サミットと日本の解散総選挙の関係
2008(平成20)年3月15日 新設
2008(平成20)年9月27日  最新更新

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▼福田政権はいつまで続くか
 これはわたくし(管理人)の妄想だが、福田政権は案外長続きする(といっても2年くらいだと思うが)かも知れない。
 福田政権のイメージは小渕政権の発足当初に近いものがあると、わたくしは思っている。小渕首相も、当初は「冷めたピザ」だのボロクソ言われたが、首相の絶え間ないパフォーマンスにより内閣支持率は次第に上昇していったのである。しかし小渕首相はネアカな性格で、それが彼の政権(と内閣支持率)を大いに助けていたのだと、今となれば思い返せるが、福田首相はどう見てもネクラな性格で、一般国民を冷笑しているようにしか見えない。
 「福田政権は2年くらいだろう」と前述したのには理由がある。「郵政選挙」となった衆議院選挙の投開票・2005年9月11日から4年後、任期満了日である2009年9月11日までに必ず衆議院総選挙があるからだ。2007年10月から数えれば、残り期間は2年である。これで自民党が敗北し、民主党に政権交代となるのだろうか?

 表8 ‐3に追加するなら、以下のようになるか。

表8 ‐4     1980年代と2000年代の日本の政治状況の対称
共通する項目 1980年代 2000年代
首相の急死 大平正芳(1978〜80) 小淵恵三(1998〜2000)
想定外の首相、短命政権 鈴木善幸(1980〜82) 森喜郎(2000〜01)
長期政権、米大統領との盟友関係 中曽根康弘(1982〜87) 小泉純一郎(2001〜06)
長期政権と思われたが短命に終わる 竹下登(1987〜89) 安倍晋三(2006〜07)
参議院選挙で大敗し辞任 宇野宗佑(1989)
不安定政権 海部俊樹(1989〜91) 福田康夫(2007〜08)
衆議院選挙で敗北、自民党下野 宮沢喜一(1991〜93) 麻生太郎(2008〜?)

 ウィキペディアの「主要国首脳会議」には、「日本で開催される年のジンクス」という項がある。
「日本で開催される年は、必ず解散総選挙が行われている(1979年東京の大平首相・1986年東京の中曽根首相・1993年東京の宮沢首相・2000年沖縄の森首相)。総選挙が行われる理由として「『国際的に注目を浴び、イメージが上昇したところで与党は選挙をやりたいと考えるから』とされている」のだという。
 表にしてみると以下のようになる。

表8-5    日本でのサミット開催と、衆議院解散・総選挙が連動している法則
回数 日本の首相 開催地と日程 衆議院総選挙
第5回 1979(昭和53)年 大平正芳 東京、6月28日〜29日 10月7日
第12回 1986(昭和61)年 中曽根康弘 東京、5月4日〜6日 7月6日
第19回 1993(平成5)年 宮沢喜一 東京、7月7日〜9日 7月18日
第26回 2000(平成12)年 森喜郎 沖縄、7月21日〜23日 6月25日
第34回 2008(平成20)年 福田康夫 北海道・洞爺湖、7月7日〜9日

 過去の例を見れば、サミットの開催後に解散・総選挙となったケースがほとんどだ。そもそもサミット前に解散・総選挙となったのは2000年のみである。この法則に従えば、今年(2008年)もサミット後に解散・総選挙となる可能性が高いと見られる。



・・・などと、以上を2008年3月15日に執筆したのだが、2008年9月1日に福田首相は辞意を表明し、後任の総理総裁には麻生太郎氏が就任した。自民・公明の連立与党は、総裁選の勢いを駆って衆議院の解散・総選挙を行うことが既に規定事実となっている。
■参考サイト・・・
日経編集委員・清水真人氏のコラム「NET EYE プロの視点 首相官邸コンフィデンシャル」より。2008年5月28日「福田康夫と「任期満了の衆院選」の虚実

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