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歴史はなぜ繰り返すのか  対称年表と近代70年サイクル・No.2
(文中敬称略)
開設    2006(平成18)年11月4日
(この間省略)
更新    2010(平成22)年4月11・29日
更新    2010(平成22)年6月5日
更新    2010(平成22)年10月31日
更新    2011(平成23)年4月10・17日
更新    2011(平成23)年8月7日
更新    2011(平成23)年9月4日
更新    2012(平成24)年1月15日
更新    2012(平成24)年7月22・29日
更新    2012(平成24)年9月23日
更新    2012(平成24)年11月16・18・21・29日
最終更新 2012(平成24)年12月17日

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対称年表・参考文献
対称年表 1918-1929/1989-2001
対称年表 1929-1935/2001-2007


対称年表と近代70年サイクル No.2 目次

第1部 対称年表・1919〜1941と1989〜2012
▼軍縮の機運(1919年=1990年)
▼日英同盟の廃棄(1921年〜1923年)
▼ファシズムの萌芽(1922年)
▼政治の混迷(1921年〜1924年=1993年〜1994年)
▼政治体制の変動(1993年〜)

歴史はなぜ繰り返すのか  対称年表と近代70年サイクル・No.1に戻る
▼軍縮の機運(1919年=1990年)
 第1次大戦中の1915年、アメリカ海軍は海軍の拡張計画を立案した。これは時の海軍長官の名前から「ダニエルズ・プラン」と通称された。
 対抗して1919年(大正8年)、日本海軍は八八艦隊計画(戦艦8隻、巡洋戦艦8隻の建造を中心とする計画)を立案した。かくして、日米英は海軍拡張競争に突入したのである。
 第1次大戦が終結しても、建艦競争は終結しなかった。
表2-1   第1次大戦後および米ソ冷戦後に締結された主要な軍縮条約
●第1次大戦後
1919年 6月28日 ベルサイユ講和条約締結。ドイツは空軍の保有を禁止され、ラインラント地方が非武装地帯化
1922年 2月6日 ワシントン海軍軍縮条約締結。米代表、“海軍の休日”(ネイバル・ホリデー)を提唱。主力艦(戦艦と空母)の今後10年間の新造を禁止。戦艦の保有比率は米5:英5:日3
1927年 6月〜8月 ジュネーブ海軍軍縮会議開催されるが、仏・伊の不参加で合意に達せず散会
1928年 8月27日 パリ不戦条約調印(ケロッグ=ブリアン協定)
1930年 4月22日 ロンドン海軍軍縮条約調印(巡洋艦・駆逐艦など補助艦艇の制限条約。補助艦艇の保有比率は米10:英10:日7)
●冷戦後
1990年 11月19日 パリにてCSCE(全欧安保協力会議)開催。欧州通常戦力条約(CFE)調印
1991年 7月 米ソ、START1(第1次戦略兵器削減条約)に調印
1992年 11月9日 CFE条約発効
1993年 1月3日 米露、STRAT2(第2次戦略兵器削減条約)に調印
1997年 12月3日 オタワにて対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)を採択
1999年 3月1日 オタワ条約発効
2002年  5月24日 米露、戦略攻撃戦力削減条約(モスクワ条約)に調印
6月12日 ABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)失効
2009年 12月5日 START1失効
 表を見れば一目瞭然だが、第1次〜第2次大戦間の、いわゆる戦間期の軍縮条約は、海軍艦艇がメインの対象になっているのがほとんどで、陸空軍を対象とした軍縮条約は、ベルサイユ講和条約によって空軍の保有が禁止されたドイツくらいのものである。
 一方現代の軍縮条約は、特に米露の核兵器がメインの対象になっている。

▼日英同盟の廃棄(1921年〜1923年)
 第1次大戦終結後と米ソ冷戦終結後の日本において、大きく異なっている点の1つが、同盟国との関係であろう。
 第1次大戦終結後、1921年のワシントン会議において、1902年の締結以来21年続いてきた日英同盟が決定された。1923年に正式に廃棄されている。
 一方、1990年代以降は、表の通りである。
表2-2     現代の日米関係
1996年 4月17日 日米安保共同宣言(橋本首相・クリントン大統領)
1999年 5月24日 ガイドライン関連法、参議院本会議で可決・成立
2001年 11月25日 テロ特措法により海上自衛隊アラビア海へ出発
2004年 1月16日 イラク特措法により陸上自衛隊先遣隊、日本出発
2006年 6月29日 共同文書「新世紀の日米同盟」を発表(小泉首相・ブッシュ大統領)
 冷戦後は、日米同盟はさらに強化されている。

▼ファシズムの萌芽(1922年)
 話は溯るが、近代70年サイクル第3周期(1871〜1945)の期間中に共産主義が誕生し、世界に広まっている。
 すなわち、1867年にカール・マルクスが「資本論」第1巻を刊行している。続いて第1次大戦中のロシアにおいてレーニン、トロッキーらが主導して革命が起こり、世界初の共産主義政権が誕生したのである。続く第4周期(1945〜現在)において、共産主義は挑戦国・ソ連の主柱となったのである。
 第3周期では、共産主義に遅れて全体主義(ファシズム)も萌芽している。すなわちイタリアで1922年10月27日、ムッソリーニ率いるファシスト党がローマ進軍を行っている。ムッソリーニは国王と議会から独裁権を与えられ、世界初のファシズム政権が誕生したのである。
 ちなみにアドルフ・ヒトラーは、1921年6月29日にナチ党の党首になったばかりで、歴史の表舞台には立っていない。ミュンヘン一揆ですら、1923年11月とまだ先のことである。
 冷戦終結後の現代は、共産主義や全体主義のような、世界を左右するほどの新たなイデオロギーはまだ登場してはいないように見える。それとも「9・11事件」で一躍注目を集めるようになったイスラム原理主義がそれに当たるのだろうか。

▼政治の混迷(1921年〜1924年=1993年〜1995年)
 第1次大戦の終結から1923年まで、または冷戦の終結から1995年までの数年間は、全体的に見て対称できる事項(パーツ)が不足している空白期である。
 しかし、1つだけ明らかな共通点がある。日本の政治の混迷が深まっている点である。
 第1次大戦後の日本の政治を概観してみると、原敬首相が暗殺された以降は、首相が短期間で頻繁に交代しているのである。 
表2-3    第1次大戦終結後の日本の首相
1921年 11月4日 原敬首相(第19代首相。政友会)暗殺。在任期間3年2か月
11月13日 高橋是清内閣(第20代首相。政友会)成立…在任期間7か月
1922年 6月12日 加藤友三郎内閣(第21代首相。海軍出身)成立…加藤首相死去によって総辞職。在任期間1年2か月
1923年 9月2日 第2次山本権兵衛内閣(第22代首相。海軍出身)成立…虎の門事件によって総辞職。在任期間4か月
1924年 1月7日 清浦奎吾内閣(第23代首相。枢密院出身)成立…在任期間5か月
6月11日 加藤高明内閣(第24代首相。憲政会)成立…加藤首相死去によって総辞職。在任期間1年7か月
 1990年代においても、特に1993年夏以降、首相が短期間で頻繁に交代しているのである。
表2-4   米ソ冷戦終結後の現代の短命な日本の首相
1991年 11月5日 宮沢喜一内閣(第78代首相)成立(自民党単独政権)…在任期間1年9か月
1993年 8月9日 細川護煕内閣(第79代首相)成立(非自民・共産連立政権)…在任期間8か月
1994年 4月28日 羽田孜内閣(第80代首相)成立(非自民・社会連立政権)…在任期間2か月
6月30日 村山富市内閣(第81代首相)成立(自民・社会・さきがけ連立政権)…在任期間1年5か月
 自由民主党と社会党が誕生した1955年以降、日本の政治は、55年体制が続いていた。
 しかし米ソ冷戦の終結によって、日本の政治体制も大波を被ることになったのである。
 1993年8月9日、細川内閣が成立した。細川内閣の誕生には、自民党を離党した小沢一郎が最も大きな役割を果たしたのは周知の通りである。自民党と、小沢一郎が事実上率いる連立与党との対立構造が完成した。わたくし(管理人)は、これを“55年体制”にならって、“93年体制”と命名しておく。
 しかし、93年体制は1年しか続かなかった。細川・羽田の2つの内閣は、細川内閣は首相のスキャンダルによって、羽田内閣は社会党の連立政権離脱により崩壊したのである。
 非自民連立政権から離脱した社会党は自民党と連立を組み、1994年6月30日に村山内閣が成立、今度は“94年体制”が誕生した。こちらは自民党VS新進党という対立の構図である。94年体制は1994年12月10日の新進党の結成によって完成したといえる。
 94年体制は4年間持ちこたえた。これが崩壊したのは、1997年12月27日、党首選後の混乱により新進党が解党したのが最大の要因である。続いて1998年4月27日、新進党からの離党者が合流して拡大した民主党が誕生し、最後に1998年6月1日、連立与党だった社民党と新党さきがけが自民党に連立政権における閣外協力関係の解消を通告したために、“94年体制”は完全に崩壊し、“98年体制”が誕生した。すなわち自民党と民主党の対立構造である。
 それぞれの体制における対立の構図を箇条書きすれば、以下のようになるか。

 ・55年体制 自民VS社会
 ・93年体制 自民VS非自民・共産(社会・新生・日本新・さきがけ・公明など)
 ・94年体制 自民・社会VS新進
 ・98年体制 自民・公明VS民主

 年表に表せば、以下のようになるか。


表2-5   1993年以降の日本の主な政党の動向
1993年 6月18日 宮沢内閣不信任案、自民党の造反議員により可決。衆議院解散
7月18日 衆議院選挙。日本新党新生党などの新党躍進、社会党大敗
8月9日


93




細川護煕内閣(第79代首相。日本新党)成立(日本新・新生・さきがけ・社会・公明・民社連立政権)
1994年 4月25日








94







日本新・新生・公明・民社党など、グループ「改新」を発足。社会党は除外
4月26日 社会党、改新の発足に反発し連立政権より離脱
4月28日 羽田孜内閣(第80代首相。新生党)成立(非自民・社会連立政権)
6月30日 村山富市内閣(第81代首相。社会党)成立(自民・社会・さきがけ連立政権)
12月10日 グループ「改新」の勢力、新進党結成。党首海部俊樹
1996年 1月19日 日本社会党、社会民主党に党名変更
9月28日























98



















新進党・社会党・新党さきがけなどからの離党者が民主党結党。代表菅直人・鳩山由紀夫
1997年 12月27日 党首選後の混乱により新進党解党
1998年 1月6日 新進党の中核メンバーにより自由党結党。代表小沢一郎
4月27日 新進党からの離党者が合流して拡大した新・民主党結党。代表菅直人
6月1日 連立与党だった社民党と新党さきがけ、自民党に、連立政権での閣外協力関係の解消を通告
1999年 1月14日 自民党と自由党の連立政権(小渕改造内閣)が発足
10月4日 自自連立政権に公明党が参加
2000年 4月1日 自自公連立政権から自由党が離脱。その過程において自由党は分裂、政権残留議員は保守党を結成。党首扇千景
2002年 12月25日 保守党に民主党から離党者が合流し保守新党結成。代表熊谷弘
2003年 9月26日 自由党、民主党に合流
11月9日 衆議院選挙。保守新党惨敗し解党
2005年 8月17日 郵政民営化関連法案に反対した自民党と民主党からの離党議員により国民新党結党。代表綿貫民輔
8月18日  新党大地結党。代表鈴木宗男
8月21日 郵政民営化関連法案に反対した自民党と民主党からの離党議員により新党日本結党。代表田中康夫
9月11日 衆議院選挙。自民党大勝
2009年 8月8日 自民党と民主党からの離党議員によりみんなの党結党。代表渡辺喜美
8月30日 衆議院選挙。自公連立政権は民主党に大敗
9月16日 鳩山由紀夫内閣(第93代首相)成立(民主・社民・国民新の連立政権)
2010年 4月10日 自民党からの離党議員によりたちあがれ日本結党。代表平沼赳夫
4月18日 地方公共団体の首長や首長経験者らが日本創新党を結成。党首山田宏
4月19日 地域政党大阪維新の会が結党。代表橋下徹
4月23日 改革クラブ、新党改革に党名変更。代表舛添要一
5月31日 社民党、鳩山政権の在日米軍沖縄基地問題への姿勢に反発し連立政権より離脱
6月4日 民主党新代表に管直人を選出、第94代首相に指名
2011年 9月2日 野田佳彦内閣(第95代首相)成立(民主・国民新の連立政権)
12月30日 民主党からの離党議員により新党きづな結党。代表内山晃
2012年 7月11日 消費税増税法案に反対した民主党からの離党議員により国民の生活が第一結党。代表小沢一郎
9月12日 大阪維新の会を母体として日本維新の会結成。代表橋下徹
11月13日 「たちあがれ日本」を母体として太陽の党結成。共同代表石原慎太郎・平沼赳夫
11月18日 日本維新の会に太陽の党が合流。代表石原慎太郎・代表代行橋下徹
11月29日 日本未来の党」結成。代表嘉田由紀子。「国民の生活が第一」「減税日本・反TPP・脱原発 を実現する党」が合流
12月16日 衆議院選挙。民主党大敗、自民党大勝、日本維新の会躍進


 以上のように、小さな政党の誕生と消滅は起きているが、大きな枠での“98年体制”は現在まで続いている。



 さて、1920年代と1990年代では、政治家の質に格段の差があると言っていいだろう。
 中西輝政『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書、1998)には、


「大正一〇年に暗殺された原敬や昭和一五年まで生きた西園寺公望などは、かろうじて古い時代の教訓を新しい形で伝えようという姿勢を維持していたが、加藤、幣原、若槻の世代になると、明治の元勲といわれた人々と比べ、明らかに政治家としては「甘さ」と「軽さ」があった。
(中略)
 どうして明治の元勲世代が、これだけ自分たちと異なるタイプの人間に未来を託したのか、考えれば考えるほど不思議な気がする」(213-214頁)


とある。
 塩田潮氏は『バブル興亡史』(日経ビジネス人文庫、2001)において、


「70年前と現代を比べて、もう1つ大きな違いがある。危機に直面したときの政治リーダーの質の差である」(413頁)


 と述べている。
 1920年代当時の政治家は、しかしそれでも、いかにも政治家に相応しい立派な大人物ばかりだった。原敬にせよ、No.3で述べる高橋是清にせよ、No.4で述べる浜口雄幸、犬養穀にせよ、いずれもそうだろう。
 しかし冷戦終結後の1990年代では、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、細川護煕、羽田孜、村山富市と、強いリーダーシップを持っているとは到底言えない人物が首相の座に就き、短期間で辞めていった。政治家の質がますます小粒化したのである。


 このように、1923年=1995年までの数年間は、全体的に見て、対称できる事項(パーツ)が不足している空白期なのである。
 そのパーツ不足を一気に解消したのが、関東と阪神の両大震災だった。

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