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歴史はなぜ繰り返すのか  対称年表と近代70年サイクル・No.6
(文中敬称略)
開設    2006(平成18)年11月4日
(この間省略)
更新    2009(平成21)年8月17日
更新    2010(平成22)年3月15日
更新    2010(平成22)年11月7日
更新    2011(平成23)年11月27日
更新    2011(平成23)年12月24日
最新更新 2012(平成24)年6月17日  

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No. 8
対称年表 1918-1929/1989-2001
対称年表 1929-1935/2001-2007
対称年表・参考文献

対称年表と近代70年サイクル No.6 目次
第2部 近代70年サイクル・1919年以前
▼先駆者の軌跡―西洋の覇権周期編
▼文明の800年周期説
▼近代70年サイクルとは
▼近代70年サイクル内の推移
▼対称できるのは戦前の歴史だけではない
▼なぜ政治の頂点が先、経済の頂点が後なのか
▼第1周期(1763〜1815)
▼第2周期(1815〜1871)

歴史はなぜ繰り返すのか  対称年表と近代70年サイクル・No.5に戻る
 第2部 近代70年サイクル・1919年以前

▼先駆者の軌跡―西洋の覇権周期編
 世界の歴史には、70年の間隔で変遷する周期―サイクルがあるようだ。
 記述を進めてゆくにつれて、ますますトンデモ本ならぬ、トンデモウェブサイトの領域に足を突っ込みかけていっている気がしないでもないのだが、あえて未知の領域へ記述を進めていきたいと思う。
 まず、サイクルの代表的な提唱者・研究者であるコンドラチェフ、モデルスキー、ウオーラーステイン、キンドルバーガーを取り上げ、それぞれの文明サイクルに就いての研究の内容について概観する。
 以下、
松本和男『中国は21世紀を制する』(東洋経済新報社、1994)
浅井隆『日本発世界大恐慌はやってくるか』(第二海援隊、1998)
 を参考に見ていきたい。

 ニコライ・ドミトリエヴィチ・コンドラチェフ(1892-1938)はソ連の経済学者である。彼は1925年に論文「景気波動の長波」を発表した。
 以下、
・コンドラチェフ『コンドラチェフ 景気波動論』亜紀書房、1978
有山道夫『経済変動の解明』(ミネルヴァ書房、1992、75-84頁)
安宅川佳之『コンドラチェフ 波動のメカニズム』(ミネルヴァ書房、2000、22-23頁)
 を元に説明してゆきたい。
表6-1    コンドラチェフの波(『コンドラチェフ 景気波動論』120頁より作成)
拡張期間 後退期間 周期
第1波 1789年 (25年) 1814年 (35年) 1849年 60年
第2波 1849年 (24年) 1873年 (23年) 1896年 47年
第3波 1896年 (24年) 1920年 - - -
以下は予想
第3波 - - - (12年) 1932年 36年
第4波 1932年 (25年) 1957年 (23年) 1980年 48年
 表の中で「以下は予想」となっているのは、コンドラチェフは1925年に論文を発表した際、1980年までの景気波動の予測もしていたのだが、1932年にシベリア流刑になってしまい、1938年に処刑されたからである。
 ちなみに「コンドラチェフ波動」とは、コンドラチェフ自身が命名したのではなく、ヨーゼフ・A・シュムペーター(1883-1950)によって命名されたものらしい。

 安宅川佳之『コンドラチェフ 波動のメカニズム』23頁によると、コンドラチェフは、資本主義には三つの景気波動が存在するとしている。

・コンドラチェフ波動(長期循環、技術革新による)約48〜60年周期
・ジェグラー波動(発見者C・ジェグラーより命名。主循環、設備投資の変動による)約7〜10年周期 
・キチン波動(発見者J・キチンより命名。短期循環、在庫投資の変動による)約3〜4年周期 

 さらにこの他にも、有山道夫『経済変動の解明』84-87頁、森一夫『日本の景気サイクル』(東洋経済新報社、1997)142-143頁によると、

・クズネッツ波動(発見者S・クズネッツより命名。中期循環、建設投資の変動による)約15〜25年周期

という波動があるようだ。
 日本経済新聞社編『歴史から読む現代経済』(日本経済新聞社、2005)には、


『経済の動きが定型的な「循環」として認識されたのが十九世紀の半ばである。「商業循環」という言葉が初めて使われたのは一八三三年、生産量について「循環的」という言葉が初めて使われたのは一八三七年だった。約十年周期の景気循環を発見した仏のジュグラーの著作が出たのは一八六〇年である』(37頁)


 とある。

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                             工事中
               この部分はまだ作成中です。ご迷惑をおかけしております。
               完成まで今しばらくお待ち願います。  m(__)m 



 イマニュエル・ウォーラーステインの『世界システム』論をとりあげてみよう。
 近代以降の歴史において、覇権国はイタリア(ベネチア)→スペイン・ポルトガル→オランダ→イギリス→アメリカと交代してきたという( 頁)。

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 ジョージ・モデルスキーの『世界システムの動態ー世界政治の長期サイクル』(晃洋書房、1991)12-14頁によると、世界史を大きく動かす要因として、まず「グローバル大国」(Global Powers)がある。グローバル大国は、近代世界システムが西暦1500年前後に成立した以降の5世紀間を通じて、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリス、アメリカ、ドイツ、ソ連、日本の9か国しか存在していないという。
 グローバル大国には3種類ある。まず、政治・経済・文化の中心であり、特に軍事的に優位に立ち、世界を統べる「世界大国」(Would Power)がある。
 一方、世界大国に相対(あいたい)し、挑戦する、成長途中のライバル国がある。これを「挑戦国」(Challenger)と呼ぶ。
 世界大国と挑戦国以外の国は、残りの範疇に属する「他のグローバル大国」と呼ぶ。
 ちなみに、「挑戦国」がみな「世界大国」になれるわけではない。「世界大国」との戦いに敗北し、「挑戦国」のままで終わってしまった国家は、フランス、ドイツ、ソ連…といくつも例があるのだ。
 モデルスキーによる世界大国と挑戦国の変遷は、表の通りである。

表6-2      モデルスキーによるヘゲモニー・サイクル(ジョージ・モデルスキー『世界システムの動態』54頁の表より作成)
グローバル戦争 世界大国の座 正統性の喪失 力の分解 挑戦国
ポルトガルのサイクル イタリア戦争とインド洋戦争(1494〜1516年) 1516〜39年 1540〜60年 1560〜80年 スペイン
オランダのサイクル スペイン・オランダ戦争(1580〜1609年) 1609〜39年 1640〜60年 1660〜88年 フランス
イギリスの第一次サイクル ルイ14世の戦争(1688〜1713年) 1714〜39年 1740〜63年 1764〜92年 フランス
イギリスの第二次サイクル フランス革命とナポレオン戦争(1792〜1815年) 1815〜49年 1850〜73年 1874〜1914年 ドイツ
アメリカのサイクル 第1次世界大戦(1914〜18年)、第2次世界大戦(1939〜45年) 1945〜73年 1973〜2000年 2000〜30年 ソ連


 ある国家が「世界大国」「挑戦国」に“なれる”基準には、どのようなものがあるのだろうか?
 「世界大国」の条件については、モデルスキーが『世界システムの動態』312-320頁で語っている。箇条書きにすると、

・島国性
・安定性と開放性のある社会
・経済的リーダーシップ
・地球大に達する政治・戦略組織

とある。
 「挑戦国」の条件についても、モデルスキーが『世界システムの動態』320-322頁で語っている。これも箇条書きにすると、

・明らかに島嶼ではない
・国内が不安定
・経済は豊かだが、世界大国と比べれば不十分だった
・海上権力に取り組んだが、失敗した

とある。
 「挑戦国」の最後の定義にわたくし(管理人)の言葉を付け加えるならば、フランス以降の挑戦国、すなわちドイツとソビエト連邦は内陸国家である。海洋国家ではない。そして独ソ両国とも、海洋国家であるイギリスとアメリカに対抗するために、自国の海軍を増強させた結果、国家財政が破綻し、挑戦国の座から転落しているのである。
 「世界大国」と「挑戦国」が交替するパターンは次の通りである。

・世界大国が衰退してゆく。
・世界大国の衰退により力の均衡が崩れ、空白が生まれる
・国力を付けた挑戦国が世界大国に実際に“挑戦”を挑む

 などの理由により、世界大国と挑戦国が直接対峙する「グローバル戦争」(『世界システムの動態』59-64頁)が起こる。その結果、再び新たな世界大国が誕生することになる。

 次に、C.P.キンドルバーガー『経済大国衰亡史 1500―1990 上・下』(岩波書店、2002)を見てみよう。
 同著には、西欧世界の覇権…すなわちヴェネチア、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカ…と回転する歴史が述べられ、最後には日本も少し述べられている。
 西洋文明の覇権サイクルにおいて、覇権はイタリア(ヴェネチア)→スペイン→オランダ→イギリスと移動していったが、キンドルバーガーは『経済大国興亡史 1500‐1990 上』183頁において、この移動は時計回りの円を描いているものだと指摘している。

▼文明の800年周期説
 続いて、村山節(むらやま・みさお、1911-2004?)が提唱している文明800年周期説について概観したい。
 村山によれば、東洋と西洋の文明は、DNAの二重螺旋のように800年周期で繁栄と衰退を繰り返しているというのである。
 東洋が繁栄している時代、裏返しの西洋は没落している。当然西洋が繁栄している時代は、裏返しの東洋は暗黒の時である。文明の覇権はこれを延々と繰り返しており、その周期が800年なのである。
表6-3      文明の800年周期説(村山節・浅井隆『文明と経済の衝突』(第二海援隊、1999)冒頭の折込年表及び70-71頁の表に管理人(攻勢終末点)が加筆して掲載)
800年周期 覇権期の文明(覇権の推移) 没落期の文明 各文明の著しい特徴
紀元前3600〜2800年 西洋 東洋 特に霊的文明
2800〜2000年 東洋(アッカド→シュメール文明→インダス文明→バビロニア) 西洋 都市毎の司祭者と貴族の文明
2000〜1200年 西洋(エジプト古王国→中王国→新王国→ヒッタイト) 東洋 司祭者王権の文明
1200〜400年 東洋(アッシリア→殷→周→ペルシア帝国) 西洋 宗教教義の組織化
紀元前400〜紀元後400年 西洋(ギリシャ→ローマ帝国) 東洋 市民共和制…大帝国
400〜1200年 東洋(唐→宋、ササン朝ペルシャ→サラセン帝国、モンゴル帝国) 西洋 美術、芸術の隆盛
1200〜2000年 西洋(ヴェネチア→スペイン・ポルトガル→オランダ→イギリス→アメリカ) 東洋(西洋に植民地化される) 学術、科学技術、機械と工業化
※なぜ800年周期なのだろうか?…メンデレーフの元素周期律表も8番目と16番目は似た性質を持っている(浅井隆・林英臣『超恐慌』、総合法令、1994、14頁)と言うが…

 詳細は、村山節・浅井隆『文明と経済の衝突』(第二海援隊、1999)を参照して頂きたい。村山の著作は他にもあるが(詳しくは国立国会図書館のウェブサイトで検索してほしい)、現在容易に手に入り、なおかつ800年周期説が簡潔に分る書籍は同著が最適のようである。

 この800年周期説に従えば、前述したコンドラチェフ、モデルスキー、ウォーラーステイン、キンドルバーガーらは、800年周期における西洋文明内の覇権交代について語っていることになる。
▼近代70年サイクルとは
 近代70年サイクルとは、わたくし(管理人)が独自に付けた名称である。上述したコンドラチェフ、モデルスキー、ウォーラーステイン、キンドルバーガーらの提唱したサイクル(周期)とも若干異なっている。
 下の表がそれである。
表6-4      近代70年サイクルの大まかな流れ
各周期 起点と終点(所要年数) 世界大国 挑戦国 周期境界戦争
第1周期 1763〜1815(52年間) イギリス フランス ナポレオン戦争(1799〜1815)
第2周期 1815〜1871(56年間) イギリス なし(消滅) 普仏戦争(1870〜71)
第3周期 1871〜1945(74年間) イギリス→アメリカ ドイツ 第2次世界大戦(1939〜45)
第4周期 1945〜201?(?年間) アメリカ ソ連→中国?
 近代70年サイクルは、52-74年の幅を持つ各周期によって構成される。周期の境界には、世界大国と挑戦国とのあいだで、決着を付ける大戦争である「周期境界大戦」(モデルスキーの言う「グローバル戦争」)が起きるが、「大戦」とは呼べない戦争(普仏戦争がそれだ)もある。
 各周期の幅は、52年、56年、74年と、ずれがある。平均すると60.666666・・・年となる。一概に“70年”とは断定できないのである。
 しかし、それも必然なのだろう。歴史のサイクルは定規のように厳密に計れるものではなく、ゴムのように(ある程度は)柔軟に伸縮自在なものなのだろう。すなわち、全ての物事とヒトの思考がデジタル化できるわけではなく、そしてそんなアナログな人間によって創られる歴史もまたアナログなのだろう。
 ここで、さまざまな歴史の周期についてまとめておこう。

表6-5     主な歴史の周期の一覧
発見者・提唱者 主な内容
800年周期 村山節 東洋と西洋の文明は、800年周期で繁栄期と衰退期が交代する
サーカーの社会循環の法則 プラバード・ランジャン・サーカー 時代の主役は武人のサイクル→知識人のサイクル→富裕人のサイクル→武人のサイクル・・・という順番で移り変わる
70年周期 管理人(攻勢終末点) 各周期は52-74年の幅を持つ
各周期の境界には「周期境界大戦」が起こる場合が多い
60年周期 堺屋太一
コンドラチェフ波動(長期循環)
約48〜60年周期
ニコライ・ドミトリエヴィチ・コンドラチェフ 技術革新による
クズネッツ波動(中期循環)
約15〜25年周期
クズネッツ 建設投資の変動による
ジェグラー波動(主循環)
約7〜10年周期
C・ジェグラー 設備投資の変動による
キチン波動(短期循環)
約3〜4年周期
J・キチン 在庫投資の変動による

▼近代70年サイクル内の推移
 各周期内の推移を見てみよう。
 表にした場合、下の表のようになるか。
表6-6      近代70年サイクル・各周期内の推移と決まりごと
各周期内の推移と決まりごと 第1周期
(1763〜1815年、52年間)
第2周期
(1815〜1871年、56年間)
第3周期
(1871〜1945年、74年間)
第4周期
(1945〜201?)
世界大国と挑戦国との間で周期境界戦争が起こる 7年戦争(イギリスVSオーストリア・フランス・スペイン・ロシア。1756〜1763) ナポレオン戦争(1799〜1815) 普仏戦争? 第2次世界大戦(1939〜45)
周期境界戦争の後始末 パリ条約(1763) ウイーン会議(1814〜15) フランクフルト条約(1871年) ニュールンベルク裁判(1945〜46)、東京裁判(1946〜48)、サンフランシスコ講和会議(1951)
挑戦国は、周期境界戦争の敗北のため悲惨な目に遭う 不明 仏の政体は三転(1815ブルボン朝復位→1830七月王政誕生→1848第2共和政誕生→1852第2帝政誕生) 前の周期では挑戦国が存在しなかったため、なし ドイツは世界大国アメリカと新挑戦国ソ連によって国土と首都を分割占領される
新しい世界秩序ー世界システムが誕生 イギリス第1帝国(大西洋帝国)の完成 ウィーン体制 主な列強(米英独仏伊日)が近代的政体に移行し、世界の覇権争いに参入する 米ソ冷戦構造の誕生
新しい世界大国が誕生 イギリス イギリス(第2次サイクル) イギリス→アメリカ(周期の途中で平和裏に覇権が移行) アメリカ
新しい挑戦国が誕生 フランス なし(もしくはドイツ?) ドイツ ソビエト連邦(周期の末期で中国へと移行?)
新しい通貨システムが誕生 不明 イギリス、金本位制を採用(1816。実施は1821) 列強が金本位制を採用(1871独、1876仏、1897日、1900米) 米ブレトンウッズ会議(1944)、IMF設立を決定(ブレトンウッズ体制)
世界大国、「辺境戦争」に手こずる アメリカ独立戦争(1775〜83) 不明 ボーア戦争(1899〜1902) ベトナム戦争(1964〜75)
通貨システムが一時的に崩壊 不明 不明 第1次世界大戦により金本位制一時停止 スミソニアン体制(1971)、固定相場制崩壊・変動相場制へ移行(1973)
世界秩序―世界システムが一時的に崩壊 アメリカの独立により、イギリス第1帝国(大西洋帝国)が崩壊(1783) 1848年の革命によりウィーン体制崩壊 第1次世界大戦(1914〜18) 米ソ冷戦構造の崩壊(1989)
世界大国が繁栄を謳歌 ワット、蒸気機関を発明(1765)。以降産業革命が進展 ロンドン万国博覧会開催(1851)
大英帝国の絶頂
怒涛の20年代(ローリング・トゥエンティーズ)(1923?〜29) ニュー・エコノミー(1995?〜2001)
挑戦国で混乱が発生 フランス革命(1789〜) なし 第1次世界大戦に敗北(1918)、帝政から共和制に移行、その後のハイパーインフレ(1923〜) 冷戦に敗北(1989)、連邦崩壊(1991)、その後のハイパーインフレ(1992〜)
世界大国でバブルが崩壊 なし なし ニューヨーク市場暴落による世界恐慌(1929〜) 米同時多発テロ(2001)
米サブプライムローンバブル崩壊(2008)
挑戦国で混乱の中から偉才が誕生し、世界大国にリターンマッチを挑む ナポレオン(1799第一統領就任) ビスマルク(1862首相就任)? アドルフ・ヒトラー(1933首相就任)
世界大国と挑戦国との間で周期境界戦争が起こる ナポレオン戦争(1799〜1815) 普仏戦争(1870〜71。旧挑戦国フランスを新挑戦国ドイツが破る)? 第2次世界大戦(1939〜45)
 詳細に検討していこう。
 上の表の通り、近代70年サイクル第1周期(1763〜1815年)の終わりには、第1周期の世界大国イギリスと挑戦国フランスとの間で、ナポレオン戦争が勃発した。後述するが、薬師寺泰蔵『テクノヘゲモニー』(中公新書、1989)8頁・78頁では、ナポレオン戦争は「第ゼロ次世界大戦」だったと述べられている。
 近代70年サイクル第3周期(1871〜1945年)の終わりには、第3周期の世界大国アメリカと挑戦国ドイツとの間で、第2次世界大戦が勃発した。

 近代70年サイクル第2周期(1815〜1871年)は、こうして見てみると、以下の点において、他の周期とは異なっている。
 第1に、挑戦国が消滅してしまった点。
 第2に、挑戦国が消滅したためか、挑戦国の異才が引き起こす(ことが多い)周期境界戦争が発生しなかった点。
 第3に、周期の末期に世界大国(イギリス)でバブルが崩壊しなかった点。代わりに、次の第3周期のはじめの1873年にアメリカで恐慌が発生している。

 周期境界戦争が終結すると、後始末もせねばならない。すなわち講和条約の締結などである。
 この周期境界戦争の結果、新しい世界大国と、新しい挑戦国が登場してくることになる。が、第1周期から、第3周期の途中まで、世界大国は一貫してイギリスだった。挑戦国はフランス→ドイツと変遷しているが。
 かくして、新しい世界大国と新しい挑戦国によって、新しい世界秩序が完成する。この段階に至るまで、最も遅い第4周期(1945〜現在)では、10年ほどかかっている。
 以降、周期内の歴史は、新しい世界大国と新しい挑戦国の抗争を軸にして進展していくことになる。

 付け加えておくと、周期境界戦争の結果、新しい通貨システムも誕生している。近代70年サイクル第2周期のはじめには、イギリスが金本位制を採用している。近代70年サイクル第3周期の始めには、列強各国が金本位制を採用している(1871年ドイツ、1876年フランス、1897年日本、1900年アメリカ)(金本位制については、鯖田豊之『金が語る20世紀』中公新書、1999、47-53頁を参考)。

 『世界大国が「辺境戦争」に手こずる』というポイントの具体的な説明は、No.7で後述したい。ちなみに「辺境戦争」という概念は、No.5の「▼満州事変とイラク戦争」の項でも前述したが、中西輝政『大英帝国衰亡史』(PHP文庫、2004)による。



 これを読まれた、ホームページを閲覧している方々からは、近代70年サイクル第1周期のスタート以前、すなわち1748年以前はどうなっているのかと疑問が出よう。そのため、わたくしは歴史を過去へ溯ってみたのだが、溯ってゆくにつれ、果たして対称しているのかどうか、どんどん怪しくなってゆくのである。
 例えば1720年9月の、イギリスのバブル崩壊(南海泡沫会社事件)(『日本発「世界大恐慌」はやってくるか』128頁にも記述がある)は、「世界大国でバブルが崩壊」というフェイズにぴたりと該当するようにも見える。
 しかし、その後大戦がすぐに起きていない。オーストリア継承戦争の開戦は1740年、さらに7年戦争の開戦に至っては1756年で、バブル崩壊よりも36年も後の出来事なのである。
 1748年以前の対称が不明確になっていく理由について、わたくし(管理人)には思い当たる点がある。どうやらこの70年サイクルは、近代特有の産物のようなのである。
 松本和男『中国は21世紀を制する』46頁には、「ヘゲモニー・サイクルが観察されるようになったのは近代世界システムが成立するようになってからである。近代世界システムがいつごろ成立したかについては『大航海時代』の1500年前後を一応のメドとすることが多い」とある。
 モデルスキー『世界システムの動態』26頁は、グローバル政治システムは1500年頃に出現したとしている。147頁には、「長期サイクルの研究者にとって、近代世界の歴史は、1494年に始まる」とある。
 具体的には、村井章介『海から見た戦国日本』(ちくま新書、1997)によると、


「ここでは、本書のテーマに直接かかわるI.ウォーラーステインの『世界システム』論をとりあげてみよう(※原註、川北稔訳『近代世界システムー農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立』T・U巻、岩波現代選書、1981)。(中略)
 近代以前の世界経済は構造的にきわめて不安定で、まったく世界帝国に転化してしまうかまったく分解してしまうか、いずれかの道をたどった(※原註、U巻280頁)。しかし16世紀にスペイン・ポルトガルが地球を一周して、地球規模の連関を作り上げたことを端緒に成立した。近代世界システム=資本主義世界経済は、主導権こそイベリア両国からオランダ・イギリス(とくに後者)そしてアメリカへと移ったものの、システムそのものは500年間も存続し、発展をとげながら現在にいたっている。
 数ある世界システムのなかで、資本主義世界経済のみが他に例をみない生命力を保ちえたのは、内部に分立する政治システムとしての国民国家ないしその連合体が、その支配領域に対応する自己完結的な経済システムを作ることができず、どの国家や国家連合の経済も、資本主義世界経済に組みこまれるかたちでしか存立できなかったからだ。
(中略)
 したがって個々の国民国家には栄枯盛衰があっても、資本主義世界経済そのものは発展を続けることができた。そのよい例は、イギリスの産業革命とイベリア両国の辺境化であろう」(11-12頁)


 とある。
 ではなぜ、近代になって70年サイクルがより一層、はっきりと、明確に表れてきたのだろうか?
 それは、技術(テクノロジー)の発達のためだろう。
 もっとはっきり言えば、通信技術の発達と交通機関の高速化により、世界全体がネットワークで緊密に結ばれたため、各地で発生する1つ1つの個別の出来事であったとしても、世界全体に大きな影響を与えるようになったためだろう。
 これらの技術革新の歴史は、すべてイギリス産業革命から始まったと断言してもよいであろう。
 なのでわたくし(管理人)は、これを“近代70年サイクル”と呼称したいのである。
 
▼近代70年サイクル内における日本の歴史
表6-7     近代70年サイクル内における日本の歴史のパターン
近代70年サイクル第3周期(1871〜1945年、74年間)(日本にとっては第1周期) 近代70年サイクル第4周期(1945〜201?)(日本にとっては第2周期)
周期境界戦争 戊辰戦争(1868〜69) 大東亜戦争(1941〜45)
日本の重要な出来事 1867年(大政奉還、江戸幕府滅亡) 1945年(大東亜戦争に敗北)
世界の周期境界 1871年(普仏戦争終結) 1945年(第2次大戦終結)
周期境界から約15年で政治体制が確立される 1871年から14年…1885年、内閣制度成立。初代内閣総理大臣に伊藤博文就任 1945年から10年…1955年、55年体制成立
1871年から18年…1889年、大日本帝国憲法発布 1945年から15年…1960年、日米安保条約締結
周期境界から約30〜40年で“政治・外交の頂点”を極める 1871年から34年…1905年、日露戦争勝利 1945年から27年…1972年、沖縄返還・日中国交正常化
1871年から40年…1911年、関税自主権を回復(不平等条約の解消) 1945年から30年…1975年、第1回先進国首脳会議(サミット)に参加
バブル景気がはじまる 1871年から45年…1916年、大戦景気(大戦ブーム)はじまる 1945年から40年…1985年、プラザ合意
既存の世界システムが変更される 1871年から48年…1919年、第1次大戦終結 1945年から44年…1989年、米ソ冷戦終結
周期境界から約50年で“経済の頂点”を極める 1871年から48年…1919年、大戦景気絶頂 1945年から44年…1989年、バブル絶頂
バブル景気が崩壊する 1871年から49年…1920年、戦後恐慌(反動恐慌) 1945年から45年…1990年、東京市場下落はじまる
大地震が発生する 1871年から52年…1923年、関東大震災 1945年から50年…1995年、阪神大震災
金融恐慌が発生する 1871年から56年…1927年、金融恐慌 1945年から52年…1997年、平成金融危機
改革を標榜する首相が登場する 1871年から58年…1929年7月、浜口雄幸が首相に就任 1945年から56年…2001年4月、小泉純一郎が首相に就任
世界大国で大恐慌が発生し、それに引きずり込まれて日本経済は奈落の底に転落する  1871年から58年…1929年10月、ニューヨーク株式市場暴落 1945年から56年…2001年9月、 米同時多発テロ

 一方、今回の近代70年サイクル第4周期(1945〜201?)と、前回の近代70年サイクル第3周期(1871〜1945)の相違点を挙げてみると、

・ドイツとソ連…ソ連は世界大国(アメリカ)に対し開戦せず。よって敗戦国の崩壊の度合いが違う。
・日英同盟と日米安保…日米安保は破棄されず。
・アメリカで恐慌発生せず、代わりに大規模テロが発生。

 となろう。

 兵頭二十八は『「日本有事」って何だ』(PHP研究所、2000)において、


「戦後の日本の『国家総動員』『総力戦体制』は、環境が『所与かつ不変』なときに最もうまく機能した。(中略)この不動の環境下では、日本の昔ながらのムラ的な集団統制体制が活きる。(中略)それこそが1980年代までの日本の成功の秘訣だったし、同時に1990年代の『敗戦』の主因だ」(40頁)


と述べている。
 従来の世界の枠組みが一端激変してしまった後では、もはや有効な対策が持てないまま、ずるずると敗戦に向けて滑落していった一方だったのだろう。

▼なぜ政治の頂点が先、経済の頂点が後なのか
 それぞれの成果が頂点に達する順番は、なぜ政治→経済→文化の順なのだろうか。
 詳しく述べると、国家(統治機構、システム)の建国(立ち上げ)、確立・安定には、膨大なエネルギーが必要なのである。その成果を、建国に携わった世代以降の人間は越えることが出来ないのだろう。
 これらの国を立ち上げた人々(創業者、第一世代とも言える)が死去した後は、地獄に転落するのみのようである。齋藤健『転落の歴史に何を見るか』(ちくま新書、2002)の記述の基盤に流れる問題意識も同様のようである。
 同著に従って述べると、1868年の明治維新当時、西郷隆盛は40才(1828生)、大久保利通は38才(1830生)、山県有朋は30才(1838生)、伊藤博文は27才(1841生)、桂太郎は20才(1848生)だった。ちなみに明治天皇は16才(1852生)だった。
 一方、1945年の第2次大戦敗戦当時、吉田茂は67才(1878生)、鳩山一郎は62才(1883生)、岸信介は49才(1896生)、佐藤栄作は44才(1901生)だった。ちなみに昭和天皇は44才(1901生)だった。

 さらに、No.3で前述した「サーカーの社会循環の法則」を使えば説明がつくと思われる。すなわち、軍人のサイクル→知識人のサイクル→富裕人のサイクルである。
 この「サーカーの社会循環の法則」を、日本の近代70年サイクル第1周期に当てはめてみれば、

軍人のサイクルは1853年(ペリー来航)から1871年まで。
知識人のサイクルは1871年から1912年7月(明治天皇崩御)まで。
富裕人のサイクルは1912年から1931年(満州事変勃発)まで。
軍人のサイクルは1931年から1945年まで。

 となるか。
 さらに日本の近代70年周期第2サイクルに当てはめれば、

知識人のサイクルは1945年から1972年(田中角栄内閣誕生)まで。
富裕人のサイクルは1972年から2003年(イラク戦争開戦)まで。
軍人のサイクルは2003年から現在まで。

 となるか。
 表にすれば、下のようになるか。
表6-8     日本の近代70年サイクル
近代70年サイクル第2周期(1815〜1871年、56年間)(日本にとっては周期参入以前) 近代70年サイクル第3周期(1871〜1945年、74年間)(日本にとっては第1周期) 近代70年サイクル第4周期(1945〜201?)(日本にとっては第2周期)











1885年12月、内閣制度成立。初代内閣総理大臣伊藤博文就任 1955年、55年体制成立
1889年2月、大日本帝国憲法発布 1960年、日米安保条約締結反対運動(60年安保闘争)
1905年、日露戦争勝利 1968〜69年、学園紛争(東大紛争など)
1911年1月、大逆事件で幸徳秋水らに死刑執行 1970年11月、三島由紀夫自決
1911年6月、関税自主権を回復。不平等条約解消 1972年2月、あさま山荘事件
1912年7月、明治天皇崩御。乃木希典自決 1972年5月、沖縄返還











1913年、大正政変により第3次桂太郎内閣総辞職 1972年7月、田中角栄内閣誕生
1914年、シーメンス事件 1976年、ロッキード事件
1915年、大戦景気はじまる 1985年、プラザ合意。バブル景気はじまる
1919年、大戦景気絶頂 1989年、バブル絶頂










1853年、ペリー率いるアメリカ艦隊来航 1923年、関東大震災 1995年、阪神大震災
1860年、桜田門外の変 1931年、満州事変起こる 2003年、イラク戦争開戦
1864年、下関戦争 1937年、支那事変起こる 2011年、東日本大震災
周期境界戦争 戊辰戦争(1868、1〜69、6) 大東亜戦争(1941〜45)
周期境界 1868年(大政奉還、江戸幕府滅亡) 1945年(大東亜戦争に敗北)

以下、世界史を近代70年サイクルという観点から捕らえ直し、辿ってみたい。
▼第1周期(1763〜1815) 覇権国・イギリス、挑戦国・フランス
表6-9   第1周期(1763〜1815)の大まかな流れ
●周期の前段階
年・月 出来事
1720、9 英の南海バブル崩壊
1732 北米にイギリスの13植民地成立
1740、12 オーストリア継承戦争(オーストリア・イギリス・オランダVSフランス・スペイン。〜48、10)
1748、10 アーヘンの和約。オーストリア継承戦争終結
1756、8 7年戦争(イギリスVSオーストリア・フランス・スペイン・ロシア。〜63、2)
1757、6 インドにてブラッシーの戦い(イギリスVSフランス。イギリスの勝利)
●第1周期スタート
1763、2 パリ条約締結(イギリス・フランス和平)。7年戦争終結。イギリス第一帝国(大西洋帝国)の完成
1765 イギリス人ワットが蒸気機関を発明
1774、5 フランス、ルイ15世死。ルイ16世即位(在位〜92)
1775、4 アメリカ独立戦争(〜83、9)
1776、3 アダム・スミス、『国富論』発表
 〃 7 アメリカ、独立宣言
1778、2 フランス、アメリカ合衆国と同盟し対英宣戦
1783、9 パリ条約締結(アメリカ独立戦争終結。イギリス、アメリカの独立を承認。イギリス第一帝国≪大西洋帝国≫の崩壊)
1789、4 アメリカ初代大統領にジョージ・ワシントン就任(在任〜97)
 〃 7 バスチーユ牢獄襲撃、フランス革命はじまる
1793、1 ルイ16世、ギロチンにて処刑される
1804、5 ナポレオン、皇帝となる(フランス第1帝政はじまる)
 〃 8 オーストリア帝国成立
1805、10 トラファルガー海戦(イギリスVSフランス・スペイン)。イギリス勝利
 〃 12 アウステルリッツ会戦(フランスVSロシア・神聖ローマ帝国)。フランス勝利
1806、8 神聖ローマ帝国滅亡
1812、5 ナポレオン、ロシア遠征(〜12、12)するも敗北
 〃 6 米英戦争(〜14、12)
1814、5 フランス、ルイ18世即位(在位〜24)(ブルボン朝復位)
 〃 9 ウイーン会議(〜15、6)
1815、6 ナポレオン、ワーテルロー会戦に敗北。セント・ヘレナへ配流

●総論
●イギリス
 1765年、イギリス人ワットが蒸気機関を発明して以降、産業革命が進展した。
 なぜイギリスが最初に産業革命を成功させることが出来たのかについては、薬師寺泰蔵が『テクノヘゲモニー』(中公新書、1989)50〜77頁で説明している。
 コンドラチェフ・サイクルの第1次は1780年代または1790年代にはじまっている(『中国は21世紀を制する』21頁、コンドラチェフ『コンドラチェフ 景気波動論』亜紀書房、1978より(★それはなぜ?)
 近代70年サイクルもこの付近から開始されたと見てよさそうだ。
 近代70年サイクル第1周期はイギリスの覇権の周期だが、しかし、まだ完全なものではなかった。
 日本経済新聞社編『歴史から読む現代経済』(日本経済新聞社、2005)には、


「十八世紀はフランスの世紀である、と言えば、異論があるかもしれない。十八世紀のフランスと英国は実力が拮抗していたからである。
 (中略)
 『国富論』(一七七六年)で知られるアダム・スミスでさえフランスに留学したのである。当時の英国貴族の師弟はイタリアやフランスに『グランド・ツアー』とよばれる遊学をした。その逆は聞かない。その分、フランスに先進性があったと言えよう」(19頁)


 とある。

●フランス
 周期の後半は、フランス革命のため大混乱となったが、しかし革命のおかげで、自由と平等の精神が全世界に発信されたのだとも言える。
 第1周期の末期における周期境界大戦であるナポレオン戦争は、前述したとおり、薬師寺泰蔵『テクノヘゲモニー』8頁・78頁には、ナポレオン戦争は「第ゼロ次世界大戦」だったと述べられている。

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●江戸時代の日本の固有サイクル

・おかげまいり
 1680年(延宝8年)徳川綱吉が5代将軍に
 1687年(貞享4年)徳川綱吉、生類憐みの令を発布
 1702年(元禄15年)赤穂浪士が吉良義央を討つ
 1705年(宝永2年)おかげまいり
 1707年(宝永4年)宝永地震(東海・南海地震の同時発生)、富士山噴火(宝永火口の誕生)
 1709年(宝永6年)徳川家宣が6代将軍に。新井白石を登用。生類憐みの令を廃止
 
 1771年(明和8年)おかげまいり
 1772年(安永1年)田沼意次が老中に就任
 1783年(天明3年)浅間山大噴火、天明の大飢饉はじまる(〜88年)
 1786年(天明6年)田沼意次失脚
 
 化政文化…文化・文政期(1804年〜1829年)
 1830年(文政13年)おかげまいり
 1833年(天保4年)天保の大飢饉はじまる(〜39年)
 1834年(天保5年)水野忠邦が老中に就任
 1841年(天保12年)水野忠邦の幕政改革(天保の改革)

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 堺屋太一『満足化社会の方程式』(日本経済新聞社、1994)45-49頁によると、日本の江戸時代は、鎖国のため外部要因が存在しなかったため、コンドラチェフの波が明確に観測されるのだと言う。
 長期上昇の第1波は、幕府開設の17世紀初頭から始まり、寛永の末(1640年ころ)まで続いたと言う。1640年ころから経済は下降期に入り、明暦の江戸大火(1657年)や京都大地震(1662年)などが起こったあたりが底だと言う。
 第2波は、ここから始まり、元録の末(1640年ころ)まで続いたと言う。 そして1705(宝永2)年にはおかげ参りが発生している。
 堺屋氏の指摘によれば、おかげ参りは、ほぼ60年周期で、いずれも経済の長期波動が絶頂から下降に入った時期に起きているのだと言う。
 中西輝政『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書、1998)にも、


「お蔭参りが始まるのは、いつもバブルの末期で、もう世の中が『どんづまり』になったと感じられる時期なのである」(170頁)


とある。
 現代に例えるのは安易な発想ではあるが、日本のバブル末期、東京のディスコ「ジュリアナ東京」の“お立ち台”に現れて踊りまくったギャルが当てはまるのだろうか。
 江戸時代の景気循環については、安宅川佳之『コンドラチェフ波動のメカニズム』(ミネルヴァ書房、2000)95〜124頁においても説明されている。

表6-10   江戸時代の景気循環の大まかな流れ
第1周期
1603〜1680年(77年間)
第2周期
1680〜1716年(36年間)
第3周期
1716〜1787年(71年間)
第4周期
1787〜1841年(54年間)
第5周期
1841〜1867年(26年間)
新体制の成立
改革はじまる
1603(慶長8)年、徳川家康が初代将軍に(徳川幕府開く) 1680年、徳川綱吉が5代将軍に 1716(享保元)年、徳川吉宗が7代将軍に(享保の改革) 1787(天明7)年、松平定信の幕政改革はじまる(寛政の改革) 1841(天保12)年、水野忠邦の幕政改革はじまる(天保の改革)
バブル絶頂
お蔭参り 1648〜52(慶安元〜5)年 1705(宝永2)年 1771(明和8)年 1830(文政13)年
天変地異など 由比小雪の乱(1651年)
明暦の江戸大火(1657年)
京都大地震(1662年)
1707(宝永4)年…宝永地震、富士山噴火 1783(天明3)年…浅間山大噴火、天明の大飢饉はじまる(〜88年) 1833(天保4)年、天保の大飢饉はじまる(〜39年)
大塩平八郎の乱(1837年)
1854(嘉永7・安政元)年、安政東海・南海地震
1855(安政2)年、安政江戸地震
1853(嘉永6)年、ペリー率いるアメリカ艦隊、浦賀に来航

▼第2周期(1815〜1871) 覇権国・イギリス→アメリカ、挑戦国・ドイツ
表6-11    第2周期(1815〜1871)の大まかな流れ
年・月 出来事
1814、9 ウイーン会議(〜15、6)、ウィーン体制成立
1815、6 ナポレオン、ワーテルロー会戦に敗北。セント・ヘレナへ配流
 〃 11 パリ条約締結
1823、12 米大統領モンロー、モンロー宣言
1830、7 フランス、革命により7月王政成立(ブルボン・オルレアン家)
1837、6 ビクトリア女王即位(在位〜1901)
1840、5 アヘン戦争(〜42、7)
1848、2 フランス、2月革命により第2共和政成立
 〃 3 ウイーン3月革命によりメッテルニヒ失脚、ウィーン体制崩壊
1851、5 英・ロンドン万国博覧会開催(イギリスの覇権絶頂期)
1852、12 フランス第2帝政成立、ナポレオン3世即位(在位〜70)
1853、7 ペリー率いるアメリカ艦隊、浦賀に来航
 〃 10 クリミア戦争(ロシアVSトルコ。〜56、3)
1854、3 イギリス・フランス、トルコ側に立ちクリミア戦争に参戦
1856、3 パリ条約締結、クリミア戦争終結
1858、11 イギリス、東インド会社を廃止しインドの直接統治を開始。ムガール帝国滅亡
1861、3 イタリア王国成立
 〃 4 アメリカ南北戦争(〜65、4)
1861、1 プロイセン皇帝にヴィルヘルム1世即位(在位〜88、3)
1862、9 プロイセン首相にビスマルク就任(在任〜90)
1865、4 リンカーン米大統領暗殺
1866、6 普墺戦争(〜66、7)
1867、6 オーストリア・ハンガリー2重帝国成立
 〃 9 カール・マルクス、『資本論』第1巻を発表
 〃 11 徳川15代将軍慶喜、大政奉還
1868、1 戊辰戦争(〜69、6)
1870、7 普仏戦争(〜71、5)
 〃 9 フランス、第3共和政成立
 〃 9 イタリア王国ローマ教皇領を併合、イタリア統一成る
1871、1 プロイセン皇帝ウィルヘルム1世、ドイツ帝国皇帝に即位(在位〜83、3)
 〃 5 フランクフルト条約締結、普仏戦争終結(独、仏からアルザス・ロレーヌ獲得)

●総論
●イギリス(覇権の絶頂)
 ナポレオン戦争に勝利したイギリスは、覇権の絶頂期を迎えた。
 とりわけビクトリア女王の在位期間(1837〜1901年)は、ビクトリア朝と呼ばれ、イギリス帝国の最良の時代だったと言われている。
 政治においては、保守党(首相パーマストンディズレイリソールズベリー)と自由党(首相グラッドストーン)の二大政党が交代に政権を担当していた。
 中西輝政『大英帝国衰亡史』(PHP文庫、2004)によると、イギリスの外交の覇権の頂点は、1839年から42年にかけて、フランス、ロシア、中国、アメリカの4カ国を同時に相手にして戦争、または戦争の危機を闘い、そのすべてに勝利した出来事のようである。
 同著には、


『オスマン・トルコ帝国とエジプトをめぐって、パーマストンの指導するイギリス外交は、ロシアおよびフランスとの間で開戦ギリギリの対決(第二次東方危機)にまで至り、仏露の双方を戦争の脅しによって屈服させ、その同じ年、「アヘン戦争」で実際に中国と戦い香港を割譲させていた(南京条約は42年締結)。これと併行して、カナダ国境をめぐる対立に端を発した「マクラウド事件」と呼ばれる英米住民間の紛争で、パーマストンはアメリカの国内裁判の判決に干渉し、アメリカに対し、もし被告のカナダ人(つまりイギリス臣民)が処刑されたなら、「確実かつ迅速に対米戦争が始まる」との威嚇と強圧を加え、激高するアメリカ世論を力でもって沈黙させ、アメリカにとってまったく屈辱的な解決を強いることに成功した。
 ヨーロッパと中東でロシアやフランスを相手に戦争の瀬戸際までいくほどの対決をつづけ、ほぼ同時並行的に、中国とは「アヘン戦争」で実際に戦いつつ、カナダでは長い陸上国境をはさんでアメリカ合衆国を威嚇し屈服させたという事実は、今さらのように、頂点にあった「パクス・ブリタニカ」の、力と威信の強さと大きさを感じさせるものであった』
(200-201頁)


とある。
 表にすれば、以下のようになるか。
表6-12    大英帝国の最盛期(中西輝政『大英帝国衰亡史』200-201頁より)
年・月 出来事
1837、6 ビクトリア女王即位(在位〜1901)
1839 エジプト太守メメヘット=アリ(
ムハンマド・アリー)、エジプト統治領の世襲権を要求してオスマン・トルコと紛争になり、トルコ大敗(第2次エジプト・トルコ戦争、第2次東方危機)
1840、5 アヘン戦争(〜42、7)
 〃  7 ロンドン四国条約締結(英・仏・露・トルコ)。メメヘット=アリ屈服、シリアを放棄し、エジプトの支配のみ許される
1842、7 南京条約締結。英、香港島を獲得
 〃  8 米加、ウェブスター=アシュバートン条約締結(カナダとの国境画定)
1851、5 英、ロンドン万国博覧会開催(経済の覇権絶頂)
 一方、経済の繁栄の頂点は、1851年のロンドン万国博覧会のようである。
 モデルスキーは『世界システムの動態』(晃洋書房、1991)176頁で、1851年のロンドン万国博覧会は、イギリスの第二次覇権サイクルの頂点であると述べている。
 キンドルバーガーは『経済大国衰亡史 下』(岩波書店、2002)1頁で、


「イギリスがピークに達した時期についても、ある者は1851年にロンドンのクリスタル・パークで万国博覧会が開かれた頃がそうであったとみなし(後略)


 としている。
 中西輝政は『大英帝国衰亡史』123頁で、ナポレオン戦争後イギリスの覇権は頂点に達した、その象徴が1851年のロンドン万国博覧会であると述べている。
 ともあれ、世界大国だったイギリスは繁栄の絶頂を過ぎ、以降は衰退の道を辿ることになる。

●フランス(政体が三転)
 近代70年サイクル第1周期において挑戦国だったフランスは、ウイーン条約によってブルボン朝が復位(1815)したのだが、その後7月革命により7月王政が誕生(1830)、2月革命により第2共和政が誕生(1848)、第2帝政の誕生(1852)と目まぐるしく政体が交代し、イギリスへの挑戦どころではなくなったように見える。革命と英雄と戦争に全ての国力を使い果たしてしまったようである。かくしてフランスは挑戦国の座から退場したのである。
 以下少し余談になるが、同じ挑戦国であるフランスとドイツには2つの共通点があるようだ。
 1つ目、“転換点”において偉才が誕生している。すなわちナポレオンとヒトラーである。
 2つ目、戦後はボロクソな目に遭っている。フランスは前述したように政体が3転した。ドイツは今更わたくしが説明するまでもなく、世界大国アメリカと新挑戦国ソ連によって国土と首都が分割占領されてしまったのである。
 フランスとドイツは、ナポレオンとヒトラーという2人の偉才の誕生を徒花(あだばな)として、挑戦国の座から転落してしまったようである。

●ドイツ(挑戦国へのあゆみ)
 ドイツでは、その後の世界を大きく突き動かすような出来事が起きている。1867年、カール・マルクスが「資本論」第1巻を発刊しているのである。

 周期の後半には、プロイセン皇帝にヴィルヘルム1世、宰相にビスマルク、参謀総長にモルトケが就き、一気にドイツ統一に向かって進むのである。
表6-13    近代70年サイクル第2周期のドイツの歴史
年・月 出来事
1814、9 ウイーン会議(〜15、6)
1815、6 ドイツ連邦成立
1831 クラウゼウイッツ
1832、3 ゲーテ死
1834、1 ドイツ関税同盟成立
1835、12 ドイツ初の鉄道開通
1848、2 カール・マルクス、『共産党宣言』刊行
 〃  3 ウイーン3月革命によりメッテルニヒ失脚
 〃  4 第1次シュレスウイヒ・ホルシュタイン戦争(〜51)
1849、3 フランクフルト国民議会
1859 プロイセン参謀総長にモルトケ就任(在任〜88)
1861、1 プロイセン皇帝にヴィルヘルム1世即位(在位〜88、3)
1862、9 プロイセン首相にビスマルク就任(在任〜90)
1864、2 第2次シュレスウイヒ・ホルシュタイン戦争
1866、6 普墺戦争(〜66、7)
1867、2 北ドイツ連邦成立
 〃  9 カール・マルクス、『資本論』第1巻を発表
1870、7 普仏戦争(〜71、5)
1871、1 ヴィルヘルム1世、統一ドイツ帝国皇帝に即位
 〃 5 フランクフルト条約締結、普仏戦争終結(仏からアルザス・ロレーヌ獲得)

●近代70年サイクルへ列強(米、伊、独、仏、日)が参入
 第2周期のプロローグを飾る周期境界大戦として、南北戦争(1861〜65)と普仏戦争(1870〜71)は極めて象徴的だったと言えよう。
 南北戦争は、アメリカが本格的に覇権国家への道を歩み始めるスタート地点となった戦争だった。この点はわたくしがくどくど説明するまでもあるまい。普仏戦争は、旧挑戦国フランスを打ち破ったドイツが、新挑戦国として名乗りを上げたことを世界に知らしめたのである。
 「周期の境界」である1871年前後の動きをまとめれば、ほぼ同時期に勃興した日本、アメリカ、ドイツの3国が、イギリス衰退後の世界覇権争奪ゲームに参加したというわけである。結果、勝利したのがアメリカだった。
 『2003年日米恐慌』25頁には「世界の先進資本主義諸国がいっせいにスタートラインに勢揃いしたのは1870年といわれるが」とあるが、引用先が明記されていないため、これを誰が最初に言ったのかは残念ながら不明である。
表6-14    近代70年サイクル第2周期末の周期境界大戦
アメリカ イギリス フランス ドイツ オーストリア
ハンガリー
イタリア ロシア 日本
周期境界戦争前
の国体
アメリカ合衆国 大英帝国 第2帝政 ドイツ連邦 オーストリア帝国 イタリア王国(1861成立) ロシア帝国 江戸幕府
周期境界戦争 南北戦争(1861〜65) なし 普仏戦争(1870〜71) 普墺戦争(1866) イタリア統一戦争(1859〜) なし 明治維新(1867〜)
戊辰戦争(1868〜69)
周期境界戦争後
の国体
変更なし
世界大国へと飛躍
変更なし 第3共和政(1871) 第2帝政(1871) オーストリア・ハンガリー2重帝国(1867) 全土統一
(1870)
変更なし 大日本帝国

 これで世界の主要な大国(イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、日本)が出そろったわけだが(大国の定義は『戦争の正しい始め方、終わり方』35〜38頁を参照)、ロシアだけが抜けている。ロシアだけ体制変革が遅れているのである。このことはNo.7で後述する。

●近代70年サイクルに参入した前後の日本
 日本は黒船の来航を契機にして“近代”に参加したのだが、ならば、黒船来航まで日本が近代70年サイクルと無縁でいられたのはなぜなのだろう。鎖国を続けることができたのはなぜなのだろう。
 これについても兵頭二十八が、『日本の海軍兵備再考』(銀河出版、1995)10頁、『「日本有事」って何だ』(PHP研究所、2000)201頁、『軍学考』(中央公論新社、2000)99頁、『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』(ちくま新書、2001)203頁、『あたらしい武士道』(新紀元社、2004)180頁において、見事な説明をしてくれている。

 また、日本では、1923年、または1995年と同様、大地震が発生している。これも浅井隆が『30年不況』(第二海援隊、1998)230頁ではっきりと指摘しているという点、また伊藤和明『地震と噴火の日本史』岩波新書、2002、94-101頁でも小田原地震から安政南海地震が、190頁で江戸地震が述べられているという点も、No.3の「▼続発する大地震」の項で前述したとおりである。


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No. 8
対称年表 1918-1929/1989-2001
対称年表 1929-1935/2001-2007
対称年表・参考文献


(通算16)