兵頭二十八・書評

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新設    2006(平成18)年12月27日
(この間省略)
更新    2010(平成22)年5月5日・9月12日・11月7日・11月28日
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更新    2012(平成24)年10月17・23・28日
最終更新 2012(平成24)年11月25日

目次

1.書評

2.F−2支援戦闘機に対する評価の流転

3.30型ロケットに対する記述の変遷について

4.「脳の一回性」について

外部リンク

兵頭二十八ファンサイト  半公式
 本邦唯一の軍学者・兵頭氏のファンサイト。兵頭氏御本人も多数寄稿されており、中でもブログ「兵頭二十八の放送形式」は必見。

軍学者 兵頭二十八 の 軍事ニュース要約 "ポッドキャスト28 ミリタリーニュースブログ"
 上記「兵頭二十八の放送形式」に何故か兵頭氏本人が書き込めなくなったらしく、それと機を一にして設立されたブログ。米英の軍事関連のホームページの翻訳紹介がメイン。

1.書評
 日本唯一の軍学者・兵頭二十八氏の著書からは、「対称年表と近代70年サイクル」本編にも数多く引用させていただいている。「対称年表と近代70年サイクル 参考文献」を見ていただいても一目瞭然であろう。

 本稿にて言及する兵頭氏の著書は、刊行順に以下の通りである。

・『日本の防衛力再考』(銀河出版、1995年12月)
・『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力―600機の1/72模型による世界初の立体的比較!』(宗像和広・小松直之・三貴雅智との共著、銀河出版、1997年7月)
・『軍学考』(中央公論新社、2000年10月)
・『沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』(PHP研究所、2002年9月)
・『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』(PHP研究所、2003年1月)
・『ニッポン核武装再論』(並木書房、2004年1月)
・『日本有事』(PHP研究所、2006年12月)
・『東京裁判の謎を解く 極東国際軍事裁判の基礎知識』(別宮暖郎との共著、光人社、2007年3月)
・『兵頭二十八軍学塾 日本の戦争Q&A』(光人社、2008年1月)
・『2011年日中開戦』(マガジン・マガジン、2008年5月)
・『属国の防衛革命』(太田述正との共著、光人社、2008年10月)
・『予言 日支宗教戦争』(並木書房、2009年3月)
・『「自衛隊」無人化計画 ―あんしん・救国のミリタリー財政出動(PHP研究所、2009年10月)
・『兵頭二十八軍学塾 近代未満の軍人たち』(光人社、2009年11月)
・『もはやSFではない 無人機とロボット兵器 ―エコ軍備の最前線―』(並木書房、2009年12月)
・『「グリーンミリテク」が日本を生き返らせる!』(メトロポリタン・プレス、2010年4月)
・『大日本国防史』(小松直之との共著、並木書房、2011年2月)
・『極東日本のサバイバル武略』(並木書房、2011年10月)

『日本の防衛力再考』(銀河出版、1995年12月)

 兵頭氏の初期の本が刊行されることが多かった銀河出版だが、わたくしには一つだけ文句があるのである。
 本にはたくさん小見出しが付いているのに、目次には全く反映されておらず、章単位の掲載ページしか掲載されていない点が不便なのである。
 これが、例えば『日本有事』(PHP研究所、2006年12月)だと、目次には、小見出しにもちゃんとページが記載されているのである。丁寧な仕事をする編集者と版元だということがよくわかる。
 『日本人が知らない軍事学の常識』(草思社、2012年3月)だと、目次にもちゃんと詳細な小見出しが記載されているのだが、掲載ページは記載されていないので、『日本有事』には劣る。
 ……というわけで、『日本の防衛力再考』の詳細な目次を作成したので、参考にして頂きたいと思う。本をお持ちの方は、この部分を印刷して、目次に挟んでおくと便利だろう。
 お持ちでない方、どうです、これを見たら、読みたくなったでしょう?




『日本の防衛力再考』詳細目次

p4  第1章 経空脅威からの国民防護
p4  「脅威」とは何の謂いぞ
p4  最大級の災厄と自衛隊
p6  独力対処は当然
p6  既往の「防衛論」はなぜいかがわしいか
p6  なぜ日本に対する核攻撃はあり得るか
p8  核の脅しの限界
p10 核こそ「電撃戦」を助ける支援火力
p11 経空核攻撃
p11 航空機による核投射
p12 弾道弾による核投射
p14 対抗の可能性
p16 短距離弾道弾は下策
p16 ICBMも下策
p18 SLBM=最良の策
p20 米露SSBN配備域制限の呼びかけ
p20 しかしSLCMは“NG”
p22 経空核攻撃の脅威に対する先制手段
p24 迎撃手段
p32 地対空戦闘手段
p34 対ステルス・レーダーの整備
p35 ABMとしてのペイトリオット
p36 中距離SAM・ホーク
p38 改良の必要な短SAM
p39 最新兵器・近SAM
p39 携行SAM
p40 対空機関砲
p42 小火器の活用
p43 被害の抑制
p47 対CBR避難訓練
p47 安全な街づくりとは
p48 道路行政は…
p50 ヘリコプターとヘリ母艦
p51 機動的索道架設
p52 洋上および山岳救難

p54 第2章 エネルギー危機と食糧危機からの国民防護
p54 空自が全滅すると何が起こるか
p55 食糧安全保障
p56 エネルギー安全保障
p58 道路と自動車による経済成長は終った
p62 鉄道、自転車、航空機
p63 その他のエネルギー政策
p64 海軍力の限界
p74 海自の進むべき道とは

p77 第3章 着上陸侵攻からの国民防護
p77 水際国境の警備
p79 国内テロ・ゲリラ対策
p80 「北方脅威」はなかった
p84 侵攻の抑止力としての地上軍
p86 侵攻の抑止に失敗する時
p87 遠洋における侵攻艦隊の阻止
p88 FSXによる近海阻止?
p90 ヘリコプターによる水際阻止
p92 内陸における戦線の流動性維持
p93 なぜ日本に戦車が必要か
p98 なぜ日本は戦車を国産しなければならないか
p100 島国の戦車の対抗不能性
p102 六一式戦車の開発
p104 見ずや、前車の覆るを
p111 七四式戦車の開発
p114 中東戦争の衝撃
p116 九〇式戦車の開発
p118 「北転」始末
p119 湾岸戦争の衝撃
p120 ポスト湾岸型戦車の開発へ
p122 装甲車と車両
p124 嗚呼、七三式装甲車…
p130 八九式装甲戦闘車
p131 耐CBRトラック・シェルター
p132 改造リモコン銃車
p134 中型トラックの重複問題
p138 砲兵―平時最大の日陰者
p143 ジェノサイドは歩兵の専売特許
p144 キーワードは「ヘリコプター化」
p147 日本人向きでない六四式小銃
p148 「突撃準備、着け剣!」
p152 「直突一本?待て!」
p155 対戦車火器の苦い教訓
p158 なぜゴム半長靴にしないのか
p160 平時の士気…隊舎の問題
p162 風通しの問題
p164 動員力はこうして増やせ

p166 第4章 対外工作による国民防護
p166 武器援助と武器輸出
p167 外国軍に対する協力
p169 NLPごときに何時まで
p170 経済制裁と武力封鎖
p171 「指名宣戦」が必要
p171 政変工作と謀略
p173 最強の宣伝は個人がつきぬけること

p177 第5章 情報による国民防護
p178 サイマルキャストこそジョージ・オーウェルへの道
p179 偵察衛星はすでにある
p181 電波通信傍受衛星

p183 第6章 法制による国民防護
p183 マッカーサーはなぜ九条を支持したか
p184 硬性憲法は憲法たり得ず
p186 人の最低の自然権
p187 憲法第九条は違憲である

p189 第7章 戦争をなくすことによる国民防護
p190 マル経が目を逸らした真実
p194 陳謝す可き人は亡せぬ

p197 終章 義侠国家は可能か?
p199 誰が為に?
p200 ○○カス国家・日本

p204〜237 巻末附録 論文「戦理研究序説―対抗不能性の概念を中心に」

『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力―600機の1/72模型による世界初の立体的比較!』(宗像和広・小松直之・三貴雅智との共著、銀河出版、1997年7月

 本著の制作から出版にいたるまでのエピソードは、本ページ冒頭でも紹介した、兵頭二十八氏のファンサイト「兵頭二十八ファンサイト  半公式」内の「資料庫」内の「アヤネおねえさんのインチキQ&A」内の「第十一回」、および「資料庫」内の「interview with ─」内の「2008年 お花見対談」に詳しい。


 ……というわけで、本著も詳細な目次を作成したので、参考にして頂きたいと思う。





『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力―600機の1/72模型による世界初の立体的比較!』詳細目次

p2 第2次大戦前の軍用機
p5 大戦間のフランス機
p8 大戦前夜のソ連機
p10 イリューシン4と一式陸攻
p11 対ソ援助機
p12 スペイン内戦の両陣営機
p14 ソ扮紛争
p15 大戦前のイギリス機
p16 レーサー機
p17 スピットファイア
p19 イタリアの液冷戦闘機とMe109
p21 英独「名機」の遺産
p22 Me109
p25 戦間期の中国大陸
p29 B-10
p31 日本陸軍の重爆とアメリカ陸軍の中爆
p34 イギリスの4発重爆
p36 ドイツ夜間戦闘機
p38 「1000馬力エンジン」搭載機
p41 練習機
p42 枢軸国の飛行艇
p44 日本海軍の陸上攻撃機
p46 各国の輸送機
p48 ツヴィリンク
p50 ドイツの双発爆撃機
p54 零式三座水上偵察機とキングフィッシャー
p55 グラスホッパー、シュトルヒ、零式観測機
p56 ドイツの陸上偵察機
p57 各国のオートジャイロ
p58 グラマン・スカイロケットとウェストランド・ワールウィンド
p59 Me110と屠龍
p60 モスキート、屠龍、P-38、一〇〇式司偵、Yak-4
p62 対戦車攻撃機
p65 艦上攻撃機
p68 ドーントレスと九九艦爆
p70 彗星
p71 零式艦上戦闘機
p74 日本の水上戦闘機
p75 隼
p77 Re2000
p78 鐘馗、雷電、P-39
p80 サンダーボルト
p81 ムスタング
p84 P-40、F8F、B-26
p85 飛燕と五式戦
p88 Fw190、五式戦、疾風
p91 La-9
p92 ワイルドキャット
p95 コルセア
p97 コメートと秋水
p100 Me262
p103 紫電と紫電改
p108 日米の戦略任務機
p110 対B-29迎撃機
p112 日独の特殊攻撃機
p114 ミステールと桜花
p115 プッシャー式高速機
p117 大戦末期ドイツの試作機
p119 烈風
p121 日本の末期の試作機


『軍学考』(中央公論新社、2000年10月)

 この本も、『日本の防衛力再考』と同じように、たくさん小見出しが付いているのに、目次には全く反映されておらず、章単位の掲載ページしか掲載されていないので不便である。
 ……というわけで、本著も詳細な目次を作成したので、参考にして頂きたいと思う。





『軍学考』詳細目次

p@ まえがき――軍学者とはいったい何者であるか

p3  第1章 軍学者とは正雪、素行の徒なること
p5  甲州流とは何だったのか
p10 北条流と「カチクチ」の刺激
p12 軍学者は歴史を研究す
p14 真骨頂キャラクターとしての「由比正雪」
p18 再び話を戻して…
p22 素行は軍学者の学問はすべてやった
p26 和歌文化と狩猟・戦闘文化は女と男の分業に等しいか
p29 荻生徂徠は軍学者か否かに就きての再論
p31 日本の戦史学、とくに東鑑と、武士政権にとっての
p32 権力の定義
p36 政治の定義
p38 階級は政治過程で創り出された文化である
p39 戦略の定義
p42 その他の術語(参考)
p43 軍学者の使命のまとめ

p47 第2章 和歌文化と狩猟戦闘文化
p47 摂関時代以降の日本の朝廷は武人的キャラクターから完全に分離した
p50 日露戦争以前に、一会戦の死者一万を数えたことなし?
p54 戊辰戦争
p55 西南戦争
p56 諸国民は戦死者の数をどう意識しているか
p59 日清戦争
p62 日露戦争
p64 WWT〜シベリアにて
p67 支那事変
p70 第二次大戦ー米国の貢献の真実
p72 戦略爆撃の真実
p74 独ソ戦の真実
p75 海戦の真実
p78 玉砕の島
p83 明治に発見された武士道
p87 葉隠について
p91 日本語を破壊した福沢諭吉の弟子たち
p95 乃木希典の教科書

p99 第3章 攘夷の系譜
p99 日本の海
p104 「海上封鎖」脅威論ー首府の飢餓という悪夢
p108 長州藩の経験と吉田松陰の軍学
p112 「三兵戦術」以前と以後
p118 その後の攘夷の破綻
p120 麻薬輸出
p122 アメリカの領土的野心との戦い

p125 第4章 『戦争論』に振り回された人々
p128 英米人もクラウゼヴィッツの徒である
p130 『戦争論』時代
p131 トルストイとレーニンとデルブリュック
p134 ナポレオンとシーザーとアレクサンダー
p135 ナポレオンに与えられていた時代の制約
p138 中心的あやふやさ――外国人に理解し難いドイツ語の「絶対」
p142 「特殊プロイセン的」であること
p145 マハンとモーゲンソー
p148 リデル・ハートとフラーとヒトラー
p152 冷戦期のソ連とアメリカ
p154 宣伝
p156 日本人

p159 第5章 『孫子』と「七書」のおさらい
p160 『孫子』が成立した「戦国初期」という時代
p164 皆殺し戦争と捕獲主義戦争
p165 孫子はとにかく古いということ
p166 『孫子』に種本はない
p167 「孫子十家註」および「十一家註」とは
p170 「七書」とその輸入
p172 書物の形態と日本の輸入書出版業
p174 素行以前〜氏長
p175 『孫子』と山鹿素行
p180 新井白石と荻生徂徠
p181 孫子と洋書との奇妙な一致
p183 特に「伐謀」について
p187 近代日本軍と「拙速」の強調
p189 『呉子』について
p190 『六韜』と『尉繚子』について
p191 『三略』
p194 『問対』と『司馬法』

p197 第6章 核戦略
p198 ソ連の核武装
p200 イギリスの核武装
p204 フランスの核武装
p205 INF騒動の真相
p207 あの人は今どこに?
p208 対権力直接アプローチ
p210 目標選択を誤ればどんな効率追求も無意味
p211 「戦場秩序化/非秩序化兵器」の区別が分ってきた
p213 三権分立についての惑問
p214 中国の核武装
p217 日本人民の問題
p222 バカと天才
p226 SDIラプソディ
p230 日本の核武装

p235 第7章 米軍基地の回収、並びに、核の次に大事な飛行機
p236 航空基地史の研究が日本では余りに低調だ
p238 旧軍の航空基地戦略
p242 米軍の世界戦略を見たくば航空基地に注目すべし
p253 「空軍国家」アメリカと、そうなれなかったソ連
p245 滑走路のロケーションの意味――気象環境――海際か内陸か
p246 滑走路の長さの変遷とその意味
p249 滑走路の舗装および幅の意味
p250 航続距離革命は何を変えるか?
p253 なぜ嘉手納は横田ほど重要ではないと判断するか
p256 東京都・府中基地
p258 沖縄の米軍用航空基地群の来歴
p259 沖縄県・嘉手納飛行場
p262 対ソ戦時代――冷戦後の嘉手納
p263 対北朝鮮作戦基地としての日本の飛行場
p264 ルソン島・クラーク基地はなぜ放棄されたか
p265 アンダーセン基地にはなぜ戦術航空機が配備されないか
p267 那覇飛行場
p268 沖縄県の米海兵隊
p270 山口県岩国基地――普天間との関係は?
p273 東京都・立川飛行場
p276 神奈川県・厚木飛行場
p278 東京都・横田基地
p282 茨城県・百里基地

p287 第8章 造兵史のパズルを解く
p288 日本の近代と造兵
p290 造兵教育機関としての東大
p292 技術者には日米の懸隔の差が分っていた
p294 用兵と造兵の余りなギャップ
p296 陸軍の「員外学生」など
p298 なぜ旧陸軍砲兵に「十二糎加濃」はなかったのか?
p305 ノモンハン砲撃戦の様相
p308 岩畔豪雄大佐は百トン戦車を造らせたのか?
p313 「試製九八式中戦車」の謎など
p314 岩畔氏は正しかったが故に戦後イメージを歪められた
p319 スウェーデンが君子国に見えたとき

p325 終章 「軍学的宣伝」考
p326 日は出てもヒトラーは出ない国
p328 問題意識は当時からあった
p330 そこで実戦で勝つことが最大の宣伝となった
p331 重大犯罪の放置は最低の対外宣伝に
p332 人任せの情報から読み違えが起る
p333 ハリマンを甘く見なくてよかった
p336 移民排斥問題への外務省の対応は悪い見本だった
p336 なぜ日本は思想上の脅威か
p337 アングロサクソンの宣伝
p338 宣伝による戦争抑止が失敗した例
p340 記録がなかったら歴史はあるか?
p345 戦争は常に「おあいこ」である

p347 あとがき

■『沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』(PHP研究所、2002年9月)


大砲の射程と命中率海防が敵艦の備砲を上回ることができて、なおかつ日本のすべての沿岸にその大砲を並べられない限り、陸上要塞だけで「海防」はできないんだよ。(中略)それで、幕府は最後の貯金もぜんぶはたいて、「台場」と「海堡」の埋立工事を進めなければならなかったわけだ」(88頁)
台場に投じた幕府の予算を節約できていたとしたら、倒幕もちょっとは難しくなったかもしれないね」(89頁)
※この記述は、

現在、東京都内の「お台場」と呼ばれる遺構は、(中略)この築造工事のために、江戸幕府は、とっておきの最後の予算まで使い果たして、それが祟って、やがて西南雄藩との力関係が逆転してしまうのである」(『兵頭二十八軍学塾 日本の戦争Q&A』光人社、2008年1月、28頁)

にも出てくるので、そちらも併せてお読みいただきたい。




ーカネとモノがあっても、人が得られなければ、近代技術は国家の闘争力になってくれないということでしょうか
 そうさ。たとえば日露戦争の東郷提督は、単に幸運な男だから、連合艦隊司令長官になったのか?そんなイージーな人事があったはずがないのだ。東郷は、不得意方面が無い、オールラウンドに目配りできる勉強家だったのだ。
(中略)つまりだね、国際法にも強いし操艦もできるし砲術も分る、商船についても知っている、その上、沿岸要塞や最新の魚雷にも精通していたんだ。大戦争の舞台中央に出て、予期せぬ何事が生じてもうろたえずに対応できた、とても経験豊かな奴だったのだな。全艦隊の長なんだから、何でも知っていることが最低条件だろう。専門馬鹿じゃ勤まりはせん。山本権兵衛は「こいつしかいない」と思って抜擢したに違いないよ」(139-140頁)
※この記述は、

幸運な男・東郷
 生来の資質や研究熱心に加えて、東郷が司令長官に推挙されるにいたった要因としてあげられるのは、彼がそこまで「幸運な男」だったということである
」(野村實『日本海海戦の真実』講談社現代新書、1999年7月、34頁)

に対する反論だろうか。




兵頭さんは執筆だけで喰えてなかった時代にスーパーマーケットでトマトとか醤油とかスピードくじの対面販売のバイトをしていたこともあったそうですが、ああいうののコツも「勢い」なんですか
 客によってはね。「貧は士の常」と申し、この私もあちこちを転々としてスイカ売りや注連縄売りの工夫をしたことにより、宣伝の上手・下手についてのいささかの隻眼を具えたと申しても過言ではない
」(155-6頁)
※この記述は、

仕方なく、兵頭氏の連絡先を調べ、アポイントをとろうとするが、なかなかつかまらない。やっと電話がつながったかと思えば、「ハテ、急に左様なお申し越しを致されてもチト困りますな。年末はスーパーで、トマト売り、注連縄売り、子供向けスピードくじ売り……と多忙を極めておりましてな」との返答」(『「日本有事」って何だ』PHP研究所、2000年2月、2頁)

にも出てくる。




かつてNHKの朝のドラマでは、「赤紙が来ました」「えーっ、どうしよう」とかいう暗澹たる反国家的エピソードがシリーズに必ず一回入らなければならないというキマリで脚本家は泣いていたようだが、この反日テレビ番組に出てくる「赤紙」とは、ほとんどの場合、支那事変勃発による「充員召集」だ」(170頁)
※この記述は、

「赤紙」がNHKの朝の連続ドラマでは、常に「暗い時代」の象徴的小道具として使われた下地が、ここにあろう」(別宮暖郎・兵頭二十八『大東亜戦争の謎を解く』光人社、2006年5月、67頁)

にも出てくる。




コメは、飼料用として補助金を出して作らせておくのが最も安全保障にかなった道だろう」(179頁)
※この記述は、


外国から穀物用に、トウモロコシではなくコメを大量に輸入する。それを国内の農場で家畜に与える。そしてその肉を日本人が消費する…というサイクルを確立するのだ。
 このようにしておけば、万一何らかの理由で食糧も石油も輸入できないという事態に立ち至り、その上に、天候不順で国内作物も全滅という危機に瀕したとしても、ただちにすべての家畜を保存肉になし、飼料用に買い溜めておいた玄米を人間様の口に放り込むことで、一億人が一年以上喰いつなぐことができる。一年あれば、民族大脱出の箱船も用意できるかもしれない
」(『日本の防衛力再考』(銀河出版、1995年12月、56頁)


「●食料自給率を高めるためにはどうしたらいいんですか?
 これは誰か、学者の人が提案していた気がするけど、減反なんかやめて飼料用コメをつくらせて、その飼料用コメは備蓄心得とみなし、これにのみ政府が補助すればよいのじゃないかな
」(『「日本有事」って何だ』PHP研究所、2000年2月、20頁)

にも出てくる。

『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』(PHP研究所、2003)

「▼中国人はどこへ行っても料理屋で成功するように見えるのはなぜなんでしょうか。横浜中華街の外れの方にも、やたらうまくて、しかしながらガレージみたいな店がありますよね。
 僕もそういう店に入ったことがあります。ご亭主にお話を訊いたところでは、昭和二十年の横浜大空襲のとき、集束焼夷弾が海にバラバラ落ちるのを、その目で見ていたのだそうです。中華街がまだ「南京町」なんて呼ばれていて少しも賑やかじゃなかった頃からの人なのですね。
 ですから、戦後蓄積された資本で店構えを大きくする機会はあったに違いないのですが、敢えてそれをしていないのだと察せられます
」(112頁)
※この記述は、

だいぶ前の話になりますが、食通の友人の案内で、「横浜中華街で一番旨い店」とやらを、ひやかしてみたことがあります。それは中華街から最も遠い(と印象された)、最もボロい(と印象された)、ガレージを仕切っただけのような、薄暗くて狭い店舗でした。しかしグルメ音痴なわたしが、少しも我慢せずに堪能できる料理が数点、続けて出てきたのは確かです。店員は居らず、亭主が一人で、時間をかけて作って出してくれるのです。
 老亭主氏は、1945年の横浜大空襲のとき、B‐29の焼夷弾が海岸のどこにどのように落ちてきたか、目撃した情景を語ってくれました。戦前からの華僑なのです。それなのに、どうしてこんなアバラ家のような店舗しか、いまだに構えていないのでしょう?戦後も四十数年、これほどの腕があったのだから、資本を蓄積して、徐々に大きな店舗にして行ったら……などと考えるのは、もう「台湾式」ではないわけです
」(『「グリーンミリテク」が日本を生き返らせる!』メトロポリタン・プレス、2010年4月、128頁)

にも出てくるので、併せてお読みいただきたい。




「▼確かに、もしも日本国内で羊毛の生産と消費が盛んであったのなら、飢餓輸出という手が考えられたわけですね。
 近代のデンマークは、その農産品が英国で売れたおかげで、北海道より狭い国土で立派な農業立国が可能でした。日本の近くには、デンマークにとっての英国に相当する外国市場は存在しません。だから、北海道にはデンマークの真似は無理だったのです」(116頁)

※このデンマーク関連の記述は、

もしも、全樺太を、江戸幕府が早くからしっかりと確保して防備を整えていたなら、あるいは、北海道で水稲農業を放棄してデンマーク式の有畜畑作農業を実現し、北方正面での郷土防衛ポテンシャルを高めていたら、史実のように朝鮮半島の中立もしくは領有に、日本が必死でこだわる必要などもなかったろう」(『兵頭二十八軍学塾 日本の戦争Q&A』光人社、2008年1月、67頁)

デンマークの畑作農民は、これによる穀物市況の大暴落に直面して、酪農中心の有畜農業に、生活パターンから食生活から、完全に切り換えて、生き延びた。そして日本の軍人のなかでは、兒玉源太郎だけが、満州にもし殖民するとするならば、コメの生産も消費もきっぱりと諦め、デンマーク型農業で食糧自給するしかないであろうことを、理解していたようだ」(同著、122頁)

にも出てくる。




「▼南半球では、月面の模様も北半球とは上下逆さになって見えるそうですね。ところで、GPSは地上軍の戦術も、かなり変えたようですね。
 (中略)
日露戦争の樺太の戦いで、現地アイヌ人に日本軍部隊がボートの水先案内を頼んだところ、濃霧の中なのにピタリと目的地に着けてくれたそうですから、長期間訓練しさえすれば、頭の中に羅針盤が入るのですね
」(164-165頁)
※この記述は、

担当部隊は、先遣の海軍陸戦隊と、明治三十八年四月に動員完結した独立第十三師団(新設)。後者は運送船二十余隻で大湊を出港した。アイヌ人の水先案内は、濃霧の中、コンパス無しで、少しも方向を誤らなかった(伊藤貞助『樺太戦史』大正十四年刊)」(『兵頭二十八軍学塾 日本の戦争Q&A』光人社、2008年1月、129頁)

が最も早いか。……ご覧になればお分かり頂けるように、本著では参考文献が記されていないのだが、『兵頭二十八軍学塾 日本の戦争Q&A』にはちゃんと掲載されている。

『ニッポン核武装再論』(並木書房、2004年1月)

 163頁からの「巻末付録 核戦争関連年表」には、日本が建造した原子力船「むつ」(1968年起工、1969年6月21日進水、1974年9月1日放射能漏れ事故)が一切触れられていない。
 なぜわたくしが「むつ」にこだわるのかというと、同じ原子力船であるアメリカの「サバンナ号」(184頁。1959年7月)はもとより、ソ連の原子力砕氷船「レーニン号」に至ってはわざわざ2ヶ所(!)も(181頁…1957年10月、184頁…1959年の2ヶ所。どういうわけか両方ともレーニン号進水の記述だ。わけがわからんぞ)明記されているというのに、日本の原子力船の「むつ」が何処にも登場しないためなのである。
 兵頭氏に忘れ去られている「むつ」の影の薄さにわたくしは泣いた(T_T)

『日本有事』(PHP研究所、2006年12月)、またはPHP研究所の当著紹介ページへのリンク

 本著はPHPのペーパーバックスシリーズの一環として刊行された。PHPのペーパーバックスシリーズとは、先発の光文社ペーパーバックス(2002年〜2009年)と同じような体裁である。
 内容は、空自のF−22購入話から、ベネディクトの『菊と刀』に至るまで、氏のブログ「兵頭二十八の放送形式」を読んでいる人なら既読のものが多い。
 ただ、「チャミンテルン」という用語は初めて見た(66頁など)。コミンテルンのシナ版という意味らしい。

●22頁には、

目下の事態(※管理人註、2006年10月の北朝鮮の核実験以降の事態)は、1964年から1970年代初期にかけて、中共がどんどん長い射程の核ミサイルの開発に成功していく過程で、アメリカよりも先にその射程に首都をとらえられてしまったソ連が我慢できなくなり、シナの脅威を除去するためのきわどい術策を検討していた期間と相似だろう

 とある。
 しかし、アメリカをはじめ、既に核兵器を保有している国は、核兵器を保有している国に、核兵器で先制攻撃を掛けたことはない(通常兵器を使用しての先制攻撃なら、イスラエルが1973年に第4次中東戦争を仕掛けられている。『ニッポン核武装再論』並木書房、2004、13‐14頁にも)。
 どころかアメリカは、核兵器の完成または完成間近を理由として、先制攻撃を掛けたこともない。核兵器を完成させたソ連(1949年9月初実験)、イギリス(1952年10月3日初実験)、フランス(1960年2月13日初実験)、中国(1964年10月16日初実験)、イスラエル(不明)、インド(1974年5月18日初実験)、パキスタン(1998年5月28日初実験)、北朝鮮(2006年10月9日初実験)に対して、その開発を名目として先制攻撃を行ってはいない。もちろん攻撃の検討は行われたようだが……。
 本著22頁で挙げられているように、ソ連ですらアメリカに対して、共同して中国に対し開戦しようと1969年に誘ったと言うが(『ニッポン核武装再論』197頁、または『学校で教えない現代戦争学』並木書房、2002、145頁より)、これも実現しなかった。
 2003年に開戦したイラクが唯一、大義名分が「大量破壊兵器の開発」だったわけだが、9・11事件の延長線上としてアルカイダとの繋がりが指弾されたという点の方が大きかったようにも思える。イラク全土を占領してはじめてわかったことだが、イラクは核兵器を完成させてはおらず、どころか完成間近の状態でもなかった。
 アメリカ以外なら、核兵器の完成または完成間近を理由として攻撃した国はある。イスラエルは1981年6月7日、イラクのオシラク原子力発電所を空爆、破壊している(バビロン作戦)。この先例があるからこそ、現在核兵器開発中のイランに対して、イスラエルが攻撃するのではないかと言われる一因があるのだろう。

●144頁には、

シナ軍は、われわれが守備隊を置いていないところに、できるだけ気づかれないように、それが攻撃なのかどうか政治家が判断できないような方法で、侵攻してくるだろう

とある。『半島を出よ』に登場する福岡ドームのような、画になる派手な場所を占領されるようことにはならないようである。
 この点においては、『半島を出よ』よりも、大石英司『魚釣島奪還作戦』(中央公論新社、2005)のほうが、本著144頁で挙げられている事態との共通点は多いと言えるだろう。

別宮暖郎・兵頭二十八『東京裁判の謎を解く 極東国際軍事裁判の基礎知識』(光人社、2007年3月))

 「読書余論」という、兵頭氏が武道通信を通して配信している、PDF形式の文書がある。内容は、主として軍事関係の古書の概要を紹介したものである。
 2006年7月25日の配信ではヘンリー・スティムソンの『極東の危機』、2006年8月25日の配信では笹川良一の『巣鴨の表情』、2006年10月25日の配信では『畑俊六 巣鴨日記』、2006年12月25日の配信では『平沼騏一郎回想録』と『文明の裁きを越えて』、2007年1月25日の配信では児玉誉士夫の『芝草はふまれてもー巣鴨戦犯の記録』が、2007年2月25日の配信では『軍務局長 武藤章回想録』が、それぞれ取り上げられている。
 なので、『東京裁判の謎』の内容のうち、少なくとも、ヘンリー・スティムソン、笹川良一、畑俊六、平沼騏一郎、児玉誉士夫、武藤章の項は、兵頭氏が執筆したのではないかと推測できる。

『兵頭二十八軍学塾 日本の戦争Q&A』(光人社、2008年1月)

 本著が兒玉源太郎の評伝であることは、2007年12月19日の「兵頭二十八の放送形式」の、

もともとこの本のタイトルは『兒玉源太郎は正しかったか――奇襲開戦主義と半島防衛』としてご提案しました。版元の判断により、この原案は採用されませんでした

を見れば明らかである。
 兵頭氏の評伝の書名に当該人物の名前が入ることは、今までなかったことである。
 『パールハーバーの真実』(PHP文庫、2005)の「文庫版での後記」では、

兵器についてマニアックに論じつつ、それと同時に関連した人物を紹介し且つ評してしまうというスタイルは、『たんたんたたた』で南部麒次郎を論じ、『日本海軍の爆弾』(1999)で大西瀧次郎を論じた、その延長線上にある。
 だったらいっそのこと、その人物名を書名に堂々と掲げれば良いではないかと思われるかもしれぬが、「そこまで網羅的に調べ尽くしたわけではないし、本人の遺族にインタビューどころか挨拶もしていないのだから…」という遠慮が、本人にそれを禁ずるのである。
 本書『パールハーバーの真実』では、山本五十六について論じた
」(339頁)

 と述べているのである。
 しかし本書では、書名に当該人物(兒玉)の名前を入れようと著者の側からせっかく提案したのに、出版社側―光人社からは断わられてしまったらしい。不憫なことである。
 つまり本著は、『たんたんたたた』『イッテイ』『有坂銃』『日本海軍の爆弾』『パールハーバーの真実』『東京裁判の謎を解く』に連なる、兵頭二十八氏の執筆する、近代日本の軍事史に関連する人物の評伝シリーズの最新刊ということになる。

 また兵頭氏は、2007年6月11日の「兵頭二十八の放送形式  謹んで媒体を公募いたします」において、

あたらしいマッカーサー伝を書きたいと思っております。ただし、この企画は雑誌連載でないと成り立たないと思いますので、下記のように媒体を公募し、応ずる声が皆無ならば、企画そのものを無期延期します

 と述べている。
 しかし、その執筆チャンスは現在、未だないようだ。そのためかどうか、本著はダグラス・マッカーサーのミニミニ評伝となっている。本著163‐186頁、または183‐199頁において、父アーサー・息子ダグラスのマッカーサー家とフィリピンとの関係が長々と述べられているのである。


※以下の記述は管理人のコメントである。





※25‐26頁と同じ意味の記述は、

一八四一年に米海軍を説いて最初の外輪式蒸気軍艦『ミシシッピ』を就役させた大功労者、マシュー・ペリー提督だ。
 一八五二年に、東印度・支那艦隊司令官に就任した彼は、卓越したリーダーシップによって一八五三年に江戸湾に侵入、日本人に蒸気船の機動力を見せつけた。それまでの帆走船だと、せいぜい浦賀までしかやってこないのだが、それは、操船余地のない内湾の奥まで入ってしまうと、咄嗟に浅瀬を回避できなくなる危険が高いためであった。蒸気船ならば、風の具合には無関係に、行きたいところまで進み、随意また湾外へ出られるのである
」(『軍学考』中央公論新社、2000、103頁)
 が先見なので、併せてお読みいただきたい。



現在、東京都内の「お台場」と呼ばれる遺構は、(中略)この築造工事のために、江戸幕府は、とっておきの最後の予算まで使い果たして、それが祟って、やがて西南雄藩との力関係が逆転してしまうのである」(28頁)
※この記述は、

大砲の射程と命中率海防が敵艦の備砲を上回ることができて、なおかつ日本のすべての沿岸にその大砲を並べられない限り、陸上要塞だけで「海防」はできないんだよ。(中略)それで、幕府は最後の貯金もぜんぶはたいて、「台場」と「海堡」の埋立工事を進めなければならなかったわけだ」(『沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』PHP研究所、2002、88頁)
台場に投じた幕府の予算を節約できていたとしたら、倒幕もちょっとは難しくなったかもしれないね」(同著、89頁)

が最も早いか。



さらにペリー艦隊は、江戸湾の入り口付近で海賊を働き、日本の商船の出入りを完全に阻止することもできた。
 (中略)
 食料や薪炭の入港が途絶すれば、ひたすら消費するのみの一〇〇万都市には、たちどころに飢餓地獄が現出するはずであった
」(28頁)
※この記述も、『軍学考』中央公論新社、2000、104‐108頁が先見。



今、ハワイの沈船『ミズーリ』にある国旗は」(34頁)
※ミズーリは沈船ではない。1945年9月2日、東京湾上において、日本の第2次世界大戦降伏文書調印式の舞台となった戦艦ミズーリは既に退役し、現在はハワイ・オアフ島パールハーバーで記念艦として展示されている。兵頭氏は、ミズーリと、真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナを混同しておられるのではなかろうか。



ナポレオン戦争直後のドイツ語圏の指導的大国は、オーストリーだった」(37頁)
※オーストリーとはオーストリアのこと。日本大使館が、オーストラリアとの混同を防ぐために、自国をこう呼んで欲しいと、2006年10月から提唱しているのである。詳しくはウイキペディアのオーストリアの項を参照。





もしも、全樺太を、江戸幕府が早くからしっかりと確保して防備を整えていたなら、あるいは、北海道で水稲農業を放棄してデンマーク式の有畜畑作農業を実現し、北方正面での郷土防衛ポテンシャルを高めていたら、史実のように朝鮮半島の中立もしくは領有に、日本が必死でこだわる必要などもなかったろう」(67頁)

デンマークの畑作農民は、これによる穀物市況の大暴落に直面して、酪農中心の有畜農業に、生活パターンから食生活から、完全に切り換えて、生き延びた。そして日本の軍人のなかでは、兒玉源太郎だけが、満州にもし殖民するとするならば、コメの生産も消費もきっぱりと諦め、デンマーク型農業で食糧自給するしかないであろうことを、理解していたようだ」(122頁)

※このデンマーク関連の記述は、

「▼確かに、もしも日本国内で羊毛の生産と消費が盛んであったのなら、飢餓輸出という手が考えられたわけですね。
 近代のデンマークは、その農産品が英国で売れたおかげで、北海道より狭い国土で立派な農業立国が可能でした。日本の近くには、デンマークにとっての英国に相当する外国市場は存在しません。だから、北海道にはデンマークの真似は無理だったのです」(『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』PHP研究所、2003、116頁)

が最も早いか。





担当部隊は、先遣の海軍陸戦隊と、明治三十八年四月に動員完結した独立第十三師団(新設)。後者は運送船二十余隻で大湊を出港した。アイヌ人の水先案内は、濃霧の中、コンパス無しで、少しも方向を誤らなかった(伊藤貞助『樺太戦史』大正十四年刊)」(129頁)

※この記述は、

「▼南半球では、月面の模様も北半球とは上下逆さになって見えるそうですね。ところで、GPSは地上軍の戦術も、かなり変えたようですね。
 (中略)
日露戦争の樺太の戦いで、現地アイヌ人に日本軍部隊がボートの水先案内を頼んだところ、濃霧の中なのにピタリと目的地に着けてくれたそうですから、長期間訓練しさえすれば、頭の中に羅針盤が入るのですね
」(『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』PHP研究所、2003、164-165頁)

が最も早いか。ご覧になればお分かりいただけるように、『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』には参考文献が明記されていなかったのだが、本著ではちゃんと明記されている。





 兵頭氏のブログ「兵頭二十八の放送形式」の2010年4月19日「《X島》の文庫本は443頁になりました。今週末発売だよ!」 において、

マリタイムニューズの2010-4-16記事「NAVSEA Removes Fuel from Sunken WW II Era Ship」。
 米領サモアのパゴパゴ港に1949-10-7に沈んだ米軍艦『Chehalis (AOG-48)』の油槽内から油脂を抜 き取る作業をすることに決定。
 同艦の沈没原因は、ガソリン・タンクの爆発であった。沈底深度は160フィート強。
 ※サモアがどうして半分米領なのかについては、既著の中で書いた気がする。……が、タイトルが思い出せん。


 とある。その既著というのは本著『兵頭二十八軍学塾 日本の戦争Q&A』なのである。208〜211頁において、そのいきさつが述べられている。そちらも併せてお読みいただきたい。

『逆説・北朝鮮に学ぼう! ヘタレの日本に明日はない』(並木書房、2008年3月)

かつて、冷戦時代までは、国務省はアメリカの国策に対する重い提案権をもっていました。その長官に、キャビネットの実質ナンバー2が就任したことも、珍しくありませんでしたが、そのような黄金時代は、衛星TV中継とインターネットのせいで、去ったのです。正直、いまは航空券の予約だけしてりゃいい……と言われかねないほど、彼らは存在意義が、薄くなってきた。通訳も、条約正文づくりも、「余人を以って替えられる」のです。「指導的5%」には、それが想像できる。
 アメリカ大統領は、過去数代の国務長官に、たてつづけに、なんとも軽量級の閣僚を任命してきました。名実ともに、国務省を二流官庁に格下げしてしまおうとしているんです。(日本では小泉総理大臣がその模倣をしたことがありますが、役人の抵抗が強くて諦めた)
」(106-107頁)

 「キャビネットの実質ナンバー2」とは、きっとジョージ・マーシャル(トルーマン政権の国務長官)やジョン・フォスター・ダレス(アイゼンハワー政権の国務長官)あたりのことを言うのだろう。

アメリカ合衆国の国務長官
クリントン政権 ウォーレン・クリストファー(1993年1月〜1997年1月)
マデリーン・オルブライト(1997年1月〜2001年1月)
ブッシュ政権 コリン・パウエル(2001年1月〜2005年1月)
コンドリーザ・ライス(2005年1月〜2009年1月)

小泉政権における外務大臣
田中眞紀子(2001年4月〜2002年1月)
川口順子(2002年2月〜2004年9月)
町村信孝(2004年9月〜2005年10月)
麻生太郎(2005年10月〜2006年9月)


原作・兵頭二十八、作画・倉橋光男、時役佳二『2011年日中開戦』(マガジン・マガジン、2008年5月)
●兵頭氏が原作を担当し、作画家お2人との共同作業によって完成したマンガ本である。
 日本と中国の未来戦争シミュレーションものではあるのだが、自衛隊と中国軍の兵器はほとんど出てこず、活躍しない。登場するのは、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」(362-365頁)、米軍のF−22戦闘機(286頁)、中国軍の弾道ミサイル(タイプ名未詳。214-217頁)、そして旧帝国陸軍の九四式軽装甲車(!)(83頁)くらいである。
 中国本土で、日本への核ミサイル発射を阻止しようと奮闘する日本人ビジネスマン(!)と、元軍人で、今はCIAにリクルートされているという(300頁)相方のアメリカ人の2人のコンビの活躍が、ストーリーのメインである。

サブストーリーとしては、
・日本の首相と秘書
・日本本土でのシナ人の破壊工作活動

 などがある。
●しかし、当たり前だが兵頭氏の原作なので、氏の日ごろの主張はちゃんと盛り込まれている。例えば、

・主人公の日本人にガッツを持たせようと鼓舞するアメリカ人(211〜212頁)。…そのまま日本国とアメリカ合衆国の関係の比喩ではないか。
・核弾頭ではなく通常弾頭搭載なので、地上に弾着してもロクな被害を与えない弾道ミサイル(214〜217頁)。

太田述正・兵頭二十八『属国の防衛革命』(光人社、2008年10月)

 防衛庁の官僚だった太田述正氏との共著である。
 本著において、兵頭氏は、

日本政府が二〇〇八年に禁止条約に署名したクラスター弾に代わる新弾薬として、三自衛隊は、敵の人間ひとりひとりにホーミングして命中する迫撃砲弾や単弾頭ロケット弾(それはもはや「ミサイルだが」)を開発する必要がある。この提案、わたしはかなり前にどこかの活字媒体で書いた覚えがあるのだけれども、あらためてもう一度しておこう。
 一九八二年のフォークランド戦争で、英軍の歩兵は、「ミラン」対戦車ミサイルを、アルゼンチン軍の軽機関銃座を破壊するために消費して、世界の陸軍関係者を驚嘆させたものだ。あれが、現代の趨勢を先取りした用法であった。殊に、小さな島嶼の領有権をめぐるような戦闘では、このような「対人ミサイル」の発射が惜しげもなくなされるようになるだろう。それが分からず、いままでぼやぼやして開発も進めなかったのが、怠慢なのである
」(42‐43頁)

 と述べている。
 「かなり前にどこかの活字媒体で書いた覚えがある」とは、兵頭氏の以前の著作である『武侠都市宣言!』(四谷ラウンド、2000)のことであろう。その内容は以下の通りである。

対人ホーミング迫撃砲弾の開発も急がれる。現在、技術研究本部では、おそらく対戦車用の迫撃砲弾を開発していることと思うが、既に述べたように、戦車を伴って日本に上陸してくる敵など、もはやいない。(富士とかには米軍の戦車が存在するが。)
 夜間、山の中のどこに隠れたか分らない北朝鮮ゲリラを狩り出すためにも、また、戦車100台よりも兵士1名の人命の方がこたえる米軍と対決するにしても、一人一人の兵士の熱線スペクトラムを感知して命中するスマート弾薬の開発が決め手だ。たとえ1発の単価が1000万円になったとしても、これは安いものである
」(168頁)

『予言 日支宗教戦争』(並木書房、2009年3月)

 兵頭氏が、その最初の著作である『日本の防衛力再考』(銀河出版、1995年12月)以来主張してきた日本の核武装を、断念することを表明した、画期的な転向の著である。断念の理由は田母神俊雄航空幕僚長の辞任騒動によるようである。

日本人が右も左も『真珠湾』という国家的な大犯罪に開き直っている現状では、日本の核武装を米国に認めさせることはとうてい不可能だと思われます」(13頁)




●本著に登場する参考文献の一覧
39・84頁 伊藤整『近代日本人の発想の諸形式』(岩波文庫)
49頁 足立栗園『武士道発達史』(明治34年)
69頁 平山洋『ミネルヴァ日本評伝選 福沢諭吉』
80頁 宿利重一『兒玉源太郎』
83頁 エドワード・ギボン、中倉玄喜訳『ローマ帝国衰亡史』
83頁 橋爪大三郎・島田裕己『日本人は宗教と戦争をどう考えるか』(2002)
86頁 大川周明『日本二千六百年史』(昭和14年)
86頁 アナンダ・クーマラスワミ、蘇武・岩崎共訳『印度美術史』(大正5年)
86頁 岡田英弘『倭国』
91頁 『中村元選集第16巻 インドとギリシアの思想交流』
92頁 橋爪大三郎『世界がわかる宗教社会学入門』
95頁 桜井匡『大東亜回教発達史』(昭和18年)

『「自衛隊」無人化計画 ―あんしん・救国のミリタリー財政出動(PHP研究所、2009年10月)

 本著における目新しい部分は、引用されている参考文献の要目に、出版社名までが加わったことである。今まで兵頭氏は、自著の引用文献に、出版社名は一度も掲載していなかった。



レーガン政権は、ハイテク軍備についての「開発投資」だけでなく、ローテクを含めた軍備全般の「量産投資」もふんだんに行いました。それが、鏡像的対抗に努めたソ連の財政体力をついに消尽させ、けっきょくソ連と東欧圏を解体させたのです」(37頁)
※「鏡像的対抗に努めたソ連」とあるが、ソ連が軍用機分野においてアメリカのコピー的対抗に努めたという具体的な記述は、『軍学考』(中央公論新社、2000年10月)243‐245頁にあるので、併せてお読みいただきたい。



クリントン政権の終末が近づいた二〇〇二年十二月に、国防総省は、米本土を敵国の弾道弾から守るための迎撃ミサイルを二〇〇四年から配備すると発表しました。
 翌二〇〇三年一月に国防長官に就任したラムズフェルド氏は、
(後略)」(47頁)
※クリントン政権の任期は、ブッシュ(子)大統領が就任した2001年1月までであり、ラムズフェルド氏がブッシュ(子)政権において国防長官に就任したのも当然2001年1月である。どういうわけか2年ずれている。兵頭氏はなぜこんな単純な間違いを仕出かしたのだろうか。



●本著に登場する参考文献の一覧
28頁 後藤正夫『列国科学技術の戦力化』(昭和19年、大日本出版)
47頁 ジェフリー・A・クレイムズ、前田和男訳『ラムズフェルド』(ベストセラーズ)
62頁 中薗英助『在日朝鮮人』(昭和45年、財界展望新社)
68頁 ジョナサン・D・モレノ、久保田競監訳、西尾香苗訳、『操作される脳ーマインド・ウォーズ』(アスキー・メディアファクトリー、2008年)
121頁 菅井準一・田代三千稔『アメリカ技術史』(昭和24年、天然社)
122頁 セオドア・W・シュルツ、吉武昌男訳『不安定経済に於ける農業』(群芳園)
164頁 マージョリー・ローリングス、大久保康雄訳『仔鹿物語』(昭和29年、角川文庫)

『兵頭二十八軍学塾 近代未満の軍人たち』(光人社、2009年11月)
●兵頭氏が自分で選定して取り上げたとおぼしい、日本帝国陸海軍の軍人―上原勇作寺島健板垣征四郎竹下勇永田鉄山和田操小畑敏四郎奥宮正武田中静壹南部麒次郎田中隆吉末次信正梅津美治郎南雲忠一高木惣吉小磯國昭米内光政樋口季一郎阿南惟幾森林太郎岩畔豪雄兒玉源太郎畑俊六(以上の順番は本書掲載順)の23人―についての評伝である。
 23人のうち、陸軍人は上原、板垣、永田、小畑、田中静壹、南部、田中隆吉、梅津、小磯、樋口、阿南、森、岩畔、兒玉、畑の15人。海軍人は寺島、竹下、和田、奥宮、末次、南雲、高木、米内の8人である。
●この23人のうち、南部麒次郎は、兵頭氏の以前の著作『たんたんたたた―機関銃と近代日本』(四谷ラウンド、1998。または光人社ノンフィクション文庫、2009年7月)の主人公である。
 板垣征四郎梅津美治郎小磯國昭畑俊六の4人は、前述した別宮暖郎・兵頭二十八『東京裁判の謎を解く 極東国際軍事裁判の基礎知識』(光人社、2007年3月)においても述べられている。
 また岩畔豪雄は、『軍学考』(中央公論新社、2000年10月)308〜313頁において、“ミニ評伝”が述べられている。
 兒玉源太郎は、前述したとおり、『兵頭二十八軍学塾 日本の戦争Q&A』(光人社、2008年1月)の主人公でもある。
 このように、前著と一部人物が重複しているのだが、内容は密にしてコンパクト、さらに兵頭氏の独自の人物観と仮説が述べられている評伝である。
上原勇作の項目(18頁)では、コンクリートに対して陸軍の大砲を試射した際のエピソードが述べられている。この記述は『軍学考』(中央公論新社、2000年10月)219頁が先見。『軍学考』では参考文献が挙げられているが(井上作巳『旧陸軍技術本部における工兵器材研究審査の回顧』昭和32年…とある)、本著ではそれは記載されていない。
●前述したように、岩畔豪雄は、『軍学考』308〜313頁において“ミニ評伝”が述べられている。
 『軍学考』と本著を見比べてみると、細かな違いがある。
 『軍学考』の岩畔豪雄についての項目には、「岩畔豪雄大佐は百トン戦車を造らせたのか?」という小タイトルが付けられているが、どういうわけか「岩畔」には「くわくろ」というルビが振ってある。そのお詫びのためか、本著では『名字の読みは「いわくろ」。しかし上法快男は『陸海軍将官人事総覧』に「いわぐろ」とルビを振っている』と記述されている(186頁)。
 それはさておき、小タイトルでもおわかりのように、『軍学考』において岩畔豪雄が出てくる理由は、彼が昭和15年に「試製超重戦車(百トン戦車)」の製作命令を出したとされるためである。
 『軍学考』での岩畔豪雄についての話は、この「試製超重戦車(百トン戦車)」と「試製九八式中戦車」の話がメインなのだが、本著での岩畔豪雄と戦車の関連の話は、190頁に「防禦的な重戦車を満州に少数配備し」という記述があるのみである。

『もはやSFではない 無人機とロボット兵器 ―エコ軍備の最前線―』(並木書房、2009年12月)

●『予言 日支宗教戦争』において表明された核武装断念の表明は、本著においても変わらず、

どうやら日本の「核武装」など半永久に不可能なのだーーと、わたしは予見する他になかった」(197頁)

わたしは、「ロボット兵器は、遠い将来には、核兵器の代わりにすらなり得る」と、断言して憚らない」(198頁)

となされている。




投機家の思惑マネーが世界中でガソリン代の高騰を招いてしまった2008年、アメリカ海軍の内部では、もし将来また、中東地域の戦争などの影響で甚だしく燃料代が高騰するようになったら、航空母艦や潜水艦以外の艦艇にも原子力機関を再び搭載することを検討しなくてはなるまい…と語られるようになった。
 じつは1961年から1995年までのあいだ、米海軍に、原子力巡洋艦と原子力駆逐艦が各一隻、存在していた時期もあった」(39頁)
※アメリカ海軍において、エンタープライズやニミッツ級といった原子力航空母艦(CVN)、またはノーチラスや、オハイオ級(SSBN)、ロスアンゼルス級、シーウルフ級、バージニア級(SSN)といった原子力潜水艦以外の水上艦においては、現在までに以下のような原子力動力艦が存在した。

ロングビーチ級原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチ(CGN-9)(基準排水量14200トン。1961年竣工、1995年退役)
ベインブリッジ級原子力ミサイルフリゲート(DLGN-25)→原子力ミサイル巡洋艦ベインブリッジ(CGN-25)(基準排水量7800トン。1962年竣工、1996年退役)
トラクスタン級原子力ミサイルフリゲート(DLGN-35)→原子力ミサイル巡洋艦トラクスタン(CGN-35)(基準排水量8659トン。1967年竣工、1995年退役)
カリフォルニア級原子力ミサイル巡洋艦2隻…カリフォルニア(CGN-36)、サウスカロライナ(CGN-37)(基準排水量9560トン。1974年〜1975年竣工、1999年退役)
バージニア級原子力ミサイル巡洋艦4隻…バージニア(CGN-38)、テキサス(CGN-39)、ミシシッピ(CGN-40)、アーカンソー(CGN-41)(基準排水量9620トン。1976年〜1980年竣工、1994〜1998年退役)

 …というわけで、兵頭氏の言うように「原子力巡洋艦と原子力駆逐艦が各一隻」どころではない。





●『属国の防衛革命』においても述べられていた「対人ミサイル」の構想が、本著においても再述されている。曰く、

昔からありふれた70ミリのロケット弾に、市販のCCD部品を使った画像ロックオン機能と空力誘導機能を組み合わせることで、歩兵携行ミサイルの価格破壊(1発6000ドル)と負担重量革命(3発で20ポンド)を実現しようという構想も、実現の一歩手前まで来ている。完成すれば、未来の歩兵分隊は、対車両用、対無人機用としてだけでなく、対人用としてもミサイルを、ごく気軽に、惜しげもなく発射するようになるだろう」(133頁)


●本著に登場する参考文献の一覧
121頁 スタニスワフ・レム『砂漠の惑星』(原著1964年、邦訳1968年)

『「グリーンミリテク」が日本を生き返らせる!』(メトロポリタン・プレス、2010年4月)

 本著は、表紙(カバー)やアマゾンの紹介ページでは『「グリーン・ミリテク」が…』と表記されているのに、奥付では『「グリーンミリテク」が…』と表記されている(中黒のありなしが相違点)。紛らわしいこと極まりない。一体どちらが正式な書名なのだろうか??
 ちなみにこの稿では、奥付に従って『「グリーンミリテク」が…』との表記に統一している。




しかしながら、戦闘機だけは、原子力や石炭や薪では、飛ばせません」(33頁)

※ここまで書いたのなら、是非、米空軍にかつて存在していた原子力飛行機計画についても触れてほしかった。戦闘機は無理でも、大型機なら原子力で飛ばせそうなのである。詳しくはウィキペディアの原子力飛行機、またはNB-36Hを参照されたい。





国内に原油を埋蔵しないその他の先進国は、たとえばスウェーデンのように水力発電所を増やして鉄道のオール電化を図ったり、あるいは西欧の各国のように、省エネルギーのディーゼル・エンジンを改善しようと努めます」(26頁)

※この記述は、

水力発電は、日本の人口が今の十分一以下に減れば、有望な解決策となる。戦前にスウェーデンは、国防経済上の独立のために、機関車を電気化することにした。同国は日本のように水力資源が豊かで、しかも日本よりも人口が少なかったからである」(『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』ちくま新書、2001、214頁)

が最も早いか。
 前著である『もはやSFではない 無人機とロボット兵器 ーエコ軍備の最前線ー』(並木書房、2009年12月)162頁でも、スウェーデンの鉄道の電化が述べられている。





別宮暖郎氏がかつて指摘されたように、同年9月のマッカーサーの仁川逆上陸機動により、そもそも烏合の衆であった<北朝鮮軍>なるものが雲散霧消した後は、53年7月の休戦まで、米軍と戦っていたのは、まったく中共軍だけです。朝鮮戦争とは、紛れもない「米支事変」だったのです」(108頁)

※「別宮暖郎氏がかつて指摘されたように」とは、兵頭氏と別宮暖郎氏の共著である『戦争の正しい始め方、終り方』(並木書房、2003)のことであろう。関係する箇所は以下の通りである。

別宮  (中略)朝鮮動乱のとき、北朝鮮軍は釜山ペリメーター周辺でほぼ全滅してしまいました。それ以後の朝鮮戦争は、ほとんどが中国の人民解放軍と米軍との戦いだった。「北朝鮮軍」は、どこにもいなくなっていたのです(134頁)






だいぶ前の話になりますが、食通の友人の案内で、「横浜中華街で一番旨い店」とやらを、ひやかしてみたことがあります。それは中華街から最も遠い(と印象された)、最もボロい(と印象された)、ガレージを仕切っただけのような、薄暗くて狭い店舗でした。しかしグルメ音痴なわたしが、少しも我慢せずに堪能できる料理が数点、続けて出てきたのは確かです。店員は居らず、亭主が一人で、時間をかけて作って出してくれるのです。
 老亭主氏は、1945年の横浜大空襲のとき、B‐29の焼夷弾が海岸のどこにどのように落ちてきたか、目撃した情景を語ってくれました。戦前からの華僑なのです。それなのに、どうしてこんなアバラ家のような店舗しか、いまだに構えていないのでしょう?戦後も四十数年、これほどの腕があったのだから、資本を蓄積して、徐々に大きな店舗にして行ったら……などと考えるのは、もう「台湾式」ではないわけです
」(128頁)

※この記述は、

「▼中国人はどこへ行っても料理屋で成功するように見えるのはなぜなんでしょうか。横浜中華街の外れの方にも、やたらうまくて、しかしながらガレージみたいな店がありますよね。
 僕もそういう店に入ったことがあります。ご亭主にお話を訊いたところでは、昭和二十年の横浜大空襲のとき、集束焼夷弾が海にバラバラ落ちるのを、その目で見ていたのだそうです。中華街がまだ「南京町」なんて呼ばれていて少しも賑やかじゃなかった頃からの人なのですね。
 ですから、戦後蓄積された資本で店構えを大きくする機会はあったに違いないのですが、敢えてそれをしていないのだと察せられます
」(『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』PHP研究所、2003、112頁)

が最も早いか。




 前述したように、『ニッポン核武装再論』においては完全にシカトされていた原子力船「むつ」だが、本著では名前が登場している(80頁)。
 さらに、本ページ冒頭でも紹介した、兵頭二十八氏のファンサイト「兵頭二十八ファンサイト  半公式」内の「資料庫」内に、その名も「むつ科学技術館のアメイジングな展示の数々」というページまで作られたのである。よかったね「むつ」。


●本著に登場する参考文献の一覧
7・81頁 田中角栄『日本列島改造論』(昭和47年、日刊工業新聞社)
8・208頁 兵頭二十八『「自衛隊」無人化計画 ―あんしん・救国のミリタリー財政出動』(PHP研究所、2009年10月)
8・208頁 兵頭二十八『もはやSFではない 無人機とロボット兵器 ―エコ軍備の最前線―』(並木書房、2009年12月)
88頁 『嵐と戦ふ闘将荒木』(1955年)
124頁 諏訪哲郎『現代中国の構図』
124頁 平松茂雄『台湾問題』
125頁 兵頭二十八『ニッポン核武装再論』(並木書房、2004年1月)
125頁 太田述正・兵頭二十八『属国の防衛革命』(光人社、2008年10月)
134頁 兵頭二十八『予言 日支宗教戦争』(並木書房、2009年3月)
139・140頁 G・ダイヤー、平賀秀明訳『地球温暖化戦争』(2009年)
144頁 兵頭二十八『日本の防衛力再考』(銀河出版、1995年12月)

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 兵頭二十八・宗像和広(むなかた・かずひろ)『陸軍機械化兵器』(銀河出版、1995)
 兵頭二十八・宗像和広『日本の海軍兵備再考』(銀河出版、1995)
 兵頭二十八『ヤーボー丼』(銀河出版、1997)
 兵頭二十八『「日本有事」って何だ』(PHP研究所、2000)
 兵頭二十八『軍学考』(中央公論新社、2000年10月)
 兵頭二十八『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』(ちくま新書、2001)
 兵頭二十八『学校で教えない現代戦争学』(並木書房、2002)
 兵頭二十八『沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』(PHP研究所、2002)
 兵頭二十八『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』(PHP研究所、2003)
 兵頭二十八『ニュースではわからない戦争の論理』(PHP研究所、2003)
 兵頭二十八『ニッポン核武装再論』(並木書房、2004)
 兵頭二十八『あたらしい武士道』(新紀元社、2004)
 兵頭二十八『逆説・北朝鮮に学ぼう!』(並木書房、2008年3月)

「」(28頁)
※これも古くからのファンにとってはおなじみの記述ではなかろうか。初見は兵頭二十八・宗像和広『日本の海軍兵備再考』(銀河出版、1995) 頁か。

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『大日本国防史』(並木書房、2011年2月)

 本著は「左開きの横書き」というスタイルの本である。兵頭氏の著作における「左開きの横書き」形式の書籍は、『日本有事』(PHP研究所、2006年12月)以来、4年ぶり2冊目となる。

 本著の執筆課程は、兵頭氏のブログ「兵頭二十八の放送形式」に何度か掲載されてきた。いわく、

2010年3月17日「薩摩硫黄島の意味。」

2010年4月2日「背に腹は代えられねえ。」

2010年5月31日「『大日本国防史』下巻、脱稿。」



 …そもそも2010年4月2日「背に腹は代えられねえ。」に、

『大日本国防史』は数巻のシリーズになる見通しです。いろいろすいませんです。あっさりとまとめるつもりが、ハマり込んでしまい、1巻では文字量がとうていおさまらなくなりました。vol.1は「壇 ノ浦」までです。
 ただちに vol.2「鎌倉時代〜」篇に作業は突入しています。これを脱稿するのは1〜2ヶ月後でし ょう。併せて、お待ち下さい


 とあるように、そもそも本来は複数巻にするつもりだったらしい。どういうわけか結果的に単巻で発売された本著だが、しかし、わたくし(管理人)自身は、分厚い本という印象は受けなかった。文字を小さくしたためだろうか?著者自身は、

「『大日本国防史』の見本が届いた! この字の小ささは、老人には無理かも……」

 とぼやいているが。





新羅は、秦・漢からの逃亡シナ人が建てた国である。そこに、海賊(武装した海運事業者)も混じっていたのだ。
 いったいなぜ朝鮮半島南部に海賊がいたかというと、これは海流に乗ってはるばる東南アジアから辿り着いたインド人たちの末裔なのである。彼らが経営していた地方政権が、任那だった
」(11頁)

※この記述は、

中国南岸から漂流した船は、北上して朝鮮半島南西端に衝突する。だから古来そこには「馬韓」とか「百済」とかの独特の文化圏が形成された』(『軍学考』中央公論新社、2000年10月、109頁)

が最も早いか。




 ルース・ベネディクトの『菊と刀』に基づく天皇神聖首長説(6〜7頁・271頁)は、ブログ「兵頭二十八の放送形式」2006年2月11日「あしびきの…」、および『日本有事』(PHP研究所、2006年12月)177〜181頁にも、
 日本神話の「闕史八代」(9頁)は、ブログ「兵頭二十八の放送形式」2008年9月19日「一九二人のリスト公表!」、および『属国の防衛革命』(光人社、2008年10月)110〜113頁にも、
 隋帝国の朝鮮半島遠征失敗(49〜50頁)は、『逆説・北朝鮮に学ぼう!』(並木書房、2008年3月)111頁にも、
 きかいがしま(102頁)は、前述したブログ「兵頭二十八の放送形式」2010年3月17日「薩摩硫黄島の意味。」にも、
 源義経の対平家三光作戦(117〜121頁)は、「正論」(産経新聞社)2011年1月号所収「クロスライン」にも、
 豊臣秀吉の朝鮮出兵の理由(212〜213頁)は、『軍学考』(中央公論新社、2000年10月)7頁、および『逆説・北朝鮮に学ぼう!』111頁にも、
 豊臣家は大阪から奥蝦夷もしくは外地に自主的に転封すればよかったのでは?という説(221〜222頁)は、ブログ「兵頭二十八の放送形式」2005年11月24日「シャーマニズムの政治」にも、
 明の遺臣を助けての対清作戦構想(225頁)は、『軍学考』15頁にも、
 林子平(237〜238頁)は、『軍学考』15・102・110頁にも、
 アメリカ捕鯨船の日本近海への進出(242〜245頁)は、『軍学考』101〜103頁にも、それぞれ登場するので、併せてお読みいただきたい。


 本ページ冒頭でも紹介した、兵頭二十八氏のファンサイト「兵頭二十八ファンサイト  半公式」内の「資料庫」内の「珠玉の没シナリオ大全集」内の「[大日本国防史]の掲載されなかったシナリオ」に、小松直之氏によって作画されなかった漫画のシナリオ2篇が収蔵されている。
 勿体ないことである。『大日本国防史』の改訂版がもし出るのなら、それにあわせて小松氏に作画をお願いして、掲載すればいいのと思うのだが。

『極東日本のサバイバル武略』(並木書房、2011年10月)

 正論2011年12月号のコラム「クロスライン 極東日本のサバイバル武略」(48-49頁)が、本著の簡 潔なまとめになっている。



★★★まちがいさがし★★★
 誤植はなぜか84頁に集中している。

84頁1行目
誤 995年から持っていたようです。、
正 995年から持っていたようです。

84頁8行目
誤 原子力空母『ミニッツ』と……
正 原子力空母『ニミッツ』と……



 冒頭の「アジア東部要図」だが、「平湖油田」の地図上の位置が間違っていませんか?
 本文には、

はやくも1999年4月、大船団が東支那海の中間線の日本側に入り込みながら1週間で天然ガスのリグをシナ側海域に建設し、「このあたりは平湖油田だ」と名付けました」(107頁)

 とあるのに、「アジア東部要図」では、「平湖油田」がシナ大陸のうえ、上海付近にあるようにしか見えない。これはまちがいでしょう。





このため今日では、自動車を石炭で動かそうとしている人は、まず見かけないわけです。また、飛行機の世界となりますれば、もう昔から一貫していて、蒸気力で動力飛行をさせるのは無理だと、認定されてきました。
 石炭ボイラーで蒸気タービンを回して発電し、その電力で列車を走らせ、陸上輸送力にすることはできます。飛行機も、ごく軽いものならば、短時間、電気モーターでゆっくり飛ばすこともできます。しかし、そんなものがいくらあっても、長時間にわたって高性能を発揮してくれる飛行機やトラックがたくさんなければ、最前線の兵隊は戦争ができず、近隣諸国の政府を脅し上げることは不可能なのです
」(28頁)

※これは『「グリーンミリテク」が日本を生き返らせる!』(メトロポリタン・プレス、2010年4月)33頁でも記述されている。詳しくは本ページの上部へと遡ってご覧いただきたい。




羅津港からは、新潟沖や秋田沖にまで、軍事的な圧力をかけることも可能でしょう。シェール・ガス革命の前は、それが現実になる危険はあったと思います。
 しかし、シェール・ガス革命によって天然ガスの世界的な値崩れが長期的に起きることが確実である以上、『大油田』の存在しない新潟県や秋田県は、シナの興味をもう惹かないでしょう
」(113頁)

※ところが、新潟県沖にも大油田があるようなのである。

新潟県沖に大規模油田か、来春にも試掘 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
読売新聞 2012年6月18日(月)14時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120618-00000645-yom-pol(リンク切れ)

 経済産業省は18日、新潟県沖で油田・天然ガス田の商業開発に向けて試掘に入ると発表した。
 来年4月にも掘削を開始し、埋蔵量を3年かけて調査する。地質調査の結果では国内最大の油田・ガス田となる可能性もある。
 試掘地点は、新潟県の佐渡島から南西約30キロの水深約1000メートルの海底。2003年に周辺海域で試掘した際、少量の石油やガスの産出が確認されていた。
 経産省資源エネルギー庁は、2008年に導入した3次元物理探査船を使用して地層構造を精密に分析した結果、海底から2700メートル下にある地層のうち、約135平方キロに及ぶ範囲で石油や天然ガスの埋蔵の可能性があるとのデータを得た。面積はJR山手線内の約2倍に相当し、同庁は「面積では海外の大規模油田に匹敵する」としている。
 政府は2009年、「海洋エネルギー・鉱物資源開発計画」を策定し、日本の排他的経済水域(EEZ)内の資源開発に本腰を入れた。日本近海の11か所で3次元調査を進めたところ、新潟県沖が最も有望と判断した。試掘の結果が良好なら、同計画の第1号として2017年の商業化を目指す。

最終更新:2012年6月18日(月)15時45分

新潟県佐渡南西沖において国内石油天然ガス基礎調査を実施します〜探査船「資源」の探査結果に基づく初の試掘調査〜
http://www.meti.go.jp/press/2012/06/20120618002/20120618002.html(経済産業省ホームページ)
 資源エネルギー庁は、国内石油天然ガス基礎調査事業(我が国における石油・天然ガス資源のポテンシャル調査)として、平成25年春、新潟県佐渡南西沖において石油・天然ガスの賦存状況の確認を目的とした試掘調査を実施します。
 本事業は、平成20年2月に資源エネルギー庁が導入した三次元物理探査船「資源」による探査の結果、有望と判断された当該海域において試掘を実施するものであり、探査船「資源」の探査結果を踏まえた初の試掘となります。
 今後、試掘に向けた準備作業を行うともに、地元関係者との調整を引き続き行ってまいります。







もしも旧日本軍が1941年12月にハワイや米領フィリピンを攻撃せずにボルネオ島(の全体もしくは北半分、もしくは英領か蘭領のどちらか)だけを占領した場合、あるいはまた、米領も英領も攻撃をしないで、ただスマトラ島(蘭領)の油田だけを占領した場合、やはり、米英両国は、すすんで日本と戦闘状態に入る道を選んだことでしょう(いきなり米国陸軍の大動員がかかったかどうかは分かりません。空海からの干渉戦争として始まったでしょう。マレー半島にはそのための最良の航空基地が点在していました)。 それほどの大油田が絡んだ場合、『米英不可分論』は正しかったのです」(124頁)

※この記述は、

陸自調査学校編『日本の戦略情報組織』(昭和三十五年)によると、対米開戦前、旧陸軍は、オランダまたは英蘭のみに対する分離戦略が可能だと考えていたが、米国情報担当の海軍が、米英絶対不可分論を譲らず、比島攻撃が南進の前提であると陸軍に呑み込ませたという。
 今日分かっているところでは、米英は少なくとも一体であった。また、オランダ領インドネシアに関しては、オランダ亡命政府が英国に頼っていたので、米英蘭が一体と主張する海軍は、必ずしも誤りではなかった。長期的には、米国は必ず参戦したであろう。
 当時、米国内の石油は三十年で枯渇すると考えられていた。だから、もし英帝国の確保する油田がすべて枢軸側に渡るようなことになれば、米国はそれを座視できなかったであろう。
 しかし、そうであったにも拘らず、当時、「ラインラント式」の蘭印単独進駐の方途が無かった訳ではないのだ
」(『軍学考』中央公論新社、2000年10月、332頁)

でも登場しているので、そちらも併せてお読みいただきたい。





じつは冷静な文官の共産党員には、東支那海に油田がなさそうなことは見当が既についており、それが証拠に、最も大きな努力は、南支那海方面に投入されています。
 たとえば中共軍の新編『海兵隊』の配備も、すべて南支那海の沿岸であり、東支那海ではありません。
」(127頁)

 空母も南シナ海へ配備されるようである。

南シナ海に来年配備か=試験航行の中国空母―香港紙 (時事通信) - Yahoo!ニュース(リンク切れ)
時事通信 2011年8月11日(木)15時29分配信
 【香港時事】中国系日刊紙・香港商報は11日、同国軍消息筋の話として、10日に試験航行を開始した旧ソ連製の中国空母「ワリャーグ」が来年就役し、南シナ海方面に配備されると報じた。同海域で領有権を争うベトナムやフィリピンをけん制する狙いがあるとみられる。
 消息筋はワリャーグについて「中央軍事委員会が直轄し、どの艦隊にも属さない」と説明。南シナ海に面する海南島で「埠頭建設や訓練環境など(ワリャーグを迎える)多くの準備が既に整っている」と述べ、同島の港が母港になることを示唆した。 

「【国際情勢分析】南シナ海「包囲網」突破策を練る中国」:イザ!

南シナ海の領有権問題 - Yahoo!ニュース





余談ですが、そもそも『一式陸攻』のモデルは、ソ連が一九三七年に初飛行させた『イリューシンDB-3』ではなかったのかと兵頭は思っています。『一式陸攻』と見かけも似た双発の『陸攻』で、魚雷を抱えて長距離飛行することができると謳われていました。『一式陸攻』は、その一九三七年に設計が始まっているのです」(132-133頁)

※この記述は、

兵頭 えー、実は私は一つの説を唱えておりまして、日本海軍の航空隊は案外ソ連軍機に影響を受けていて、その一方で肝心の仮想敵のアメリカ軍機の方はほとんど眼中になかったんじゃないか。(中略)ともあれこの写真をご覧ください。
小松 イリューシン4と、日本海軍の一式陸攻ですね。
(中略)それを、一式陸攻と並べた意図は?
兵頭 側面図をみるとそっくりなんですよ。
小松 しかし違いますね、大きさが。ぜんぜん。
兵頭 それは日本海軍が要求した航続力が、あのロシアの遠爆以上だったということで、相似形で大きくなっている。形態面といっしょに、この2機の機能面にも注目して欲しい。イリューシン4は、長距離を飛行して雷撃ができたんです。まさに日本海軍が求めていた新鋭陸攻のコンセプトだ。プロトタイプDB-3の初飛行は1937年で、改善型イリューシン4は1939年完成。そして日本海軍が一式陸攻の設計指示を出したのが1939年です
」(『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力―600機の1/72模型による世界初の立体的比較!』、宗像和広・小松直之・三貴雅智との共著、銀河出版、1997年7月、10頁)

 が初出であろう。その後、

中攻の最大の特徴は、長距離機であると同時に敏捷な操縦性で雷撃もこなせることで(このコンセプトはソ連機の影響ではないかと、私は『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力』の中で指摘した)、日本海軍は、米軍にはないこの機種を南洋の島々に展開することで、米軍の進行を阻止しようとした」(『軍学考』247頁)

あるいは、ソ連の海軍人は、旧日本海軍の兵器体系を評価するところがあったかもしれない。地上基地に置いた中距離高速攻撃機(『バックファイアー』)から長射程巡航ミサイルで米空母を狙うという作戦構想は、旧日本海軍を手本にしていた節がある。彼らにとって、旧日本海軍は『でかした奴ら』だっただろう」(『軍学考』324頁)

でも登場している。





中共の中央としては、これからは、潜水艦や空母ではなくて、軍隊でもなくゲリラでもないもの、具体的には、「漁政」だとか「海監」だとか「海巡」だとか「海警」だとかを大増強することにカネをかけてくるでしょう。(中略)
 シナには、海軍とは違う、海上の法執行機関が、5つもあります。それを英語で表記すれば、「Coast Guard」(日本の海上保安庁に相当)、「Maritime Safety Administration」(やはり海上保安庁に相当か)、「Fisheries Law Enforcement Command」(日本の水産庁に相当)、「Customs Service」(日本の税関や港湾警察や水上警察に相当か)、「Marine Srrurveillance」(1998年の新設で、資源や環境にかかわるらしいが、不詳)です。
 いずれも近年、船舶も航空機も人員の規模も、急激に増やしつつあります。尖閣の主権を海上保安庁がガードできているのは、巡視船の隻数がかろうじて足りているからで、このバランスは、シナのオフィシャル船が2倍に増えただけで、覆ります。そして、シナの武装オフィシャル船の増勢は、とても、2倍などという生易しいペースではない
』(161-162頁)

 兵頭氏の指摘のとおり、中国は巡視船を大幅に増強するようである。

中国、巡視船36隻を建造…1〜2年以内に配備 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120609-OYT1T00687.htm(リンク切れ)
【北京=大木聖馬】
 中国国家海洋局の劉賜貴局長は8日、新華社通信に対し、同局が巡視船36隻を建造中で1〜2年以内には現場海域に投入すると明らかにした。
 尖閣諸島のある東シナ海や、フィリピンやベトナムなどと領有権を争う南シナ海に配備し、巡視活動を強化する方針とみられる。同局は約260隻保有する巡視船を2020年までに520隻に倍増する計画だ。
 新華社通信はまた、南シナ海全域で気象予報をラジオで伝えるシステムが8日までに完成したと伝えた。同海域で活動する中国の巡視船や漁船などの活動に役立てることが狙いといえる。
(2012年6月9日22時35分 読売新聞)



 ……ちなみに、本題とは外れる些細なことだが、

シナには、海軍とは違う、海上の法執行機関が、5つもあります。それを英語で表記すれば、「Coast Guard」(日本の海上保安庁に相当)、「Maritime Safety Administration」(やはり海上保安庁に相当か)、「Fisheries Law Enforcement Command」(日本の水産庁に相当)、「Customs Service」(日本の税関や港湾警察や水上警察に相当か)、「Marine Srrurveillance」(1998年の新設で、資源や環境にかかわるらしいが、不詳)です』(161-162頁)

 とあるが、中国の、海軍ではない海洋警備組織については、「世界の艦船2011年9月号 特集・中国の海洋力」(海人社)所収の、陸易「中国のコースト・ガード組織はどうなっているのか?」にも詳しく記述されている。いわく、

中国には、国家海洋局(State Oceanic Administration:SOA)海監総隊(中国海監)、交通部海 事局(Maritime Safety Administration:MSA,中国海巡)、公安部辺防管理局(Bordor Control  Department of Ministry of Public Safety)公安辺防防備隊(中国海警)、農業部(Ministry  of Agriculture:MOA)漁業局海政総隊(中国漁政)、海関総署緝私局(General Administration  of Customs,中国税関)と五つの海上保安機関(海上法執行機関)があり(後略)」(90頁)

 となっており、兵頭氏の記述とはだいぶ異なっている。






 52-83頁のシナ軍の南シナ海侵略史については、江畑謙介『江畑謙介の戦争戦略論U 日本が軍事大国になる日』(徳間書店、1994年1月)66-91頁、および「中国は南シナ海で『棍棒外交』」(「選択」2011年8月号)、または「世界の艦船2011年9月号 特集・中国の海洋力」所収の山田吉彦「気になる海洋開発の実態と今後」にも、
 75-77頁の「在比米軍のクラーク空軍基地」については、『軍学考』の「ルソン島・クラーク基地はなぜ放棄されたか」(264-265頁)にも、
 128頁の「エア・シ―・バトル」の名前の元ネタである「エアランド・バトル」については、ウィキペディアの「エアランド・バトル」も、
 同じく128頁の「エア・シ―・バトル」については、「海幹校(海上自衛隊幹部学校)戦略研究2011年 5月」所収の八木直人「エアシー・バトルの背景」(全文はこちら)(サマリーはこちら)を、
 149-153頁の「対艦弾道弾」については、『もはやSFではない 無人機とロボット兵器 ―エコ軍備の最前線―』(並木書房、2009年12月)の「対艦弾道ミサイルによる対支反撃オプション」(62-64頁)、および「世界の艦船2011年9月号 特集・中国の海洋力」所収の山崎眞「中国海軍の現況と将来」、または『日本人が知らない軍事学の常識』(草思社、2012年3月)の『「東風21D」のひとり歩き』(234-238頁)にも、
 168頁以降の第5章「原発をいかにして巡航ミサイルから守るか」は、ブログ「兵頭二十八の放送形式」の「札幌エルプラザ講演のご報告」(2011年8月29日)、および「正論」(産経新聞社)2011年11月号所収「クロスライン 国防とエネルギー一体の視点を」にも、その内容が詳しく記載されているので、そちらも併せてお読みいただきたい。

●本著に登場する参考文献の一覧
55頁 小倉卯之助『暴風の島――新南群島発見記』(昭和15年)
55-56頁 郭抹若『?』(小野&丸山氏訳、平凡社東洋文庫版、1948年)

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藤和彦(とう・かずひこ)『石油を読む』(日経文庫、2005)

 また、藤和彦『石油を読む』(日経文庫、2005)には、


『中国政府幹部および軍高官たちの間には、米国の「資源陰謀論」が台頭しているという。
 「もしマラッカ海峡を米軍に封じ込められたら、中国は干上がる」
 かつて日本でも同じような議論があった。「敵」は米軍ではなく旧ソ連軍であったが。「資源パラノイア」は、軍独特の発想から生まれるものなのだろう』
(64頁)


 とある。
          

『日本人が知らない軍事学の常識』(草思社、2012年3月)


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2.F−2支援戦闘機に対する評価の流転

『日本の防衛力再考』(銀河出版、1995年12月)
日本は、FSXの共同開発において、基本的にステルスではないF-16をベースにするという、誤った選択をした。
 そもそもF-16はハリヤーのようなSTOL性はなく、滑走路に絶対的に依存する。よって、先制空襲に生き残る保障はない。さらにその機体形状はとうていステルスには改められないもので、E2Cや艦隊前衛戦闘機に容易に探知されてしまう。そしてその主武器であるASM-1/2もステルス設計ではないから、AMRAAMやCIWSで撃墜されてしまうだろう。
 このように、米式装備の海軍に対し、FSXでは何の抑止力も阻止力もない。むしろSH-60ヘリから発射できるステルス型巡航ミサイルを研究した方が見込みがある。FSXは技術研究までにとどめ、量産化は見送るべきであろう
」(90頁)(原文ママ)



『「日本有事」って何だ 「超カゲキ」VS「常識」問答』(PHP研究所、2000年2月)
「●FSXは結局、名機になるのでしょうか? 
 F-2という名前になるやつだね。なにしろ致命的なのはステルスじゃないから、北朝鮮を爆撃しに行くようなミッションには使えないんだよね。しかし、ミサイル運搬体としては定評のあるF-16をベースにしているから、台湾海峡の戦争には使えるよ」(175-176頁)



『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』(ちくま新書、2001年11月)
『●航空自衛隊の戦闘攻撃機F-2、つまり以前は「FS-X」と呼ばれていたものですが、これは、中国軍が攻めてきたときには反撃の主力となってくれますか?
 F-2の売り物の攻撃兵装としては、射程百数十kmの対艦ミサイルを四発だけ。これは、なんと海上自衛隊のP-3Cと同じである。
 日本はP-3Cを一〇〇機も保有している。そして、中国の水上艦で、P-3Cから発射される「ハープーン」対艦ミサイルの飽和攻撃を生き残れるものなどない。だから、対中国だけを考えるなら、F-2がなくとも別に困らなかった。
 それではF-2の保有メリットは何かと言ったら、P-3Cと違って敵戦闘機が現れたら空戦して排除できる。それから、空中給油装置によって、平壌、沿海州、サハリン、千島列島を対地爆撃できる。それだけだ。
 これからの日本の航空自衛隊に最も必要な能力は、ズバリ指摘すれば、北京を空爆できることなのだ。安全保障とは敵の侵略行為を抑止することだが、F-2は、極東で最大の脅威になりつつある中国を抑止できる兵器システムとはなっていない。
 何が欠けているかというと、ステルス性能と、空中給油を受けない場合の航続距離、そして戦略射程の巡航ミサイルだ。ステルスと航続性能はいまさらどうしようもないから、せめて、射程二五〇〇Km級の巡航ミサイルを、サイズはトマホークよりずっと大きく、二トン以上になっても良いから、ロシアのように自主開発すべきだろう。それを1発抱えて飛び出せるようになったとき、F-2は極めて意義のある存在に生まれ変わる
』(149-150頁)



ブログ「兵頭二十八の放送形式」2009年6月24日
飛行機は往復しなきゃならないが、巡航ミサイルなら片道で良い。だから地上発射ではなく、飛行機に吊るすASM運用を考えると、巡航ミサイルの射程ってのは、意味はぜんぜん違ってきます。短いようでも、じつは長いのです。イージーに、遠くまで弾頭を運搬できる手段。韓国はすでにそれを持っている。吊るすストライクイーグルも持っている。日本はそういうのを持たなくていいんですか、って話になる。F-2にはそのポテンシャルがものすごくあった。その必要調達が阻止された。理由はコストでしょうかね? どうも、間接侵略のてだれである北京が、米国&財務省経由で工作したように思えてなりません。M-Vもまったく同じですよ。
 F-2のコストはむしろ安い。ASM×4発運用可ってのは、他に代替が利かぬユニークな能力なんだから。沖縄から飛べば北京を攻撃できるのです
」 


※……いや、「F-2の必要調達が阻止された。理由はコストでしょうかね?」って……。きっと『日本の防衛力再考』を今更ながら読んだ防衛省の皆々様が、兵頭氏の「FSXは技術研究までにとどめ、量産化は見送るべきであろう」という言説に同意して、これ以上犠牲を広げ、傷口を広げないためにも、F-2の調達中止を決定したんじゃないんですかね。

3.30型ロケットに対する記述の変遷について


『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』(ちくま新書、2001年11月)
大型の六×六トラックの荷台から、直径三〇cm、射程二〇kmの「三〇型ロケット」を続けて二発発射できるようになっていた「六七式三〇型ロケット弾発射機」は、どうして退役してしまったのですか?
 戦後自衛隊の最大の大砲の口径が二〇三mm(八インチ)だから、射程が短いのはともかく、「三〇型ロケット」の命中時の破壊力は、比較を絶していた。
 このロケットの直接の参考品は、たぶん米軍の「タイニーティム」というものだったろう。しかし、この「三〇型ロケット」のコンセプトの中には、日露戦争中の「二八cm榴弾砲」の遺伝子が継承されていたのである。
 二八cm榴弾で旅順の近代的要塞が陥落したのを見届けたドイツ武官が、三〇cmとか四〇cmの、野戦に持ち出せる臼砲を開発させた。それがやがて第一次大戦で敵軍の堅固な防御陣地を無力化するのに投入され、著効があったと伝えられた。
 今度はそれを、満州でソ連式のトーチカ陣地と向い合っていた関東軍が参考にすることになった。ただ し鉄道も道路もない湿地や密林で使うことが予想されたので、ベース・プレートから弾体から、すべて何十個ものパーツに分解して多数の兵隊が背中に担いで運搬し、敵陣の間近で密かに組み立て、奇襲的に一斉発射してこれを破壊してしまうという、ロケット花火のような方式を工夫した。口径三二〇mm、とても大砲には見えないのだが、「九八式臼砲」と称した。
 戦後の「三〇型ロケット」は、この、ソ連軍のトーチカ破壊用の秘密兵器を、戦後わざわざ新たに復活させたものであった。なぜそんなことをしたのかというと、ソ連軍が北海道にやって来れば、昔、シベリアに造ったものと同じようなトーチカ陣地を構築するに決まっている。そのトーチカ陣地を破壊する兵器が要るのだ――と、開発指揮官は考えたのだ。そして実際、富士学校を除けば、北海道にばかりランチャー四八両が配備された。なにしろ、戦時中に日本の陸戦兵器を開発していた主だった人たちは、昭和二七年以降、そっくりそのまま、防衛装備開発の現場に戻ってきていた。だから物の考え方も、戦前から完全に連続していたというわけだ。
 しかし、遺憾ながら、射程二〇kmでは、当時の一五五mm旧式榴弾砲とは互角であっても、ソ連の榴弾砲よりはリーチが短かった。米軍供与の一五五mmカノン砲「ロング・トム」にも劣っていた。既にノモンハンからフィリピン決戦までの戦闘で日本軍の砲兵が痛感させられていたことのはずだか、砲兵の戦いでは、射程がすべてなのだ。しょせんは、旧軍の歩兵の亡霊が造らせた兵器だったといえる。退役の理由は、そこだろう。しかし、もしも三〇km以上の射程があったなら、まだ現役でいたかもしれない。この「三〇型ロケット」の部隊は、後に、自主開発の地対艦ミサイル「SSM‐1」を運用する部隊として、装備を転換された。同ミサイルは、大戦末期の「桜花四三型乙」の理想を遂に達成したもので、内陸の山の中から、一五〇kmも沖合の敵の艦艇を、自律誘導方式で攻撃できる。この装備化によって、幕末の「台場」も やっと完成したと言えるだろう
』(112-114頁)





■『イラク戦争で「国連」は終わった 国家としての日本が復権する日』、「正論」2003年6月号
『(前略)かつて世界じゅうの大気圏内でたて続けに核実験が行われていた一九六〇年代から、日本国内でも核武装は検討されていた。その報告書の類は一切外に出てこずとも、省庁の予算のつけ方を見れば、日本の中枢で誰も核武装オプションを捨てていないことは、分かる者には分かった。
 たとえば、陸上自衛隊には、トラック車載のランチャーから発射する「68式30型ロケット榴弾」という装備があった。直径二八センチ、これは日露戦争で旅順まで運んで撃った海岸砲と同じ値だが、射程は二八キロと、当時の陸上自衛隊が保有する火器の中で最もレンジが長かった。ちなみに日露戦争の二八糎砲の最大射距離は七六五〇メートルにすぎなかったから、その四倍に近いわけだ。
 しかし、こんなものを一台のトラック(67式30型ロケット弾発射機という)から二発続けて飛ばしたところで、現在の最も精密な重砲でも十八キロ先では五〇メートルの弾着のバラつきが生ずるといわれているくらいなのだから、いわんや初速が小さく横風にはすこぶる弱いロケット弾が、二八キロ先では九〇メートル以内の誤差でおさまったわけがない。破片は七〇メートル以上飛び散るのでむきだしの歩兵には有効だったかもしれぬが、トーチカや集積所に立て続けに何発も直撃させて破壊できるウェポン・システムだとは、信じられなかった。
 これは、日本なりに地対地核ロケットのプロトタイプを準備した努力だったと考えるのが、やはり合理的だろう。
 一九五〇〜六〇年代の米国の技術では、核弾頭の最も小さな直径は二八センチが下限だった。初めは、爆発威力が一五キロトンの「二八センチ原子砲」として一九五二年に完成する。
 ついで一九六〇年に米本土防空用の空対空ミサイルとして採用された「核ファルコン」の弾頭が、やはり直径は二七・九センチ。そして同じ年に、この核ファルコンの弾頭を、ジープ搭載の特別おあつらえの無反動砲からも発射できるように改造してみたのが「デイヴィー・クロケット」と呼ばれる兵器で、弾頭の重さはわずかに二三・二キログラム、それでTNT爆薬二五〇トン相当の爆発威力を発揮し、爆心地から八〇〇メートル以内の敵歩兵は中性子で死ぬだろうと見積もられていた。
 おそらく、68式30型ロケット榴弾とは、この核ファルコン/デイヴィー・クロケットと近似の戦術核弾頭を日本の自衛隊も取得する日があることを強く予期して、戦前からの生き残りの造兵将校が、開発と装備化を推進していたものであっただろう。
 核爆発だからこそ、二八キロ先での弾着のちらばりは、無視できたのだ。そして、多連装ランチャーにしてつるべ撃ちする必要も、考えずに済ませたのだろう。
 戦前の陸軍大佐〜中将クラスの元気のいい技術系将校たちは、防衛庁が創設された一九五〇年から二十年近く、陸戦兵器の開発に関して強固な指導力をふるい、背広組にも口は挟ませなかったように観察される。「日本はまた満州で戦争をやる」と、熱く信念を語る人もいたそうである。
 なお、30型ロケットはとっくに退役している。今はその特科部隊は、SSM―1という地対艦巡航ミサイルに装備を転換し終えている。近い将来、この部隊には、核弾頭付きの長射程戦略ミサイルの運用担当となって、遠く北京に狙いをつけてもらうことになるのかもしれない
』(154〜156頁)






ブログ「兵頭二十八の放送形式」2007年7月21日「卵とニワトリの順番」
『(前略)1960年には、こんな精神頽廃はなかった。なぜなら1960年頃の国防指導層は、核武装を考えていたからだ。
 「30ロケット」と呼ばれた、とっくの昔にスクラップにされている国産の地対地ロケットがある。こうした古い国産兵器のスペックは、後になればかなり詳細に明らかになるのが普通である。公開資料に逐次的に数値が載るのだ。ところが、この「30ロケット」のスペックのうち、弾頭重量と炸薬量だけは、いまだに分からない。自慢にもならぬが、いままでどこにもその数値が出ているのを読んだ覚えがない。(直径30cm、長さ4.5m、弾体全重650kg、射程20km以上、ひょっとすると30km前後かも、とだけ知られている。)
 弾頭重量や炸薬量の秘密がこれほどよく保たれているのは、「30ロケット」が、日本版の戦術核兵器にするつもりで開発されたからだ。シナが核武装しそうだと判ってきた1959に、赤城宗徳氏が自主安保の結論に達した。またちょうど、米軍は世界最小の原爆を実用化しつつあり、その弾頭が核ファルコンデイヴィークロケットに搭載される。核弾頭の直径は最小で30センチにおさめられるらしいとわかっていた。その直径30cmは、1960年から本格開発がスタートし1968に部隊配備された「30ロケット」と同じである。
 とうぜん、核弾頭は通常弾頭より軽く、よって、「30ロケット」の最大射距離は、二種類あったのだろう。やはりいまもって詳細は公示されていないけれども、通常弾頭で20km前後、核弾頭で30km前後だったのではないかという想像はつく。その二種類のイマイチはっきりせぬ数値が、過去の一般向け媒体の中に散見されたからだ。
 1960年代には、まだ旧軍の砲兵将校の生き残りがたくさん居た。「30ロケット」の弾頭重量や炸薬量が洩れると、「それは大距離射撃でありながら多連装でない狙撃的運用、しかも非誘導とする以上、通常弾頭としてはディスパージョンの関係から合理的ではあり得ず、おそらく核弾頭にするつもりなのだな」と容易に気取られてしまって、中共の手先である新聞どもが騒ぐに違いない、と懸念されたのだ。
(後略)』




『日本人が知らない軍事学の常識』(草思社、2012年3月)
陸上自衛隊は、一九六八年には、「67式30型ロケット」という、トラックから発射して二〇キロメートルぐらい離れた場所を砲撃できる、直径三〇センチメートルの無誘導のロケット弾を国産して、北海道の砲兵部隊にもたせています。この弾頭の直径は、当時の米軍の最小の戦術核弾頭を収めるに足るもので、 ソ連軍が核を使うなら、こっちも米軍から戦術核兵器(「オネストジョン」という地対地ミサイルがありました)を拝借できるだろうという見通しを、制服組がもっていたことを推測させます』(130頁)


4.「脳の一回性」について
ブログ「兵頭二十八の放送形式」2008年7月13日には、こうある。

「(前略)《 天国(or楽園)は、ただ追憶(or記憶)の中にだけある 》と言った人が、かつてどこかの国にいたはずだ――と思い、今回ネットで検索してみたのだけれども、探し方が足りないのか、根気がなくなりつつあるのか、どっちにしても同じことだが、みつからなかった。
(中略)
〈かつて幸せであった場所に、二度と戻ろうとしてはいけない〉(たいていガッカリするだけだから)……と言った人がどこかにいなかっただろうか? その人は「脳の一回性」が解っているかもしれない


※言っている人はいるのである。茂木健一郎『脳と創造性 「この私」というクオリアへ』(発行・PHPエディターズ・グループ、発売・PHP研究所、2005年4月)には次のようにある。

大事だからといって、何度も経験すればよいというのではない。一度経験したことを、人生の自然な流れを曲げ、無視してまでもう一度再経験してみることには弊害が多く、利が少ない。そのことを認識するのが、すなわち「一回性の経済学」である。旅行の思い出が忘れられず、もう一度訪ねてみたが、同じ興趣が得られない。キャンプファイヤーで友人と意気投合して、人生についての深い話をした。もう一度あの時の流れを、とやってみると、思ったほどしんみりしない。そのような経験は誰にでもあるだろう。一回性を繰り返そうとしても、案外うまくいかないのである。
 結局、人生の中で忘れられない思い出があったとしても、無理して二度繰り返そうとすべきではない。一度だけで良い、一度でもそのようなことがあれば本望だ、という潔さこそが、人生をうまく生きるための智慧である。そしてこのような一回性の経済学は、芸術の本質とも無縁ではない
」(200頁)




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