和解して対ドイツ戦略に全力を集中したとある。
 薬師寺泰蔵『テクノヘゲモニー』(中公新書、1989)には、


「英国の衰退の契機は、2度の世界大戦でアメリカとではなくドイツと戦ったことにある」(93頁)


とある。
 しかし、近代70年サイクル第3周期(1871〜1945)の挑戦国たるドイツだが、周期の最初から露骨に英米との対立を志向していたわけではなかった(対仏関係は別だが)。
 ビスマルク首相は、普仏戦争に敗北したフランスからの復讐を防止し、フランスを孤立させるため、外交政策を展開したのである(木谷勤・望田幸男『ドイツ近代史』ミネルヴァ書房、1992、62-64頁)。

表7-2    ドイツの勃興
年月 出来事
1871、1 プロイセン皇帝ヴィルヘルム1世ドイツ帝国初代皇帝に即位
 〃  5 フランクフルト条約締結、普仏戦争終結(仏からアルザス・ロレーヌ獲得)
1878、6 ベルリン列国会議開催(露土戦争終結)
1879、10 ドイツ・オーストリア同盟成立
1882、5 ドイツ・オーストリア・イタリアの3帝同盟締結
1887、6 ロシア帝国と再保障条約(秘密条約)締結
1888、3 ヴィルヘルム1世死

 ヴィルヘルム1世は、1888年に91歳で死去した。継いで即位したのはフリードリヒ3世だが、僅か99日という短い治世で死去してしまったために、1888年6月、ヴィルヘルム2世が3代目ドイツ皇帝となった。
 1888年8月、当時88歳だったモルトケ参謀総長が辞任した(1891年死去)。2年後の1890年、これまた当時75歳の高齢だったビスマルク首相が辞任した(1898年死去)。ドイツ第2帝国建国の立役者は長命だったことがわかるが、これで全員第一線から退いたことになる。
 かくして以降、ヴィルヘルム2世による「新航路外交」「世界政策」が展開されることになった。
 1897年には海相にティルピッツが就任し、彼の元でドイツ海軍の増強が進められることになった。1898年に艦隊建設法、1900年には第二次艦隊建設法が成立し、ドイツはイギリスに対抗して大海軍建設に乗り出すこととなった。
 以降、第1次大戦終結までに建造されたドイツの主要な大型艦艇は以下の通りである。

戦艦(ド級戦艦)
ドイッチュラント級戦艦5隻(このクラスのみ前ド級戦艦。基準排水量≪以下各艦のトン数は全て基準排水量≫13191トン。1906年〜1908年竣工)
ナッソー級戦艦4隻(18570トン。1909年〜10年竣工)
ヘルゴラント級戦艦4隻(22800トン。1911年〜12年竣工)
カイザー級戦艦5隻(27000トン。1912年〜13年竣工)
ケーニヒ級戦艦4隻(25800トン。1914年竣工)
バイエルン級戦艦4隻(うち2隻は第1次大戦終結に間に合わず未成)(28600トン。1916年〜17年竣工)
巡洋戦艦
フォン・デア・タン級巡洋戦艦1隻(19370トン。1910年竣工)
モルトケ級巡洋戦艦2隻(22979トン。1911年〜12年竣工)
ザイドリッツ級巡洋戦艦1隻(24594トン。1913年竣工)
デアフリンガー級巡洋戦艦3隻 (26600トン。1914年〜17年竣工)


 別宮暖郎氏のホームページ「第一次大戦」の「1909年の建艦競争」も参照されたい。



 別宮暖郎氏は『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦』(並木書房、2005)において、以下のように述べている。


「日露戦争時代の外交史を調べていて驚くのは、戦争がヨーロッパ政局に与えた影響の大きさである。日露戦争の前、ロシアの仮想敵国はドイツではなく、イギリスだった。そして英仏は植民地をめぐって対立しており、イギリスはドイツとの同盟を模索していた。
 これが日露戦争とその結果によって大きく変動し、英露仏とそれに対抗する独墺という図式が確定し、そのままの形でヨーロッパ各国は第一次大戦に飛び込んでいった。すなわち、第一次大戦は日露戦争の後遺症の側面がある」
(344頁)


 さらに別宮氏は、自身のホームページ「第一次大戦」の「ボーア戦争」において、


「予想を超えたのは、日露戦争の勃発と日本の勝利であろう。ロシア軍は極東に遠のき、また敗戦により弱体化し、ドイツ人は1871年の建国以来、もっとも確実な「安全保障」が得られたと感じた。外交政策は大胆になり、アガディール事件、ボスニア危機、タンジール事件を引き起こした。だがドイツの脅威が英露の眼前に現れると、両国は互いに了解し合う方向に進んだ。英露協商の成立がドイツの悪夢、「ドイツ包囲」の完成である」


と述べている。

表7-3    ドイツの「世界政策」と英仏との摩擦
年月 出来事
1884 植民地として南西アフリカ(現在のナミビア)、カメルーン、トーゴ(現在のトーゴ及びガーナ東部)を領有
1885 植民地としてドイツ領ヴィツ(現在のケニアの一部。ヘルゴランド=ザンジバル条約によりイギリス領に)、東アフリカ(現在のタンザニア)、ルワンダ、ブルンジ、 ドイツ領ニューギニア(現在のパプアニューギニア北部地域、ビスマルク諸島、ミクロネシア、マーシャル諸島、パラオ、マリアナ諸島、ナウル)を領有
1888、3 ヴィルヘルム1世
 〃 、6 ヴィルヘルム2世、3代目ドイツ皇帝に即位
 〃 、8 モルトケ参謀総長辞任(91年死去)
1890、3 ビスマルク首相辞任(98年死去)
1891、8 露仏同盟成立
1896、1 クリューゲル電報事件(ヴィルヘルム2世がトランスバール共和国のボーア人に宛てた電報。英独間の緊張)
1897、6 海軍大臣にティルピッツ就任(在任〜1918)
1898 ヴィルヘルム2世、トルコ帝国首都コンスタンティノープル訪問。バグダッドまでの鉄道敷設権を獲得(3B政策)
1898、3 艦隊建設法成立
   〃 租借地として中国・膠州湾(青島)を領有
1899 植民地として西サモアを領有
1900、6 第2次艦隊建設法成立
1904、8 英仏協商成立
1905、3 第1次モロッコ事件(タンジール事件。ヴィルヘルム2世のモロッコ・タンジール訪問)
1907、8 英露協商成立(これにより英・仏・露の3国協商成る)
1911、7 第2次モロッコ事件(アガディール事件。フランスのモロッコ出兵)
1914、7 第1次世界大戦(〜18、11)



・英仏の協調体制

表7-4    英仏同盟へ至る道と、同盟結成の後
1338〜1453 百年戦争
1740〜1748 オーストリア継承戦争(オーストリア・イギリス・オランダVSフランス・スペイン)
1756〜1763 7年戦争(イギリスVSオーストリア・フランス・スペイン・ロシア)
1775〜1783 アメリカ独立戦争(イギリスVSアメリカ・フランス。1778、米側に立ち仏が参戦)
1793〜1815 英仏、フランス革命に対する干渉戦争と、それに続くナポレオン戦争(第1次〜第7次対仏大同盟)において激闘を繰り広げる
……
1854 英仏、トルコ側に立ちクリミア戦争に参戦(〜56)
1856 アロー戦争(〜60)。英仏は連合軍を結成して清と戦う
1870、7 普仏戦争(〜71、5)。仏は独力で独と交戦
1898、9 ファショダ事件(スーダンのファショダで英仏軍が遭遇。英仏間の危機。仏が譲歩して遠征隊を撤退させたため沈静化)
1904、4 英仏協商締結
1914、7 第1次世界大戦(〜18、11)。英仏は同盟して独と交戦
1939、9 第2次世界大戦(〜45、8)。英仏は同盟して独と交戦
1949、4 北大西洋条約機構(NATO)成立
1956、10 第2次中東戦争(〜56、12)。英仏、共同でスエズ運河に出兵
1993、11 マーストリヒト条約発効、EU発足


 別宮暖郎『軍事のイロハ』(並木書房、2004)には、英仏同盟について、


「ただ、同盟関係とは普通、信じられないほど長く、数百年または千年近くあまり変わることがないといえば、もっと驚くでしょうか。
 すなわち、英仏同盟は、1904年、英仏協商(Entente Cordiale)として成立し、現在まで残っています。そして、それより以前、ノルマン王征服の1066年から1904年までの間、英仏は一貫として対立していたのです」
(157-158頁)


 と述べられている。
 ではなぜ、それまで百年戦争や7年戦争、アメリカ独立戦争(これは間接的にだ)、ナポレオン戦争など、何度も戦争を繰り返してきた英仏が同盟したのだろうか?
 それは、イギリスがドイツを脅威と認識したためであると、中西氏は『大英帝国衰亡史』206頁、208-209頁で述べている。
 キンドルバーガー氏は『経済大国衰亡史 1500ー1990 下』(岩波書店、2002)で、


「2つの軍事的問題【訳注、日本との同盟関係、ロシアの南下への対策】が、1905年5月に対馬で日本がロシア海軍を撃破したことによって、根本からその性格を変えることになった。ヨーロッパでは、ドイツの軍事的脅威が増大し、フランスとロシアの同盟によってそれに対抗すべきであると考えられるようになった」(30頁)
「ドイツは1890年代初めにイギリスに対する強力な競争相手として立ち現れた」(60頁)
「ビスマルクの没後、1890年代に、憤りがはじめて沸き上がってきた、あるいはふたたび沸き上がってきたことは間違いない」(61頁)


としている。
 さらにもう1つわたくしの見方を述べると、挑戦国の座から転落して、疲弊したフランスは、普仏戦争での敗北もあいまって、もはやドイツに対してフランス一国だけで抵抗するのは困難だと諦めたため、イギリスからの同盟締結要求を断れなかったのでは?とも思われるのである。


●ドイツ(近代システムのバグ)
 別宮暖郎・兵頭二十八『戦争の正しい始め方、終り方』(並木書房、2003)65〜68頁、別宮暖郎『軍事のイロハ』(並木書房、2004)50-53頁、兵頭二十八『ニッポン核武装再論』(並木書房、2004)40頁によると、兵士の動員イコール戦争の開戦(先制攻撃)というドイツのやり方は、ヨーロッパの大国間で形成されつつあった近代啓蒙主義を破壊した、異常なバグである、としている。この異常な開戦方法が一貫して採用されたのが、近代70年サイクル第3周期における挑戦国としてのドイツの最大の特徴だったようである。
 この論をインターネット上で読まれたいという方は、兵頭二十八氏が「武道通信かわら版」2003年7月25日号に寄稿している記事「『軍事史からみた南京事件の真実』―推薦文にかえて なぜ第一次大戦がポイントなのか」がよいだろう。
 別宮氏は、『戦争の正しい始め方、終り方』の中で、


政治工作が連続してあったとしても、それをもって満州事変と日華事変を結び付けられません。もしそれが認められるとすれば、ナポレオン戦争から第二次世界大戦までが、『独仏対立』を基調にした一つの戦争だ、という主張もできてしまうわけです」(166頁)


 と述べているが、しかしわたくしからすれば、近代70年サイクルにおけるドイツの歴史は、イギリス・フランスへの挑戦という意味においては、ナポレオン戦争や普仏戦争などでは中断してはおらず、そのまま第1次・第2次大戦に連続しているように見えるのだが、いかがだろうか。
 また、ドイツと、ドイツの次の挑戦国・ソビエト連邦に共通する歴史の皮肉に注目するのも面白い。
 ドイツ人のカール・マルクスが生んだマルクス主義は、しかし当のドイツ―挑戦国においては精神的・理論的な主柱(メインストリーム)にはならず、ドイツの次の挑戦国となるロシアで革命を成功させ、ソヴィエト政権を誕生させたのである。
 また、ソ連は、第1次大戦でドイツと戦争したが、大戦後はドイツ軍の再建を助けている。それが第2次大戦ではまたもや激烈な死闘を繰り広げているのである。ヨーロッパの諸国間の関係は、実にアンビバレントな、複雑怪奇な関係である。

●フランス(文化が隆盛)
 フランスは、普仏戦争の敗戦の衝撃により、ナポレオン3世率いる第二帝政が滅亡し、第三共和制へと移行した。
 第三共和制の元で、首相は頻繁に交代し、政治はあまり安定しなかった。
 しかし文化・芸術は非常に繁栄した。いわゆる「ベル・エポック」がそうである。

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●日本(西欧を取り入れ近代化)

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●ロシア→ソ連(近代化の節目が1918年まで遅れる)
 1871年の「周期境界」で、世界の主要な大国(イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、日本)が出揃ったわけだが、ロシアが抜けている。ロシアだけ体制変革が遅れているのである。サイクルが各国とずれているのである。
 つまりロシアは、大戦争(周期境界戦争)によって体制が転換するような影響を受けない珍しい国なのである。イギリスやアメリカ、日本のような島国ではなく、陸続きの国境線を持つ国としては珍しいと言える。
 第1周期末期の周期境界戦争ではナポレオン率いるフランスが、第3周期末期の周期境界戦争ではヒトラー率いるナチス・ドイツが、いずれも西ヨーロッパから侵攻してきたが、どうにか撃退できた。どちらのケースでも、海の向こうの世界大国(ナポレオン戦争ではイギリス、第2次大戦ではイギリスとアメリカ)からの援助あっての事だったろう。
 また、ロシアに民主主義が根付かない理由についても、兵頭二十八氏は『あたらしい武士道』(新紀元社、2004)で、


「あの国(※管理人註、ロシア)の民主主義の基盤が脆弱ですのは、これは共産党も同じだったんですが、政権と教権が単一に収斂され掌握されてしまっていた歴史が長すぎるからなんです」(246頁)


 と説明してくれている。
 わたくしが言い換えれば、そもそも、国民国家としてのロシアの誕生そのものが遅れたためであろう(モスクワ大公国が自立したのは1480年、ロシア帝国が成立したのは1547年である)。国民国家としての歴史がまだ浅いため、啓蒙主義が根付く土壌が出来ないのだろう。
表7-5   ソ連独自の近代70年サイクル(1922〜1989、67年間)
月日 出来事
1917年 11月7日 ロシア11月革命。ソビエト政権成立
1922年 12月30日 ソビエト社会主義共和国連邦成立
1924年 1月21日 レーニン死
1929年 11月 スターリン独裁成る
1934年 12月 スターリンによる大粛清始まる
1941年 6月22日 ドイツ、ソ連に侵攻。独ソ戦始まる
1945年 5月7日 ドイツ降伏。第2次大戦ヨーロッパ戦線終結(★第1の政治的勝利)
1949年 9月 初の核実験を実施。アメリカに次ぐ核兵器保有国となる
1953年 3月5日 スターリン死
1956年 2月24日 フルシチョフ、スターリン批判
10〜11月 ハンガリー動乱。ソ連軍侵攻、民主化運動を圧殺
1957年 10月4日 世界初の人工衛星スプートニク1号打ち上げ(★第2の政治的勝利、スプートニク・ショック)
1961年 4月12日 世界初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンを乗せた宇宙船ボストーク1号打ち上げ
1962年 10月 キューバ危機(アメリカとの核戦争寸前に)
1964年 10月15日 フルシチョフ解任
1968年 4月〜8月 チェコスロバキアの民主化運動(プラハの春)にソ連軍侵攻、運動を圧殺
1979年 12月27日 ソ連軍、アフガニスタン侵攻(〜89、2)
1980年 7月 モスクワオリンピック。アメリカ、日本、西ドイツ、中国などボイコット
1982年 11月10日 ブレジネフ死
1985年 3月11日 書記長にゴルバチョフ就任
1989年 12月3日 米ソ首脳(ブッシュ・ゴルバチョフ)マルタ会談、冷戦終結宣言
1991年 12月30日 ソビエト連邦消滅
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ソ連
・独ソ戦に勝利
・アメリカとの対立
・1973年の第4次中東戦争にて、対西欧戦争用の頼みの綱である新型戦車(T‐64、T‐72)が敗北してしまった(『日本の防衛力再考』114‐115頁、『学校で教えない現代戦争学』146‐147頁より)
・SS‐20(兵頭二十八『学校で教えない現代戦争学』並木書房、2002、146‐147頁)
・ナブスターGPSとトライデントSLBM(『日本有事』74‐76頁)
・海軍の拡張
・大統領にレーガン当選(1980)

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 さて、ソ連には、上記の「ドイツの勃興と英仏との摩擦」の項で前述した、ドイツ第2帝政との共通項がある。すなわち海洋進出政策であり、海軍の拡張である。
 ソ連は1962年のキューバ危機におけるアメリカ海軍の海上封鎖をきっかけにして、弱体な海軍力を痛感し、以降セルゲイ・ゴルシコフ主導の下、海軍の拡張を進めたと言われている。
 その結果、

モスクワ級ヘリ巡洋艦2隻(基準排水量14950トン≪以下各艦のトン数は全て基準排水量≫、1967・69年竣工)
キエフ級軽空母4隻(36000トン、1975〜87年竣工)
キーロフ級原子力ミサイル巡洋艦4隻(24300トン、1981〜98年竣工)
スラバ級ミサイル巡洋艦3隻(10000トン、1982〜89年竣工)
トビリシ級→アドミラル・クズネツォフ級航空母艦2隻(55000トン、1番艦は1990年竣工、2番艦は未完成)
ウリャノフスク級原子力航空母艦2隻(60000トン、2隻とも未完成)
タイフーン級弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)6隻(48000トン、1981〜89年竣工)
イワン・ロゴフ級ドック型揚陸艦3隻(14000トン、1978〜90年竣工)

 といった大型艦が続々と建造されることとなった。
 この他にも、キンダ級やクレスタT・U級といった巡洋艦、ソブレメンヌイ級やウダロイ級といった駆逐艦、アルファ級原子力攻撃潜水艦などが続々と建造された。
 しかし、本格的な航空母艦であるトビリシ級1番艦の建造途中の1989年12月に米ソ冷戦は終結してしまった。その後もソビエト連邦を構成する各共和国の分離独立運動が進展したため、グルジアスターリンシュワルナゼの出身地でもあるのだが)の首都の名から命名された1番艦トビリシは名称が「アドミラル・クズネツォフ」に変更され、1990年12月に就役した。現在もロシア海軍唯一の空母として在籍しているが、2番艦ワリャーグは建造中止となり、中国に売却されることとなった。これについては8で後述する。

 …しかし、陸軍国が、海軍戦備の大規模拡張にまで手を出した結果、国がつぶれたのは、ナポレオンのフランス、前述したドイツ第2帝政の艦隊建設法、ナチス・ドイツのZ計画と、枚挙に暇がないではないか。結局ソビエト連邦も、このセオリーの例外ではなかったのである。


▼ロシアと中国の相違点
 中国では、1912年に清王朝が滅亡し、中華民国が成立した。しかし中華民国の政体は長続きしなかった。1928年には蒋介石が北伐を終え、南京に国民政府を樹立したが、これも長続きせず、対抗勢力として中国共産党の勢力が伸張してきて、近代70年サイクルの節目と同時に中国共産党が政権を握ることになったのである。
 これは、第1次大戦の結果ロマノフ王朝が崩壊して共産主義政権が誕生、1989年に崩壊するという、自国独自の70年サイクルの日々を過ごしたロシア―ソビエト連邦との最大の相違点である。
 中国は近代70年サイクルに同化されたが、ロシアは自国独自の70年サイクルを続けているのである。

表7-6    近代70年サイクル第3周期後半の大戦
アメリカ イギリス フランス イタリア ロシア ドイツ オーストリア、ハンガリー トルコ 日本
大戦前の国体 アメリカ合衆国 大英帝国 第3共和政 イタリア王国 ロシア帝国 第2帝政 オーストリア・ハンガリー2重帝国 オスマントルコ帝国 大日本帝国
大戦 第1次大戦(1914〜18)
大戦の結果 戦勝国 敗戦国 戦勝国
大戦後の国体 変更なし
世界大国へと飛躍
イギリス連邦(1931) 変更なし ムッソリーニ独裁(1922) ソビエト連邦(1922) ワイマール共和国(1919)
ヒトラー独裁(1933)
オーストリア、ハンガリー、チェコの三国に分裂、共和制に(1918) トルコ共和国(1923) 変更なし

●総論
 第1次大戦以降の歴史は、第1部で既述した部分は省略する。

表7-7    近代70年サイクル第3周期末の周期境界戦争
アメリカ イギリス フランス ロシア ドイツ イタリア 中国 日本
周期境界戦争前の国体 アメリカ合衆国 イギリス連邦 第3共和政 ソビエト連邦 ナチス・ドイツ
ヒトラー独裁
ムッソリーニ独裁 中華民国 大日本帝国
周期境界戦争 第2次大戦(1939〜45)
戦争の結果 戦勝国 敗戦国 戦勝国 敗戦国
周期境界戦争後の国体 変更なし
名実ともに世界大国に
変更なし 第4共和政(1946) 変更なし 国土と首都が東西に分割占領される
西ドイツ成立(1949)
東ドイツ成立(1949)
イタリア共和国(1947) 中華人民共和国(1949) 日本国


▼第4周期(1945〜現在)世界大国:アメリカ、挑戦国:ソ連→中国?


表7-8     近代70年サイクル第4周期(1945〜)の大まかな流れ
月日 出来事
1945年 8月15日 日本、ポツダム宣言を受諾し降伏。第2次世界大戦終結
10月24日 国際連合が正式に成立
1946年 3月5日 チャーチル前英首相、米ミズーリ州フルトンで「鉄のカーテン」演説
10月13日 フランス新憲法制定。第4共和制成立
11月3日 日本国憲法公布
1948年 5月14日 イスラエル建国、第1次中東戦争(〜49、1)
1949年 4月4日 北大西洋条約機構(NATO)成立
5月6日 ドイツ連邦共和国(西ドイツ)成立
9月 ソ連、初の核実験を実施。アメリカに次ぐ核兵器保有国に
10月1日 中華人民共和国成立
1950年 6月25日 朝鮮戦争(〜53、7)
1951年 9月4日 サンフランシスコ講和会議開催
1952年 2月 英、エリザベス女王即位(在位〜現在)
10月3日 イギリス、初の核実験を実施。3番目の核保有国に
1953年 3月5日 スターリン死
1955年 5月14日 ワルシャワ条約機構成立
1956年 10月 第2次中東戦争(〜56、12)
1957年 10月4日 ソ連、世界初の人工衛星スプートニク1号打ち上げ(スプートニク・ショック)
1958年 10月5日 フランス第5共和制成立
1960年 2月13日 フランス、初の核実験を実施。4番目の核保有国に
1962年 10月 キューバ危機(米ソ、核戦争寸前に)
1963年 11月22日 米ケネディ大統領暗殺
1964年 8月2日 トンキン湾事件。アメリカ、ベトナム戦争へ本格介入開始(〜75、4)
10月10日 東京オリンピック開催
10月16日 中国、初の核実験を実施。5番目の核保有国に
1967年 6月 第3次中東戦争
1969年 7月20日 アメリカのアポロ11号、月面着陸
1971年 10月25日 中華人民共和国、国際連合に加盟。中華民国(台湾)は脱退
1972年 5月15日 アメリカ、日本に沖縄返還
1973年 1〜3月 ドルの固定相場制崩壊、世界の主要大国が変動相場制へ移行
10月 第4次中東戦争。第1次石油ショック発生
1974年 8月8日   ニクソン米大統領、ウオーターゲート事件により辞任(任期途中での辞任は米大統領史上初)
1975年 4月30日 サイゴン陥落、南ベトナム政府崩壊。ベトナム戦争終結
11月15日 フランスの提唱により第1回先進国首脳会議(サミット)開催。仏米英西独日が参加
1979年 5月4日 イギリス首相にマーガレット・サッチャー就任(在任〜90、11)
1981年 1月19日 アメリカ大統領にロナルド・レーガン就任(在任〜89、1)
1985年 3月11日 ソ連書記長にミハイル・ゴルバチョフ就任(在任〜91、12)
1989年 1月7日 昭和天皇崩御(在位1926、12〜)
11月9日 ベルリンの壁崩壊
12月3日 米ソ首脳(ブッシュ・ゴルバチョフ)マルタ会談、冷戦終結宣言
1990年 10月3日 東西ドイツ統一
1991年 1月17日 湾岸戦争(〜91、2)
12月30日 ソビエト連邦消滅
1993年 11月1日 マーストリヒト条約発効、EU発足
1995年 1月17日 阪神大震災
2000年 1月1日 EU、統一通貨ユーロ導入
2001年 9月11日 アメリカ同時多発テロ
2003年 3月20日 イラク戦争(〜2011)
2006年 10月9日 北朝鮮、初の核実験を実施
2008年 11月3日 アメリカ大統領に、史上初の黒人であるバラク・オバマ就任(〜現在)
2010年 1月〜 ギリシャよりヨーロッパ金融危機始まる
2011年 3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)(M9.0。死者・行方不明者約2万名)
福島第一原子力発電所事故発生

表7-9   近代70年サイクル第4周期(1945〜)のはじまり・各国国体の成立
月日 出来事
1945年 8月15日 日本、ポツダム宣言を受諾し降伏
1946年 10月13日 フランス新憲法制定。第4共和制成立
11月3日 日本国憲法公布。翌年5月3日施行
1947年 12月20日 イタリア新憲法制定。イタリア共和国成立
1949年 5月6日 ドイツ連邦共和国(西ドイツ)成立
10月1日 中華人民共和国成立
1951年 9月8日 サンフランシスコ講和会議、対日講和条約調印
1952年 4月28日  サンフランシスコ講和条約発効、日本独立
5月26日 ボン協定。米・英・仏、対西独平和取り決め調印。西独の占領終結
1958年 10月5日 フランス第5共和制成立
●アメリカ(世界大国を謳歌)
 1945年10月24日、国際連合が正式に成立し、その本部はニューヨークに設置された。国際連合も、世界銀行も、国際通貨基金(IMF)も、本部はアメリカ(世銀とIMFの本部はワシントン)に設置されたのである。
 そもそも国際連合の前身である国際連盟に対しては、アメリカはウッドロウ・ウイルソン大統領の加盟希望の意志に反し、孤立政策(モンロー主義)を支持する議会が反対したために、加盟すらしなかった(国際連盟の本部はスイス・ジュネーブに設置された)という事実を踏まえれば、隔世の感がある。
 第2次大戦の結果、アメリカはモンロー主義を完全に放棄し、世界の秩序と安定の維持に本格的にコミットメントすることになり、真の世界大国となったのだと言える。
 また、第2次大戦で疲弊し尽くしたヨーロッパに対しては、大規模な復興計画(いわゆるマーシャルプラン)が実施された。新覇権国アメリカが、旧覇権地域ヨーロッパに対して援助の手を差し伸べたのである。

 第2次世界大戦の勝利(1945年8月)から、アポロ11号の月着陸(1969年7月20日)あたりまでが、アメリカの全盛期であろう。
 1970年代になると、敗戦国であるはずの日本や西ドイツが戦後復興を遂げ、経済成長し、経済の分野においてアメリカを脅かすほどまで迫ってきた。その結果、1971年8月15日にニクソン米大統領は、金とドルの交換停止など、ドルの防衛策を発表(いわゆるドルショック)を発表したのである。
 また外交面では、ベトナム戦争に敗れ、ベトナムから完全撤退せざるを得なくなった。その結果、アメリカという最大の後ろ盾を失った南ベトナム政府は崩壊してしまう(1975年4月30日サイゴン陥落)。

●イギリス(世界大国からの正式な退場)
 イギリスは第1次・第2次の両大戦に勝利したが、その結果は厳しいものとなった。特に第2次大戦による国力の消耗ははなはだしく、インドやアフリカ各国が次々に独立することとなったのである。その経緯は、中西輝政氏の『大英帝国衰亡史』(PHP文庫、2004)第12章に詳しい。

 1947年 インド・パキスタンが独立
 1948年 マラヤ連邦独立
 1963年 マラヤ連邦→マレーシア独立(1965年、シンガポールがマレーシアから分離独立)
 1997年 香港、中国に返還

 イギリスはまた、1956年10月、フランスと共同でスエズ運河出兵を行った(第2次中東戦争)が、アメリカとソ連の介入で無残な失敗に終わった。

●フランス(独の占領による教訓)
 第2次世界大戦の戦勝国となったフランスだが、戦後の政体・第4共和制は、戦前の第3共和制と同じく短命な政権が続き、最終的にはアルジェリア独立問題で足をすくわれることとなった。
 アルジェリア独立問題の解決において登用されたシャルル・ド・ドゴールは、1958年に第5共和制を樹立し、大統領制を敷いて自ら就任し、NATOからの離脱・核武装・ドイツとの協調(後のEUへと繋がる道)を実現させた。
 また、植民地が次々に独立していった点も、前述したイギリスと同様である。
 特に1960年は「アフリカの年」とも呼ばれた。ド・ゴールの措置によって、アフリカ大陸で多くの植民地が独立を承認されたためである。
 ドゴール登場の契機ともなったアルジェリアも、1962年にアルジェリア民主人民共和国として独立を達成している。

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 佐瀬昌盛『NATO』(文春新書、1999)80-95頁
 鍛冶俊樹『エシュロンと情報戦争』(文春新書、2002)110-112頁
 山田文比古『フランスの外交力』(集英社新書、2005)
 三國陽夫『黒字亡国』(文春新書、2005)98-104頁

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●ドイツ(挑戦国の無残)
 近代70年サイクル第3周期(1871〜1945年)を通して、第1次・第2次大戦の当事者ともなり、アングロサクソンの覇権国たるイギリス・アメリカに対する挑戦国だったドイツは、敗北によって挑戦国の座をソビエト連邦に明け渡し、無残な道をたどることになってしまった。
 すなわち、No.6でも前述したが、ドイツは新世界大国アメリカと新挑戦国ソ連によって、国土と首都が分割占領されてしまったのである。
 ドイツは、ヒトラーという偉才の誕生を徒花(あだばな)として、挑戦国の座から転落してしまったのだろう。
 ドイツの国土と首都が米ソ両陣営によって分割された1949年から、再統一される1990年までが、ドイツの政治面における底であったと言えるだろう。

●ソ連(新たな挑戦国)
 ソビエト連邦は、近代70年サイクル第4周期の前半(1945〜1991年)における挑戦国として、共産主義陣営を率いて、アメリカとの冷戦構造を戦った。
 しかし前述したように、独自のサイクルを持つソ連も、70年サイクル自体からは逃れられなかった。1922年に建国されたソビエト連邦は、69年後の1991年に解体され、消滅したのである。
 この先、フランスのナポレオンやドイツのヒトラーのように異才が登場して、世界大国アメリカに対して、リターン・マッチかつファイナル・マッチを挑むことになるのだろうか。No.5の「▼ロシア大統領選挙」の項で前述したように、プーチンがヒトラーの役割を果たすのだろうか。

●中国(ソ連に次ぐ新たな挑戦国か?)
 毛沢東率いる中国共産党は、第2次世界大戦後の国共内戦によって、蒋介石率いる国民党に勝利し、その勢力を台湾に追いやった。そして1949年10月1日、中華人民共和国が建国されたのである。
 しかし中国は、当初は経済的には強大な国家ではなかった。1964年10月、初の核実験を実施し、英米ソ英仏に次ぐ5番目の核保有国となると、同じ共産主義国家間において対立―中ソ対立が表面化して、激化してゆくのである。
 中国の経済が急激に発展するのは、毛沢東の死後、権力闘争に勝利したトウ小平が、改革開放政策を実施してからとなる。
 ソ連→ロシアに代わって、米ソ冷戦終結後に経済が急成長した中国が、挑戦国の座を交代したのだろうか?

●日本(敗戦から復興へ)
 
表7-10    内閣府発表の景気動向指数・景気基準日付より
期間 拡張期間の一般的な名称 後退期間の一般的な名称
拡張 後退 全循環
第1循環 昭和26(1951)年6月 昭和26年10月 4ヵ月 朝鮮特需
第2循環 昭和26年10月 昭和29(1954)年1月 昭和29年11月 27ヵ月 10ヵ月 37ヵ月
第3循環 昭和29年11月 昭和32(1957)年6月 昭和33(1958)年6月 31ヵ月 12ヵ月 43ヵ月 神武景気 なべ底不況
第4循環 昭和33(1958)年6月 昭和36(1961)年12月 昭和37(1962)年10月 42ヵ月 10ヵ月 52ヵ月 岩戸景気
第5循環 昭和37(1962)年10月 昭和39(1964)年10月 昭和40(1965)年10月 24ヵ月 12ヵ月 36ヵ月 オリンピック景気 証券不況・40年不況
第6循環 昭和40(1965)年10月 昭和45(1970)年7月 昭和46(1971)年12月 57ヵ月 17ヵ月 74ヵ月 いざなぎ景気
第7循環 昭和46(1971)年12月 昭和48(1973)年11月 昭和50(1975)年3月 23ヵ月 16ヵ月 39ヵ月 列島改造ブーム 第1次オイルショック
第8循環 昭和50(1975)年3月 昭和52(1977)年1月 昭和52年10月 22ヵ月 9ヵ月 31ヵ月
第9循環 昭和52年10月 昭和55(1980)年2月 昭和58(1983)年2月 28ヵ月 36ヵ月 64ヵ月
第10循環 昭和58(1983)年2月 昭和60(1985)年6月 昭和61(1986)年11月 28ヵ月 17ヵ月 45ヵ月 円高不況
第11循環 昭和61(1986)年11月 平成3(1991)年2月 平成5(1993)年10月 51ヵ月 32ヵ月 83ヵ月 バブル景気
第12循環 平成5(1993)年10月 平成9(1997)年5月 平成11(1999)年1月 43ヵ月 20ヵ月 63ヵ月
第13循環 平成11(1999)年1月 平成12(2000)年11月 平成14(2002)年1月 22ヵ月 14ヵ月 36ヵ月  ITバブル?
第14循環 平成14(2002)年1月 平成19(2007)年10月 69カ月 いざなみ景気?

 日本は、確かに経済という一分野においてはアメリカに迫っている。
 しかし、軍事面でも経済面でも、覇権国は一貫してアメリカだった。日本ではない。
 “800年周期”における西洋の文明サイクルの中では、覇権国はベネチア、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカと流転してきたが、ベネチア以外の覇権国はいずれも軍事力によるものである。
 日本の経済的繁栄はアメリカの軍事力を背景にしていたものなのに、“日本の覇権”を云々するとはお笑いであり、おこがましいにも程がある。それもこれも、国民が、戦後日本がアメリカの属国だったという事実を自覚していないためだろう。

▼イギリスにとってのインド、アメリカにとっての日本
 わたくしは、鍛冶俊樹『エシュロンと情報戦争』(文春新書、2002)を読み、インドに着目するようになった。
 同書188頁には、


「インドがいったいいつから英国に従属したかというと、これが不明なのである。インドの独立年月日ははっきりしているのに、インドがいつ英国の植民地になったのか、の明確な線引きは困難なのだ。先にも触れたように、東インド会社が設立されたとき、その目的は経済交流だった。そして自由貿易協定を結び、軍事的な保護条約を結び、キリスト教の伝道師たちは、全人類的な価値の普遍性を問いて回り、やがて英語公用語化論が起こり、いつのまにかインドはまるまる英国のものとなっていた」


 とある。
 これは、今の日本の現状そのままではないのか?
 イギリスにとって、植民地・インドは生命線だった。そのインドがなぜ独立できたのか?覇権国イギリスが衰退したために他ならない。インドは第二次大戦にも参戦して、血を流してイギリスに“貢献”したが、それだけで独立できたとも思えない。当のイギリスは、植民地が宗主国に奉仕するのは当然の義務である、とでも思っていたろう。
 とすれば、日本がアメリカに付いて行って後方支援をしても、日本の独立が達成できる見込みはないと言うべきであろう。
 日本の独立も、アメリカが衰退するまで不可能なのだろうか。

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 さらに、ビバリ・チャンドラ『近代インドの歴史』(山川出版社、2001)を読むと、 ( 頁)   
 さらに、三國陽夫『黒字亡国』(文春新書、2005)の18-20頁、80-85頁に日本とインドとの共通点が記述されていた。
 この記述を読んで、わたくしは、やはりイギリスにとってのインドと、アメリカにとっての日本とは相似の立場なんだなと納得できた。

表7-11    近代70年サイクル第4周期後半の大戦
アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本 ドイツ 東欧諸国 ロシア
大戦前の国体 民主主義国家 国土と首都が東西に分割占領される ソ連の隷属下
共産党一党独裁
ソビエト連邦
共産党一党独裁
大戦 米ソ冷戦終結(1989)
大戦の結果 戦勝国 敗戦国
大戦後の国体 変更なし 国土再統一(1990) 民主化 ロシア連邦(1992)


▼パターンを見る
 世界大国の登場の方法
●前の世界大国の植民地だった。戦争して独立した。(例…オランダ。対スペイン/アメリカ。対イギリス)『大いなる代償』130頁にも
●その他(フランス、イギリス)
 世界大国の世界制覇の方法
●前の世界大国と大戦争して奪う(ex…イギリス。対フランス)
●前の世界大国と同盟していて受け継ぐ(ex…アメリカ。対イギリス)

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▼なぜ近代70年サイクルは発生したのか
 松本和男『中国は21世紀を制する』(東洋経済新報社、1994)36頁に引用されているラビ・バトラ『1990年の大恐慌』(剄草書房、1987)141-142頁によれば、


「30年周期や60年周期の基本的原因を説明してみよう。その答は人間の精神的、心理的作用が相対的には世代を通じて一定で、あまり変らないという点に求めなければならない。人間の天性のみがこの周期パターンを創り出せるのである。一世代は約三十年間、現役で働き、それから次の世代が引継ぐと普通、言われている。どの世代もそのやり方は異なっても、同じ過ちを犯す。・・・間違いによっては、その重大な結果ゆえに、各世代で繰返されず、一つ隔てた世代で繰返されることがある。この点からいえば、人々は両親の世代における過ちは繰返さずに、祖父母の世代の過ちを繰返すこともある。この現象が60年周期を創り出している」


とある。
 これについて、中西輝政氏は『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書、1998)207-208頁において、極めて正確な指摘をしている。


「明治の成功者も、また戦後日本の成功者も、本当の後継者を育てることに失敗しているといわざるをえない。明治の教訓は大正期には生かされず、また戦後の教訓も平成に本当の意味で生かされているとはいえない。(中略)
 繁栄を現出した『成功の本質』が受け継がれないために、繁栄と衰退を短いサイクルで繰り返すことになるのであろう。長くても九〇年、普通はせいぜい七〇年ということになる。
 おそらくこのサイクルは、世代交代のサイクルに基づいている。一世代三〇年として、どうしても孫の世代までは保たないのが、残念ながら『日本的パターン』といえるかもしれない。第二世代は創業者の奮闘と苦労をその眼で見ているからどうにか切り抜けるが、三代目になるともう実際に行動を見て受け継ぐという、直接の継承は不可能である。それゆえ、『三代目の危機到来』が日本では常態となるわけである」


 塩田潮氏は『バブル興亡史』(日経ビジネス人文庫、2001)において、


「1つの社会で世代交代が完了するには70年という時間の長さが必要である。70年前の教訓を実体験に基づいて次世代に伝える人間はほとんどいない。70年以上も前の出来事は確実に歴史の世界に入ってしまうのだ。歴史となってしまえば、よく似た出来事であっても、70年後の人たちにとっては初体験と同じである。だから、歴史は繰り返すのだ」(410頁)


と述べている。
 薬師寺泰蔵氏は「技術立国・日本が60年周期説を越える」(「中央公論」2005年2月号)において、


「国家の興亡はほぼ60年周期で繰り返す。それは現象論的現実以外の何ものでもないが、多少の因果的説明は可能だ。すなわち、干支から想像されるように、人の勢いのアップダウンは12の倍数、60年でサイクルを描く。一方、国家は擬人的に表現されることが多いため、国家の勢力も60年でワンサイクル回ると考えるのはそれほど無理はない」


と述べている。
 兵頭二十八氏は『「日本有事」って何だ』(PHP研究所、2000)において、


「近代は、条件が次々に変転しつづける時代だから、第一線の軍人には、参考にできる教訓はあまりに乏しいのだよ。逆に、30年もたてば、もう以前のような悪戦はしないだろう、なんて思ってしまうのだ。『後知恵史観』ほど非進歩的なものはないよ」(80頁)


と述べている。この文中の“軍人”を“ビジネスマン”、“悪戦はしない”を“経済恐慌は起こらない”と読み替えれば、70年サイクルの発生理由にそのまま当てはまるだろう。



 70年サイクルは必然で、抵抗する術はないのか?なすがままなのか?

 野木恵一氏が「『新帝国主義者』米国の単独行動主義」(軍事研究2004年7月号)でよい指摘をしてくれている。アメリカは若い国だと言われている。確かに、ヨーロッパ人の侵入までは統一国家としての形を成していなかったのだが、しかしその一方で、統一国家として最初に完成した体制が現在まで継続している国としては最古の国なのである。

 アメリカやイギリスの政治制度は、70年に1度の大動乱に対して、アメーバのように変幻自在に変化し、ゴキブリのようにしぶとく耐え続けて来ている。
 しかし日本の政治制度は、莫大な犠牲を払った揚げ句、70年ごとに破壊されてしまう運命のようである。ドイツ、フランス、ロシアの政治制度も日本に似て70年ごとに体制が転換している。
 その理由は、とりあえず2つ挙げられると思う。
 まず1つは、地理的要因である。独仏伊露…はみな陸続きなので、大戦争の結果による隣国の政体の転換がドミノゲームのように自国にも影響を及ぼすのではないかと思われる。フランス革命が自国に波及するのを恐れた各国が対仏大同盟を結成したことなどは、その最たるエピソードであろう。
 別の例を挙げれば、

 ・普仏戦争によるドイツ第2帝政、フランス第3共和制の成立。
 ・第1次大戦によるドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊、ウイルソン流の民族自決主義による東欧諸国の独立、ロシア帝国の崩壊と共産主義革命。
 ・第2次大戦によるドイツとイタリアのファシスト政権の崩壊、ソ連の占領による東欧諸国の共産化。
 ・冷戦終結によるソ連の崩壊と東欧諸国の民主化。

 みなそうである。
 一方、米英は島国なので隣国の影響を受けることがなく、政体が長続きしているとも言えそうである。政体の永続性は、地理的要因によっても担保されているのだろう。
 しかし、だったら日本も米英と同じ島国なのだから、近代の政体が長続きしてもいいはずである。
 そこで、もう1つの理由は、政体の特異性である。
 米英は、周囲の“環境”が常に変化し続けている近代社会に適応できる政治システムを保持・運用しているが、日独仏伊露…はそれが出来ていない、という結論になるのだろう。
 これには、兵頭二十八氏が説明している、「簡易に作っておき、後で下からの運動で修正させる」英米法と、「厳正に作り、後からは直させない」大陸法の関係とも関連があろう(「正論」2003年4月号コラム、また『ニュースではわからない戦争の論理』PHP研究所、2003、129頁より)。
 「厳正に作り、後からは直させない」ものの典型的な例が日本国憲法なのは言うまでもなかろう。となれば日本は、法体系を大陸法から英米法に変更しなければなるまい(「新潮45」2003年3月号より)。でなければ、またもや日本は3度同じ轍を踏んでしまうことになるだろう。

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               この部分はまだ作成中です。ご迷惑をおかけしております。
               完成まで今しばらくお待ち願います。  m(__)m 



●法体系…関岡英之『拒否できない日本』(文春新書、2004)173頁にも

▼“果報は寝て待て”史観にならないか
 近代70年サイクルによって未来がある程度まで判明するのなら、“果報は寝て待て史観”にならないか?
 それは“宿命論”ではないのか?

 宿命論…東谷暁『エコノミストは信用できるか』(文春新書、2003)235頁にも

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