矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』年表
新設    2006(平成18)年12月27日
(この間省略)
更新    2010(平成22)年5月5・15・23日
更新    2010(平成22)年11月14日
更新    2011(平成23)年1月1日
更新    2011(平成23)年7月3日
更新    2011(平成23)年8月6日
更新    2011(平成23)年9月12日
更新    2012(平成24)年1月4日
最新更新 2012(平成24)年3月11日

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矢作俊彦(やはぎ・としひこ)『あ・じゃ・ぱん 上・下』(新潮社、1997)
 2002年に角川書店から合冊《がっさつ》本も出版されているが、本項では最初に出版された1997年本を底本として使用する。つーか、未だに文庫化されていないのだ。
 福田和也氏は『作家の値うち』(飛鳥新社、2000年)の本著紹介頁において、

膨大な言及、パロディ、皮肉、あてこすり等は、総体として到底理解不可能であり、文庫版では著者による注釈が付されるべきだが、意地悪な作家は拒否するだろう」(109頁)

と述べているが、是非とも文庫化してくれ!(…などと愚痴っていたら、2009年11月に角川書店から文庫版上・下巻が出版されました。万歳万歳万々歳!!しかし残念ながら注釈などは一切付いていません。残念無念…



本項の凡例

(上巻10頁)

とあれば、1997年発行の原著上巻の出典頁を、

≪上巻10頁≫

とあれば、2009年発行の文庫版上巻の出典頁を、それぞれ示している



 題名である『あ・じゃ・ぱん』の「ん」の文字は、「ん」と「!」とがくっついているような字体で、通常の方法では文字表示は不可能である(この文字の由来は、ちゃんと本編内において…下巻544頁≪下巻610頁≫…説明される)。
 国立国会図書館amazonで検索すると、『あ・じゃ・ぱん』と表記されている。東京都立図書館で検索すると、『あ・じゃ・ぱ!ん』と表記されている。当ホームページでは、以下『あ・じゃ・ぱん』という表記に統一する。



 本著は、架空の歴史をたどった日本を巡るハードボイルド作品であり、また歴史のパロディ作品でもある。
 矢作氏本人が明らかにしているが、本著の構成は、アメリカのハードボイルド小説家レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』(早川文庫、1976)を全部解体して使っているのだそうである。詳しくは、矢作氏へのインタビューを御覧頂きたい。



 本著の時間軸は、作中では直接言及されてはいないが、記述から推測は可能である。
 しかしどの記述も微妙に改変されている。史実とは少しズラしてあるようなのである。
 まず、上巻23‐24頁≪上巻25頁≫を読むと、主人公の一人称によって物語られている現在は昭和天皇の崩御直後であることがわかる。よって大多数の読者は、本作の時間軸は1989(平成元)年から始まっているのだと、最初は思うだろう。
 さらに、同じく上巻35頁≪上巻37頁≫には、

3月の終わりの、まだうすら寒い日暮れ時だった。

とある。これを読めば、1989年の、3月の記述と思うだろう。
 ところがその一方で、上巻409頁≪上巻454頁≫には、

そう。でも、数えで70にはとても見えないわ
 (中略)
だから昭和ってお名前なのよ。元年の生まれだから

という記述がある。この通りなら、昭和70年は1995年に当たる。そして数え年は満年齢ではないから、物語の現在は1994年か1995年のどちらかということになる。
 さらに下巻112頁≪下巻123頁≫には、

今から4年前、ハンガリー政府が打ち出した国境緩和政策が事の起りでした。東ドイツの民衆がハンガリー経由で西側へ大量流出し、それが最終的にはベルリンの壁の崩壊を引き起こしたのです。

という記述がある。いわゆるヨーロッパ・ピクニック計画である。史実では、東ドイツ国民が西側へ脱出した際の経由地は、ハンガリーではなくオーストリアなのだが…本小説において歴史は改変されている。
 それはさておき、史実におけるヨーロッパ・ピクニック計画は1989年8月に始まり、その3ヶ月後の11月にはベルリンの壁が崩壊している。その「4年後」だとすると、物語の現在は1993年ということになる。
 また、下巻245頁≪下巻273頁≫には、

中国が市場を開放して十五年、東西冷戦がヨーロッパで終わってから五年たちます。

という記述がある。ここから逆算すると、物語の現在は1994年ということになる。
 このように、それぞれの記述から逆算して物語の時間軸を求めようとすると、バラバラの結論に至ってしまうのである。
 下巻385頁≪下巻428-429頁≫には、

「一九八四年だから、ちょうど十年前でしょう

という記述がある。ここから逆算すると、物語の現在は1994年ということになる。



 さて、インターネットにおいて、『あ・じゃ・ぱん』の用語解説をしているホームページは見かけたものの、作中の年表を掲載しているホームページは見当たらなかった。なので、わたくしが作成・公開することとした。




『あ・じゃ・ぱん』作品内年表
1933年
(昭和8年)
3月4日 フランクリン・デラノ・ルーズベルト、アメリカ合衆国大統領に就任。1949年1月まで15年9か月に渡りその職にあり(上巻57頁)≪上巻63頁≫
1945年
(昭和20年)
5月11日 米、最初の原爆投下地点を広島と決定(上巻173頁)≪上巻194頁≫
6月終わり 米軍、沖縄に上陸開始(下巻84頁)≪下巻93頁≫
7月14日 米、ニューメキシコ州ロスアラモスで、世界初の原爆による、世界初の原爆実験に成功(下巻85頁)≪下巻93頁≫
7月16日 ルーズベルト、チャーチル、スターリンの米英ソ3首脳、ドイツの旧ハノーバー選帝候領ハーメルンで会談。日本に無条件降伏を勧告するハーメルン宣言を発表。日本は黙殺(下巻85頁)≪下巻94頁≫
7月18日 ソ連、日ソ不可侵条約を破棄し、日本に宣戦布告。満州に侵攻(上巻173頁/下巻85頁)≪上巻194頁/下巻94頁≫
8月4日  ソ連軍、北海道の稚内から留萌にかけての海岸線の4か所に上陸(上巻173頁/下巻85頁)≪上巻194頁/下巻94頁≫
8月上旬 米、最初の原爆投下地点を広島から新潟に変更。ソ連軍の北海道上陸を受け、共産主義勢力に対し原爆を見せ付けるため(上巻86頁)≪上巻95頁≫
8月14日 ソ連軍、北海道の西半分をほぼ制圧。札幌に臨時革命政府を樹立(下巻85頁)≪下巻94頁≫
8月17日 B‐29爆撃機“エノラ・ゲイ”、新潟に原爆「でぶのヂョン」を投下しようとするも、故障のため投下できず帰還途中、誤って富士山に投下。核爆発の連鎖反応により富士山大噴火。御殿場は火山礫で埋まり、“大日本平”誕生。同じく火山礫によって山梨県消滅。噴火は7日7晩続き、約8千人が死亡(上巻94頁・172〜177頁)≪上巻105・193-199頁≫
8月20日 B‐29、長崎に2発目の原爆「ちびのカワイコちゃん」を投下(上巻177頁)≪上巻199頁≫
8月下旬(?) 富士山噴火が小康状態となるのを待ち、天皇は京都へ避難(上巻177頁)≪上巻199頁≫
8月30日 日本、ハーメルン宣言を受諾。天皇、玉音放送。第二次世界大戦終結(上巻318頁/下巻86頁)≪上巻352頁/下巻95頁≫
8月31日(?) ソ連軍、新潟に上陸(下巻86頁)≪下巻96頁≫
9月1日 米占領軍の第一陣、博多に上陸(下巻87頁)≪下巻96頁≫
京都二条城の大本営で鈴木貫太郎内閣総辞職(下巻139頁)≪下巻154頁≫
帝国陸軍市川警備隊長の大尉、部下を率いて「神風隊」として決起、ソ連軍と戦うため浅草寺に立てこもる。これを帝都警備隊向島分隊がソ連軍の先遣隊と勘違いして奇襲攻撃、交戦。このため浅草寺は焼失(いわゆる「神風隊の叛乱」)(下巻139頁)≪下巻154-155頁≫
9月4日 米太平洋艦隊、相模湾に展開。ソ連軍は三国峠を越え関東に進出(下巻87頁)≪下巻96頁≫
9月?日 ソ連軍、荒川を渡る。降矢木残轍博士は東京帝国大学安田講堂にいた(下巻193頁)≪下巻212頁≫
9月?日 日本共産党の面々、ソ連軍の東京進駐を赤旗で出迎える(上巻164頁)≪上巻183頁≫
9月24日 日本は東経139度線を境界として、東をソ連、西を米英に分割占領される(上巻31頁)≪上巻33頁≫
月日不明  マッカーサー、芦屋空港に降り立つ(上巻34頁)≪上巻36頁≫
月日不明 GHQ(連合国軍総司令部)、大阪城に設置される(上巻319頁)≪上巻353頁≫
月日不明 GHQの第一回目指令が実行不可能として、足利輔氏内閣総辞職(上巻319頁)≪上巻353頁≫
月日不明 (GHQが大阪城に設置された三週間後)平民出の山口登が組閣。GHQ、山口内閣に大阪城を明け渡し、司令部を中之島に移転(上巻34・319頁)≪上巻36・353頁≫
10月10日 西日本の首都、大阪となる(上巻62頁)≪上巻69頁≫
1946年
(昭和21年)
4月 大阪市、正式に廃止され、21の首府特別区が設置される。一方で大阪市議会は無条件で解散廃止される。大阪市議会議員はこれに反発、市議会にバリケードを築き籠城。いわゆる“大阪春の陣”(上巻63頁)≪上巻69頁≫
東日本、学制改革を実施。東京帝国大学は東京ナロードニキ大学に改名(下巻185頁)≪下巻217-218頁≫
7月1日(?) 主人公の父親、カーチスC-47輸送機に乗って芦屋空港に降り立つ(上巻136頁)≪上巻152頁≫
月日不明 日本人民民主主義共和国憲法、ソ連外相モロトフの草案を元に徳田球一によって起草される(上巻184頁)≪上巻206頁≫
1947年
(昭和22年)
月日不明 靖国神社の神主、明治維新以来の戦死者名簿を持って大阪に脱出。GHQのホイットニー少将、それを豊国神社に祭ることに同意(上巻319頁)≪上巻353頁≫
1949年
(昭和24年)
月日不明 作家アーネスト・ヘミングウエイ、マッカーサーから京都・都踊りの来賓として招待され来日。天皇と同席(上巻353頁)≪上巻392頁≫
1953年
(昭和28年)
7月8日(?) ベニスビーチ講和条約締結(上巻136頁)≪上巻152頁≫
主人公の父親、神戸港から輸送船「ギルフーリー」に乗船し離日(上巻136頁)≪上巻152頁≫
月日不明 主人公の父親、ニューメキシコにて軍を退役(上巻136頁)≪上巻152頁≫
月日不明 西日本と米国との間に安保条約締結される(上巻348頁)≪上巻386頁≫
1956年
(昭和31年)
月日不明 米ワシントン州オリンピックにて夏季オリンピック開催(シアトル・オリンピック)(上巻44〜45頁)≪上巻48頁≫
月日不明 ヘミングウエイ、米軍施政下の小笠原に移住(上巻353頁)≪上巻392頁≫
1960年
(昭和35年)
月日不明 西日本と米国の安保条約が期限切れを迎えるため、西日本は環太平洋安保条約に加盟。西日本政府、大阪城内に警察官を導入、条約を強行採決(上巻348頁)≪上巻386頁≫
6月15日 京都で環太平洋安保条約加盟反対のデモ隊と府警察が衝突(上巻348頁)≪上巻387頁≫
月日不明 林正之助、大日本国首相に就任。以降9年間その座にあり(上巻34頁)≪上巻37頁≫
1961年
(昭和36年)
5月5日 英リヴァプール市で若者が変死体となって発見される(下巻433頁)≪下巻483頁≫
5月7日 上記の死体の身元がバンドマンのジョン・レノン(20)と確認される(下巻433頁)≪下巻483頁≫
1964年
(昭和39年)
月日不明 ヘミングウエイ、京都オリンピック開催前に京都・山科に移住。以後現在まで居住(上巻353頁)≪上巻392頁≫
月日不明 京都オリンピックに合わせて、国鉄大阪環状線はほぼ全線が地下化され、地上の線路跡地は首都高速道路環状線になる。環状線は以後“五輪筋”と呼ばれる(上巻48頁)≪上巻52頁≫
月日不明 京都オリンピック開催。ソ連やワルシャワ条約機構加盟国、東日本はボイコット(上巻45頁/下巻368頁)≪上巻48頁/下巻410-411頁≫
10月10日 統労党書記局の肝煎りで東京ナロードニキ大学に“アカデミア10/10”が発足(下巻353〜355頁)≪下巻394-396頁≫
1966年
(昭和41年)
月日不明 中曽根康弘、党政治局長に就任(上巻184頁)≪上巻206頁≫
月日不明 中曽根、第19回統労党大会で憲法修正9条を通過させる(上巻184頁)≪上巻206頁≫
1968年
(昭和43年)
8月 ソ連軍、チェコスロバキアに侵攻。“プラハの春”を圧殺(上巻46頁)≪上巻50頁≫
東日本の“社会主義自衛隊(JSDFことジャパニーズ・ソーシャリズム・ディフェンス・フォーシズ)”、シベリア鉄道を経由して1個大隊をチェコに派遣。
しかし派遣の是非を巡って東日本において中曽根と防衛庁への批判が噴出、中曽根は失脚寸前まで追い詰められる(上巻181・183・186頁/下巻355頁)≪上巻203・205・208頁/下巻396頁≫
10月 西日本で学園紛争。京都では金閣寺が炎上(下巻282頁)≪下巻313-314頁≫
10月21日 米大統領ジョン・F・ケネディ、米アトランティック・シティで開催されたチェコ民主改革派支援のためのチャリティ・コンサートにて、弟ロバート・ケネディ、フランク・シナトラとその一家、サミー・デイヴィス・ジュニア、ピーター・ローフォードなどとともに爆死。
その翌日、主人公、最初の訪日(上巻43・46〜47頁)≪上巻47・50〜51頁≫
1969年
(昭和44年)
1〜2月(?) 東京ナロードニキ大学の学生、安田記念講堂に立てこもる。警視庁機動隊と戦闘、半数近くの学生が網走研修所送りに(下巻356頁)≪下巻397頁≫
2月3日 京都大学の学生、京都タワーを占拠(下巻282頁)≪下巻313-314頁≫
2月4日 警察治安部隊が京都タワーに突入、全員を検挙(下巻282頁)≪下巻313-314頁≫
1972年
(昭和47年)
4月 マーティン・ルーサー・キング牧師、ノーベル平和賞受賞(上巻12頁)≪上巻12頁≫
1973年
(昭和48年)
5月 米軍、北ベトナムの首都ハノイに核爆弾「サウンド・オブ・サイレンス」を投下(史上3度目の核兵器の実戦使用)。18万人が死亡(下巻505・535〜536頁)≪下巻565・ 600〜602頁≫
8月の最終週 ニクソン米大統領、ベトナムからの名誉ある撤退を表明(下巻506頁)≪下巻566頁≫
月日不明 ベトナム戦争終結(下巻321頁)≪下巻358頁≫
主人公、学資援助基金の試験を受け、ナンタケット大学に入学(上巻105頁/下巻535頁)≪上巻117頁/下巻600頁≫
1974年
(昭和49年)
米メイン州ガラハトグレーンのハーキマ・ジャーキーマー原発で放射能漏れ事故発生(下巻278頁)≪下巻309頁≫
12月25日 書類上では、主人公の父親、この日にボルティモアの陸軍記念病院で死去(上巻136・229・387・538頁)≪上巻152・254・429・604頁≫
1970年年代半ば 月日不明 中曽根康弘、第3代日本統一労働者党書記長に就任。大車輪政策を打ち出す(上巻136頁)≪上巻152頁≫
上記とほぼ同時期 吉本潁右(エイスケ)、大日本国首相に就任。列島大改造計画を打ち出す(上巻137頁)≪上巻153頁≫
月日不明 吉本首相、公共事業の民営化を進める。
テストケースとして大日本国営放送協会を分割民営化。その大阪本部はMHK(民間放送協会オオサカ)となる。
その後、電信電話、国有鉄道、郵便、公立中高等学校、刑務所を民営化。
公立学校は公文に、ゴミ収集と道路掃除はダスキンに、郵便事業はアートとサカイに移管(上巻114・324頁)≪上巻128・359頁≫
1976年 月日不明 ノーベル文学賞受賞作家川端康成、幽閉先の逗子で死去(上巻53頁)≪上巻59頁≫
年不明 月日不明 吉本潁右首相、急死
葬儀の3ヶ月後、大阪・難波の大阪歌舞伎座の跡地に国立劇場完成。急死した吉本潁右首相を偲んで「国立吉本劇場」と命名される(上巻416-417頁)≪上巻461-462頁≫
1979年
(昭和54年)
月日不明 死去した吉本潁右首相の妻シズ子、夫の選挙区(大阪4区)を引き継いで出馬、記録的な票差で当選(上巻137頁)≪上巻153頁≫
1980年
(昭和55年)
月日不明 東日本、ソ連軍のアフガン侵攻に呼応して、アラビア海に空母機動部隊を派遣(上巻181・183・186頁)≪上巻203・205・208頁≫
1981年
(昭和56年)
月日不明 北方領土、ソ連から東日本に返還される。代わりにソ連は江ノ島を軍事基地として99年間租借(上巻429〜430頁)≪上巻477〜478頁≫
1990年
(?年)
月日不明 吉本シズ子、国会で首班指名(上巻137頁)≪上巻153頁≫
年不明 月日不明 東ドイツで社会主義政権が崩壊(上巻120頁)≪上巻134頁≫
↓その20ヶ月後(上巻120頁)≪上巻134頁≫
年不明 8月 北京にて東西日本経済実務者協議が行われ、通商協定締結(上巻120・154頁)≪上巻134・173頁≫
↓その2年後(物語進行時の年の一昨年前)(上巻120頁)≪上巻134頁≫
年不明  2月 昭和天皇崩御(下巻357頁)≪下巻398頁≫
2月26日 昭和天皇大喪の礼(上巻307頁)≪上巻340頁≫
3月の終わり 主人公、3度目の訪日(上巻43頁)≪上巻47頁≫※以下、煩雑になるので本項では“上巻”を省略
●1日目…飛鳥新大阪国際空港に降り立つ、吉家が迎えに来ていた(35頁)≪37頁≫→曽根崎のCNN日本支社へ(49頁)≪54頁≫→帝国ホテル新館泊(52頁)≪57頁≫
●2日目…帝国ホテルから鶴橋駅前のタイガーリリーへ、ペパー軍曹と出会う(69頁)≪77頁≫→警察に連行される(87頁)≪97頁≫→銭湯(92頁)≪102頁≫→西風荘へ、春子と出会う(98頁)≪110頁≫→帝国ホテル新館泊
●3日目…CNN日本支社(111頁)≪124頁≫→吉家、キムと3人でヘリコプターで大阪発、直江津に降り立つ(124-129頁)≪139-144頁≫→“壁”を通過(133頁)≪148頁≫→国防軍に拘束される(143頁)≪158頁≫→本間が迎えに来る(上巻151頁)≪169頁≫→柏崎へ、食事、友好百貨店へ(163頁)≪182頁≫→十日町(182頁)≪203頁≫→湯沢泊(182頁)≪204頁≫
●4日目…湯沢(182頁)≪204頁≫で廣子と出会う(196頁)≪219頁≫→本間に案内されて田中角栄のアジトへ(207頁)≪230頁≫→飯沼勲こと平岡公威と出会う(209頁)≪232-233頁≫→田中角栄にインタビュー(217頁)≪241頁≫→田中角栄のアジトで昼食(240頁)≪266頁≫→田中角栄のアジトで夕食(245頁)≪272頁≫→田中角栄のアジト泊(251頁)≪279頁≫
●5日目…田中角栄のアジトで朝食(255頁)≪283頁≫→平岡らと共に米の搬出路を見学(262-263頁)≪291-292頁≫→ヘリコプターに襲撃される(271頁)≪301頁≫→“壁”を超え、西日本のゴルフ場へ(285頁)≪316頁≫→本間の迎えにより湯沢に戻る(287・297頁)≪318・329頁≫→正式に“壁”を超え、西日本に戻る(297-298頁)≪330頁≫
●6日目…CNN日本支社(293頁)≪325頁≫→昼12時半から首相官邸で吉本首相の緊急記者会見(313-315頁)≪348頁≫→首相官邸周辺を散策(322頁)≪357頁≫→廣子と再会、京都へ(326頁)≪362頁≫→佐藤昭和と出会う(347頁)≪385頁≫→アーネスト・ヘミングウエイと出会う(352頁)≪391頁≫→旅館竜田川のそばで警察に連行される(368頁)≪409頁≫→宗教法人「国土計画」施設で目覚める(375頁)≪416頁≫→施設から逃げ出す(392頁)≪435頁≫→鴨川沿いに逃げる(401頁)≪445頁≫→廣子と再会、旅館竜田川に戻る(404頁)≪448頁≫→フーメイから電話、タクシーで大阪に戻ることに(413頁)≪458頁≫
●7日目…タクシーでCNN日本支社に戻る(417頁)≪462頁≫→午前7時から打ち合わせ(417頁)≪462頁≫→地下鉄心斎橋駅から地下街を歩いて御堂筋へ(414頁)≪459頁≫→国立吉本劇場のラウンジで廣子と待ち合わせ(416頁)≪461頁≫→ヴェスパのスクーターに乗って2人で鶴橋へ(420頁)≪465-466頁≫→タイガーリリーから西風荘へ、春子の死体を発見(422頁)≪468頁≫→廣子と帝国ホテルに戻る(427頁)≪474頁≫
4月 (下巻5頁)≪下巻5頁≫※以下、煩雑になるので本項では“下巻”を省略
●1日目…桜ノ宮の旧淀川河岸で花見(5頁)≪5頁≫→ペパー軍曹現れる(12頁)≪13頁≫→ペパー軍曹と飛鳥空港へ(16頁)≪18頁≫→過激派が飛鳥空港管制塔を占拠(31頁)≪34頁≫→空港ターミナルビルにて、ナポナの箱が爆発。4人死亡、11人重軽傷(42・46頁)≪47・51頁≫
●その3日後…東日本人数十人が敦賀沖に漂着、保護される。このためCNN日本支局員はほとんど敦賀に出払ってしまう(50頁)≪55頁≫
●その4日後…渡辺美智雄インタビューのため東京出張が決まる(52頁)≪57頁≫
●その5日後・東京出張1日目…キムと2人で大阪からウラジオストクへ(61頁)≪67頁≫→ホテル・カミナリモン泊(65頁)≪71頁≫
●2日目…ウラジオストクから羽田空港へ(78頁)≪86頁≫→NHK局員の和田と亀井の2人が出迎えに(90頁)≪99頁≫→旧皇居前広場のレーニン像へ(95頁)≪104頁≫→サクラホテル4号館(赤坂)宿泊(101頁)≪113頁≫
●3日目…虎ノ門病院(133頁)≪148頁≫→人民文芸座(137頁)≪152頁≫→東京ナロードニキ大学(157頁)≪174頁≫→安田講堂(166頁)≪184頁≫→平岡公威と出会う(176頁)≪195頁≫→降矢木残轍と出会う(178頁)≪198頁≫→自動車専用道路で箱根へ(204頁)≪227頁≫→富士山噴火被害資料館を見学(206頁)≪230頁≫→年嵩の下士官(変なおっさん)と会話する(210頁)≪234頁≫→人民会堂迎賓館・箱根別館(旧富士屋ホテル)泊(213頁)≪237頁≫→ニジマスの夕食(218頁)≪242頁≫→ホテルのプールで田中角栄と再会、インタビュー(234頁)≪260頁≫→平岡と話す(252頁)≪281頁≫→キム、和田の3人でホテルから車で出発(271頁)≪301頁≫→ラジオから中曽根の首相辞任と渡辺美智雄の首相就任が報道(273頁)≪303頁≫→大涌谷地獄巡りに(275頁)≪306頁≫
●4日目…午前5時、大阪と中継の準備(226・285頁)≪250・317頁≫→再び平岡と出会う(291頁)≪324頁≫→大阪との中継の直前に地震発生(298頁)≪330頁≫→地震は震度6・マグニチュード7.4(302頁)≪336頁≫→手抜き工事されていた“壁”、地震により各地で倒壊。これにより西へ“移動”した東日本人は、地震から24時間で10万人に達する(302-303頁)≪336-337頁≫
●主人公・キム・和田、道路の封鎖と鉄道の不通により足掛け4日間箱根で釘付け。このため東京での渡辺美智雄へのインタビューは出来ず(302頁)≪338頁≫
●ようやく東京に戻る。当局から退去命令が出るまで1週間踏みとどまり取材(303-304頁)≪338頁≫
4月の終わり ●西へ“移動”した東日本人、地震以降百万人に達する(304頁)≪339頁≫
5月1日 メーデー。東京の各地で反政府デモが発生(下巻304頁)≪下巻339頁≫
7月の終わり (下巻309頁)≪下巻344頁≫

●7日目…(頁)≪頁≫→(頁)≪頁≫→(頁)≪頁≫→(頁)≪頁≫→(頁)≪頁≫→(頁)≪頁≫→
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 上記の年表をご覧いただければお分かりのように、この『あ・じゃ・ぱん』世界が、史実と異なり大きく変更されたポイントは、大きく分けて三つある。
 一つは、アメリカ合衆国大統領Fランクリン・Dラノ・Rーズベルト(上巻57頁)≪上巻63頁≫の健在ぶりである。史実ではFDRは、1944年11月の大統領選挙で史上初めて4選されたが、その5ヶ月後の1945年4月12日に死去している。残りの任期(1949年1月まで)を副大統領ハリー・S・トルーマンが大統領に昇格して務めたのである。
 二つ目は、米軍の沖縄への上陸の遅れと、恐らくはそれに連動したと見られるソ連の早期参戦である。
 これは、『あ・じゃ・ぱん』世界と同じく日本が分断されることになる、佐藤大輔氏の小説『征途』の構成に近い。『征途』では、1944年10月のレイテ沖海戦において栗田艦隊がレイテ湾突入に成功したため、米軍の沖縄上陸は1945年7月(史実では1945年4月1日)と大幅に遅れてしまうのである。さらにソ連が対日参戦し、満州・千島・樺太のみならず北海道にも侵攻してしまう。米軍は焦って、原爆を史実の広島と長崎ではなく、ソ連が侵攻した北海道の旭川に投下するのである。
 『あ・じゃ・ぱん』世界において、なぜ米軍の沖縄上陸が遅れたのか、なぜソ連が史実(1945年8月8日)より早期の7月18日に参戦したのか、理由は説明されていない。
 三つ目は、言うまでもなく原爆の富士山投下である。

●管理人の独断と偏見によるツッコミポイント
()内は1997年発行の原著の出典頁を、≪≫内は2009年発行の文庫版の出典頁を、※以下の記述は管理人のコメントを示す。

『あ・じゃ・ぱん』上巻

大阪城紀州御殿で会見する昭和天皇とマッカーサー元帥」(上巻22頁)≪上巻23頁≫
天守台の足許には、檜の皮だけで葺いた屋根がのぞけていた。こっちは和歌山城から移築した平屋の御殿、屋根だけだとアンクル・トムの小屋と区別がつかないが、まぎれもない本物。国宝級の文化財だ。天皇の国会開会宣言は、衆参両院の全議員をここに集めて行われる」(上巻322頁)≪上巻357頁≫
※いずれも、史実の大阪城紀州御殿のことである。しかし現存していない。米軍が大阪城を占領していた1947年、米軍の失火により全焼してしまったからである。


※大阪城本丸に設置されている説明板。紀州御殿についても触れられている





だが、芦屋空港に降り立ったマッカーサー元帥には手駒がなかった」(上巻34頁)≪上巻36頁≫
私の父は、一九四六年の独立記念日三日前、カーチスC-47に乗って芦屋空港から日本に上陸し」(上巻136頁)≪上巻152頁≫
※この“芦屋空港”が兵庫県芦屋市のことなら、意味は不明である。昔も今も、史実では兵庫県芦屋市に空港が存在したことがないからだ。
 しかしこれが福岡県芦屋町ならば話は通る。旧陸軍の飛行場があり、現在も航空自衛隊芦屋基地として使用されているからだ。…GHQは大阪に設置されたのに、何でマッカーサーはわざわざ遠回りして九州に降り立ったのかという疑問は残るが。
 また、C-47はアメリカ陸軍の実在する輸送機であり、有名な旅客機であるダグラスDC-3の軍用輸送機型である。しかし史実ではカーチス社製ではなく、ダグラス社製である。



私は《ザ・ジャパン》エアラインのボーイング777マンボに乗り、大日本国に到着することとなった」(上巻35頁)≪上巻37頁≫
ボーイング777は、初飛行が1994年、就航が1995年6月のため、冒頭で述べたように1994年ごろが時間軸と思われる本作への登場は不可能だと思うのだが…。また“マンボ”とは、ボーイング747の愛称であるジャンボのもじりだろうか。史実のボーイング777にはニックネームなどはないのである。強いて言えば“トリプル・セブン”だろうか。




坊主のストライキで観光客を締め出した清水寺、金閣寺、竜安寺」(上巻35頁)≪上巻38頁≫
※これは1985〜87年に現実にあった騒動が元ネタになっていると思われる。
 村田晃嗣『プレイバック1980年代』(文春新書、2006)には、
「(※管理人註、1985年1月)京都市長の今川正彦が、古都保存協力税の実施を表明したのである。京都仏教会はこれに反発し、多くの寺が無料拝観に突入、金閣寺、清水寺、竜安寺は拝観を停止した。八月の選挙で今川は何とか再選されたが、古都保存協力税は八七年十月に廃止されることになった」(196頁)
 とある。




飛鳥空港は着工から二十年も経っているのに、横風用の短いものを含めてまだ二本しか滑走路がない。そこへ、四十七秒に一機の飛行機が降りよう飛ぼうと、ひっきりなしに押しよせている。
 頑なな空港建設反対運動のおかげで、もう四本造るはずの滑走路は荒地のまま十数年間放置され、その真ん中では、今も立ち退き拒否を続ける反対派の農民が畑を耕し、牛を飼っている
」(上巻35頁)≪上巻38頁≫
※飛鳥新大阪国際空港は、史実の成田空港のパロディだとすぐにわかる。成田空港は、1978年の開港から、24年後の2002年の暫定滑走路運用開始まで滑走路1本で運用していたが、飛鳥空港はこの時点で既に滑走路が2本あるだけまだマシだと言えよう。




首都高速道路富田林線は上下八車線の高架道で、田園地帯の真ん中を、赤黒い光にぼんやり覆われている都会の地平線に向かってゆるゆると伸びていた」(上巻40頁)≪上巻43頁≫
富田林警察署長は街宣車修繕費壱拾七萬四阡壱百壱萬を即時補償しいや」(下巻40頁)≪下巻45頁≫
カメラマンが同僚と富田林警察署の新人婦警の尻の形について雑談していた」(下巻41頁)≪下巻47頁≫
脳をスキャンするため国立富田林病院に救急車で運ばれていった」(下巻47頁)≪下巻52頁≫
※これらの記述からすると、飛鳥空港は、大阪府富田林市内、少なくとも富田林市の近郊に所在すると思われる。ちなみに、現実に存在する大阪府警富田林警察署は、富田林市と、南河内郡河南町、太子町、千早赤阪村を管轄としているようだ。
 …しかし富田林市の南東には金剛山(1125メートル)、葛城山(959メートル)などがそびえる金剛山地があるので、富田林市近郊は空港建設地としてはそもそも不適格なのではないか?
 矢作氏は“とんだばやし”という地名の面白さだけで空港所在地に選んだのではないか?…と、管理人は愚考するものであります(笑)。




ご存じでしょう。奈良ディズニーランドの優待券ですよ!」(上巻42頁)≪上巻45頁≫
※この世界の日本(西日本)において、ディズニーランドは奈良に誘致されたらしい。史実においてディズニーランドが建設された千葉県浦安市は、この世界では東日本領なのだから当然だ。
 では、矢作氏は、なぜ西日本の中でも奈良をディズニーランドの設置場所にしたのか。これにも理由があるのかも知れない。
 まずひとつに、史実に奈良にあった奈良ドリームランド(2006年廃園)は、ディズニーランドをまともにパクった施設だったようなのである(管理人は奈良ドリームランドに行った事がないので、断定は出来ず、伝聞の紹介になってしまうのだが)。
 ふたつ目の理由は、以下の記述による。

まず、京都がリストから外された。ウォルト・ディズニーが、京都に一切の攻撃を加えないよう大統領に進言したのだ。国立公文書館の記録によれば、FDRの返事は以下のとおり。
「よしきた、ウォルト。おやすい御用だ!」
 大戦前に訪日したチャップリンから聞かされ、歌舞伎に興味を募らせていたディズニーは、京都の旧市街を丸ごと買い上げ、そっくりそのまま中世東洋のテーマパークにしようと考えていたようだ。鞍馬山を烏天狗の背に乗って滑り降りるローラーコースターとか、高瀬川を下りながらロボットの舞子ショーを見物する三十人乗りの筏のスケッチが、今でも遺されている
』(上巻173頁)≪上巻194頁≫

 かくして京都に原爆は投下されなかったのだが、さすがに京都のディズニーランド化は断念されて、身代わりに奈良がターゲット(!)となって、奈良にディズニーランドが建設されたのではないのか…というのがわたくし(管理人)の推測である。





『「いつだったか、中国の民主活動家が民航機をハイジャックして福岡空港に逃げてきたの、ご存じですか。あれなんか、とうとうただの犯罪者だって抗弁して、中国の公安当局へ引き渡してしまった」
「航空機の機内は主権が及ばないんでしょう?」
「そう。滑走路に飛び下りたんですよ、あの中国人は。飛び下りて、日本の警察官に亡命を求めた。そのへんの事実関係は揉み消しちゃった。公式見解は、あれは被疑者の意思で飛び下りたのではない。落ちちゃったんだってことです
」』(上巻42頁)≪上巻45頁≫
※これは、史実において1989年12月に発生した張振海ハイジャック事件のことだろうか。詳しくはこちらのリンクを参照。





そのころはまだ、CNN日本支社は曽根崎に建つ雑居ビルの四階に間借りしていた。四は死と音が同じだとの理由から、日本では四階の家賃が割安なのだ。
 西と南の窓は、隣のビルの壁で完全に目隠しされていたが、東側の窓からは真下にお初天神を見下ろすことができた。
 大阪の中央駅である梅田は目と鼻の先(これも日本の言い回しだ。彼らの目と鼻のてっぺんは大変接近している)だったし、その地下に広がる広大なショッピングモールとはエスカレーターつきの出入口でつながっていた。
 梅田から少し南に横たわる淀川までの一帯は超高層のビジネスビルで埋め尽くされ、反対側の一帯にはテレビ局や新聞社が建ち並び、西日本のフリート街をつくっていて、そのどちらへも目と睫毛の先、目と瞼の先だったのだが、ーーいや、この一角だけは、小さく痩せた建物が勝手気ままに、これも小さな天神様を取り巻き、醤油を焦がす匂いと自転車のベルの音で満ち満ちていた。
 その神社は、男と一緒に自殺した売春婦を祀ったものだった
」(上巻49頁)≪上巻54頁≫

  

 
※お初天神を囲むパノラマ写真。残念ながらわたくしの力では、CNN日本支社がどこにあるのかまでは識別できませんでした。




『「帝国ホテルの新館に部屋を取ったわ。国会のすぐ近く、新しい立派なホテルよ」』(上巻52頁)≪上巻57頁≫
帝国ホテルはガラス張りの高層建築で、大きな窓が自慢だった。
 ちょうど私の足元で、江戸時代よりずっと前に作られた淀川の放水路のひとつが、大きく蛇行しながら別の川と合流し、巨大な乱積みの石垣を巡っていた
」(上巻62頁)≪上巻68頁≫
※現実に存在する帝国ホテル大阪は、大川(旧淀川)沿いのOAP(大阪アメニティパーク)にあるが、『あ・じゃ・ぱん』世界における帝国ホテルはOBPならぬOGP(OGPについては次項で述べる)内にあるらしい。
 現実のOBP内にはホテルニューオータニ大阪があり、ニューオータニの目の前を流れる第二寝屋川には水上バスの発着所がある。もしかしたら、矢作氏は大阪取材のためホテルニューオータニ大阪に宿泊し、水上バスの発着風景を見たのかも知れない。


※大阪ビジネスパーク内にあるホテルニューオータニ大阪





川のこちら側には、真新しい高層ビルが立ち並んでいた。まだまだ建設途中のビルも沢山あった。ホテルが用意したパンフレットによると、ここはOGPーーオオサカ・ガヴァメント・パークと名づけられ、西日本の官庁街になるのだそうだ」(上巻62頁)≪上巻68-69頁≫
※OGPとは、史実のOBP(大阪ビジネスパーク)のことだろう。引用したくだり以降の、戦前は陸軍兵器廠(大阪砲兵工廠)だった・・・というのは事実である。




アテンション・プリーズ。もともと大阪には官庁街など無かった。十六世紀の終わりにほんのちょっとの間、支配者秀吉の居城が置かれたことがあるきりで、この町は管理や支配とはほとんど無縁だった。だから一九四六年十月十日、しかたなしここに首都がおかれたとき、それを現実に切り盛りしたのは、ほとんど大阪市役所の職員だった。
 当初、通産省も郵政省も何もかも、大阪市役所の中に置かれていた。マッカーサーが市所管の自治業務を全部、区役所に譲り渡した結果、市役所はそのまま大日本国の行政府になってしまった。
 (中略)
 かくしたわけで、始めから立派な庁舎を持っていたのは日銀だけ、ーー日銀には桜ノ宮の川べりに立派な造幣局があった。ーー他の省庁はあちこちの貸しビルに分散し、国会を取り巻くような官庁街は、この町にこれまで存在しなかった
」(上巻62-63頁)≪上巻69-70頁≫
前の国会で、縁切り橋の旦那衆が(内閣法制局は縁切り橋のビルに入っていたので)答えている」(上巻120頁)≪上巻134頁≫
何しろ土地がありませんからね。省庁が分散していて、つい数年前までは大蔵省から通産省に行くのに電車で四十分もかかったんですよ。十年前、この一帯に官庁街をつくろうと計画したとき、土地の有効利用が叫ばれて、四十階、五十階の超高層にしてテナントを入れるようにしたんです。ここみたいにね」(上巻125頁)≪上巻140頁≫
京都には、宮内省だけでなく科学省と総合文化省も置かれている」(上巻332頁)≪上巻368頁≫
※これらの記述によると、大日本国には少なくとも中央官庁として、通産省、郵政省、内閣法制局、大蔵省、宮内省、科学省、総合文化省、そして日銀があるらしい。
 ここに引用した記述のほかにも、官庁は、国防施設庁(上巻125頁)≪上巻140頁≫、農林省(上巻285頁)≪上巻316頁≫、総務庁、内閣官房(上巻323頁)≪上巻358頁≫があるらしい。




「中曽根書記長は旧帝国陸軍士官学校の出身だ」
(上巻137頁)≪上巻153頁≫
※史実の中曽根康弘は1918(大正7)年生まれ、帝国陸軍士官学校ではなく東京帝国大学出身である。また、そもそも陸軍人ではなく海軍人(主計士官として重巡洋艦青葉や戦艦長門に乗艦していた)である。ウィキペディアの中曽根康弘も参照せよ。




効果を見計らっていたのに違いない。夕刻の太陽に照らされた海が、いきなり目の前に広がった。海には赤錆びたロシアの貨物船ととしけた漁船に取り囲まれ、まるでブルックリンのリバーサイドから望んだ摩天楼のように巨大な軍艦が浮かんでいた。
 (中略)
「日本海護衛艦隊群の旗艦、護衛艦“アブズル”です」
 キムが、私に体を寄せて小声でこう付け加えた。
「昔の戦艦“長門”ですよ。大砲をミサイルにすげ替えただけなんです」
 アテンション・プリーズ。アブズルとは日本のヨット発祥の土地の名だ。神近市子に大杉栄が刺された土地でもある
』(上巻167-168頁)≪上巻187-188頁≫
※戦艦長門は日本海軍が保有していた戦艦の中で、唯一太平洋戦争を生き残ったフネである。史実では横須賀で終戦を迎えている。そのまま東日本に接収されたのだろうか。史実では、前述したように同志書記長が乗艦していたのだが。
 「アブズル」とは、神奈川県葉山町あぶずるのことである(葉山町の正式な町名ではない。葉山港の近くの地域の通称であるらしい)。漢字では「鐙摺」というむつかしい字を書くらしい。
 詳しくは「相模湾mapというホームページを参照していただきたい。画面を下にスクロールさせてゆくと、「葉山.あぶずる.森戸.芝崎」の地図が出てくる。
 また、京浜急行バス・逗子営業所エリアの路線図にも、鐙摺という名のバス停が記載されている。
「神近市子に大杉栄が刺された土地」というのは事実である。 1916(大正5)年11月、葉山(当時は葉山村だったらしい)の日陰茶屋において、大杉栄が愛人・神近市子に刺され、重傷を負った日陰茶屋事件というものがあったらしい。




日本では、滅多なことで通りや広場に人名はつかない。聖徳太子や太閤秀吉ぐらいになってしまえば話は別だが、それにしても決して多くはない。
 (中略)
 その東日本に、レーニン通りやマルクス広場は言うまでもなく、幸徳通りだの荒畑広場などというものが、まったく見当たらない
」(上巻181頁)≪上巻203頁≫
※幸徳とは大逆事件で処刑された幸徳秋水、荒畑とは荒畑寒村のことであろう。




ロバート・ヴォーンのような議会経験の浅い大統領を手玉に取るくらい」(上巻317頁)≪上巻351頁≫
※史実のロバート・ヴォーンは俳優である。ウィキペディアの記事によると、親日家でもあるらしい。矢作氏が彼をアメリカ大統領に仕立てたのは、同じくハリウッド俳優から大統領にまで上り詰めたロナルド・レーガンを意識しているのだろうか。最も『あ・じゃ・ぱん』世界においてロナルド・レーガンは、アメリカ大統領ではなくカリフォルニア州知事のままらしいが(上巻237頁)≪上巻263頁≫。




会見がはねた後、私は吉家を社の車で先に帰し、ひとり、テラスから庭へ出た。
 二十数年前、パンナムの懸賞論文に入選して訪れたとき、大阪城はただ濠の外から見上げただけ、 通りすぎたも同然だった。首相官邸は、むろん観光客立入禁止。中まで入るなんて思ってもみなかった。
 その官邸は公邸と棟続きの建物で、かつて大阪城西の丸と呼ばれた場所に建っていた。すぐ裏がフランス風の庭園になっていて、そこからは内濠越しに、小高い本丸の石垣と松の木立に守られた天守を見ることができた
」(上巻322頁)≪上巻357頁≫


※大阪城西の丸公園案内図




※西の丸公園にある大阪迎賓館(1995年11月のAPEC大阪会議の折、首脳会議場として使用されたらしい)の庭先から天守を望む




今でこそ国会議事堂として使われているが、元をただせば、それは昭和の初めに復元された鉄筋コンクリート製、エレヴェータつき、屋根は五層なのに中は八階建てという観光用の楼閣だった」(上巻322頁)≪上巻357頁≫


※大阪城天守閣…もとい大日本国国会議事堂




天守台の足許には、檜の皮だけで葺いた屋根がのぞけていた。こっちは和歌山城から移築した平屋の御殿、屋根だけだとアンクル・トムの小屋と区別がつかないが、まぎれもない本物、国宝級の文化財だ。天皇の国会開会宣言は、衆参両院の全議員をここに集めて行われる」(上巻322頁)≪上巻357頁≫
※紀州御殿については前述した。




千貫櫓の手前から先、三の丸、二の丸は一般に開放されていた。芝の代わりに、一面、玉砂利が敷かれ、枝ぶりのいい木が行儀よく並んでいた。ケヤキ、サンゴジュ、クロマツ。ことに見栄えのいい木には名がつけられていた」(上巻323頁)≪上巻358頁≫


※玉砂利ではなく、普通のアスファルト舗装でした。


※しかし枝ぶりのいい木は並んでいました。





桜橋の前には警察の装甲車が止まり、武装した暴鎮隊が何人も警護していた。国会会期中は、本丸は一般には公開していないのだ」(上巻323頁)≪上巻358頁≫


※桜門。装甲車が止まっていません。今日は暴鎮隊(暴動鎮圧隊の略か?)はお休みのようです。





修学旅行の一団が桜門を背に記念撮影をしていた。広場をはさんで向かい側の木立の下には、屋台ののぼりがあふれていた。たこ焼き、イカヤキ、焼きダイフクにソース焼きそば、お好み焼き、あたりには醤油の焦げた匂いが漂っていた。
(中略)
 私は、その騒ぎと食べ物の匂いをかきわけかきわけ、広場を通り抜けた」(上巻323-324頁)≪上巻358-359頁≫


※桜門前の屋台。
…ところで、「向かい側の木立」とありますが、この木立は何だろうと思って行ってみると、何とまあ、朝日新聞の岡田記者が吉本首相に、終戦記念日に参拝するかしないかを質問していた(上巻318-320頁)≪上巻352-354頁≫豊國神社がここにあったんですね。






一番櫓の手前まで行って遊歩道沿いに左へ曲がると緑が濃くなった。晴れてもいないし、といって別に曇ってもいない、大阪らしい、ぼちぼちな空模様だった。こんもり繁った木々の上では、OGPの高層ビルがいくつもその空を貫いていた」(上巻324頁)≪上巻359頁≫



あ・じゃ・ぱん下巻

東京政府の内部で劇的な政変が起こるのではないかという説と、冷戦後の世界情勢にすっかり嫌気がさした中曽根書記長が後継者を指名するのではないかという説があって、そのどちらもキーマンは渡辺美智雄なのだった。
 彼は、北関東の奥地、日光という町に生まれ、その町で育った。大学は日本のトラディショナルな宗教が経営する神学校を出た。
(中略)
 さて渡辺は、日光で、その有名な神社の宮司の長男として生まれた。生い立ちが災いして、若いころは辛酸を舐めた。しかし、旧帝国陸軍士官学校出身の中曽根が権力を握ると、少し風向きが変わった
」(下巻52-53頁)≪下巻58頁≫
※史実の渡辺美智雄は1923(大正12)年生まれ、栃木県日光市出身ではなく栃木県大田原市出身であり、日本のトラディショナルな宗教が経営する神学校(そもそもこれはどの学校のことを言っているのか、元ネタが不明である)ではなく東京商科大学(現・一橋大学)出身である。ウィキペディアの渡辺美智雄も参照せよ。


※日光東照宮の陽明門。




「平岡さんは、工学部の出身なんですか?」私はびっくりして尋ねた。
 「もちろん」と、彼は答え、薄い切り込みのような唇を歪めてにやりと笑った。
 「工学部の、いったい何を?」
 「動力機械史」

 「史?」私は聞き返した。額には、皺をいっぱい寄せていたに違いない。 
 「機械の歴史?」
 彼は軽くうなずいた。
 「特殊な学問だったからね。おかげで、実人生では何の役にもたたなかった。もし、あの学生生活から何か学ぶことがあったとしたら、真実とはたとえ屁の役にも立ってはならんという原則を身にしみて知ったということだけだな
」』(下巻254頁)≪下巻282頁≫
※一応念のために述べておくが、平岡公威こと三島由紀夫は、史実では東京大学法学部法学科卒業であり、工学部卒業などではない。




だって、李香蘭は大連から日本へ引き上げる途中、亡くなってしまったんです。本土を目の前にしてね。彼女が乗った氷川丸は豊後水道でアメリカ海軍の潜水艦、ナーカ号に撃沈されたんですよ。さぞ残念なことだったでしょう」(下巻430頁)≪下巻479-480頁≫
満映(満洲映画協会)の看板女優だった李香蘭こと山口淑子は、史実では日本への引き上げ途中に死去していたりはしない。無事日本に帰国している。どころか1974(昭和49)年には参議院議員に当選して3期務め、現在においても健在である。
 氷川丸も撃沈されたりなどしておらず、戦前の日本の大型客船のうち唯一太平洋戦争を生き残り、現在は横浜の山下公園に係留され博物館となっているのはご承知の通りである。
 ここで名前の出てくる「アメリカ海軍の潜水艦、ナーカ号」とは、史実ではバラオ級潜水艦のうちの1隻(SS-380)で、太平洋戦争中に着工されたものの、1944年7月に建造が中止された未成艦である。ちなみにナーカ(Nerka)という艦名はベニザケの学名に因むらしい。
 その艦名はエドワード・L・ビーチ・ジュニアの小説『深く静かに潜航せよ Run Silent, Run Deep』(1955年) で、また1958年に映画化された同名の作品で使用されている。映画の舞台は豊後水道らしいので、上記の記述と一致し、元ネタはこちらが正しいようだ。

●東西の日本国に存在する企業たち
 史実(現実)の日本と同じように、『あ・じゃ・ぱん』世界の西日本も大戦後に高度成長を果たし、先進経済大国となっている。しかし当然ながら、この世界において西日本に存在する企業は、米ソによる日本列島の分割占領ラインたる東経139度線以西にあった企業である。
 そもそも史実の日本においても、東経139度線以東の東日本発祥の大企業は、日産自動車、富士通、東芝、ソニー(以上東京が発祥の会社)、富士重工(旧中島飛行機。発祥と本拠地は栃木県太田市)、日立製作所(言うまでもなく茨城県日立市が発祥)くらいだろうか?
 このうち日産自動車追浜自動車公司(上巻159頁/下巻90頁)≪上巻179頁/下巻99頁≫として、日野自動車が日野自動車公司(上巻183頁)≪上巻205頁≫として、また東芝が東京芝浦電気公社(下巻67頁)≪下巻73頁≫として本文に登場する。東日本は共産主義国家であるため、私企業はすべて国営企業になったのであろう。
 ちなみに追浜自動車公司は、“壁”の崩壊後、二千万円の回転資金が足りなくなり、身売りするのではと言われているらしい(下巻327頁)≪下巻364-365頁≫。


 一方、西日本発祥の企業と言えば、これは沢山存在する。本著にも山ほど名前が登場する。東経139度線から西へ辿ってみよう。
▼東海地方
 まず静岡県静岡市が本拠地の田宮模型である。下巻109頁≪下巻120頁≫には、プロ野球チーム“静岡タミヤ・レオパルド”までもが登場する。レオパルドとはドイツの戦車から名付けたのであろう。
 次は、創業者・本田宗一郎が静岡県出身のホンダ(本田技研工業)。しかしこの『あ・じゃ・ぱん』世界にはホンダという会社はあるらしいが(上巻40頁)≪上巻43頁≫、物語の中には車種は登場していない。
▼中京圏
 続いて、言うまでもなく愛知県豊田市が本拠地のトヨタ自動車(上巻9・40頁/下巻195頁)≪上巻9・43頁/下巻216頁≫。
 上巻9頁≪上巻9頁≫には、

名古屋の近くにあるトヨタ市が、その成功の一大ページェントだ。
 市名が示すとおりトヨタ市では、世界最大の自動車会社が上下水道からガス、電気、郵便、電話、義務教育、消防、警察、選挙管理に至るまで、政府に代わって一手に引き受けている


という、西日本の拝金主義の権化のような“トヨタ市”が登場する。
 また、下巻108‐109頁≪下巻119頁≫には“名古屋のトヨタ・スタジアム”が登場する。これは史実のナゴヤ球場のことなのだろうか?この世界では1990年代に早くもネーミング・ライツ制度が導入されているからこんな名称になっているのだろうか?本文にはこれ以上の言及がなされていないので不明のままである。
▼関西地方
 お次は京都の任天堂である(上巻40頁)≪上巻43頁≫。下巻109頁≪下巻120頁≫にはプロ野球チーム“京都マリオブラザーズ”が登場する。言うまでもなく、史実の任天堂ファミリーコンピューターの大ヒットソフト“スーパーマリオブラザーズ”が元ネタだろう。
 次は、創業者・松下幸之助が大阪府出身の松下電器産業(現パナソニック)(上巻40・304頁、下巻67・159・195頁)≪上巻43頁・337頁、下巻73・176・216頁≫。
 パナアームス(上巻280・301頁)≪上巻311・334頁≫という企業も出てくる。名前からして松下―パナソニックの関連会社にしか見えない。名前は、史実のパナホームのバロディだろうか?本文の記述によれば、ヘリコプターのライセンス生産も手掛ける兵器メーカーのようである。しかし史実の松下―パナソニックは、兵器は手掛けていない。



西日本の国力と一緒に、彼ら(※管理人註、吉本家)一家も資力をぐっと伸ばした。吉本グループ傘下の優良企業は枚挙にいとまもない。
 ハリウッドに君臨する映像音楽ソフトの大配給網“CBSジェニー”も。 
 昨年セブンイレヴンを買収した国際的外食チェーン“づぼらや”も。
 トヨタ、ホンダとともにビッグ・スリーの一翼を担う自動車会社“ダイハツ”も
』(上巻138頁)≪上巻154頁≫

 「ジェニー」とは、「最近CBSを買い取った」会社らしい(上巻40頁)≪上巻43頁≫。ジェニーとはソニーのもじりだろうから、現実のCBSソニーのパロディだろう。…最も史実のソニーは、前述したように東京で創業されたので、この世界のジェニーが西日本のどこで存在しているのかは不明だが。
 づぼらやは、史実においてはふぐやてっちりで有名な大阪の飲食店だが、いつの間にやらセブンイレヴンを買収するほどの国際的外食チェーンにまで成長しているらしい。
 「ダイハツ」とは、史実のダイハツ工業のことだろう。…この『あ・じゃ・ぱん』世界には「ダイハツ・サイデッカー」というクルマがあり、主人公の父親が購入した当時は「貧乏人のフォルクスワーゲン」と呼ばれていたのが、現在では「ヤングエグゼクティヴの三種の神器」と呼ばれているらしい(上巻138頁)≪上巻155頁≫。
 …それにしても、普通自動車業界でビッグ・スリーといえば、GM(ゼネラルモーターズ)フォードクライスラーのアメリカの大手自動車会社三社を指すだろうから、ここでのトヨタ、ホンダ、ダイハツは「和製(もしくは西日本)ビッグ・スリー」とでもすればよいのではなかろうか?

 アート引越センター(発祥の地は大阪)…DHLの親会社らしい(上巻324頁)≪上巻359頁≫。
 サカイ引越センター(発祥の地はその名の通り大阪府堺市) …フライング・タイガーをつい先日買収したらしい(上巻324頁)≪上巻359頁≫。フライング・タイガーとは、史実におけるアメリカの貨物輸送専門の航空会社だが、現存していない。1989年にフェデックスに合併され、名前が消滅しているのである。


私のスクリプトワーカーのCPUは上新インテルのクロック220メガヘルツ、クモン式9・5を走らせることが出来る。このコンビネーションは今のところ天下無敵だ。クモン式9・5は昨年末、バージョン3・1に代わって登場した、簡便で何でもござれ、まるでパナソニックの電気炊飯器のように賢い最新のOSだった。
 9・5の出現で西日本生まれのクモン式は、パイナップル・コンピュータとIBMのOS連合軍を完全に打ち負かしたと言われている
」(上巻304頁)≪上巻337頁≫

 …一読して眩暈を起こしてしまうような、ツッコミどころ満載の文章である。
 文章の最初から順を追って解読してゆこう。まず「上新インテル」から…。「上新」は言うまでもなく関西の家電販売店「ジョーシン」こと「上新電機」からの命名だろう。一々おことわりを入れておくが、あくまで家電販売店であって、コンピューターメーカーなどでは無論ない。
 一方の「インテル」は、史実ではパソコンに搭載されるCPUを供給する半導体メーカー・インテル社であろう。史実において、マイクロソフトのOS(オペレーティング・システム)「ウインドウズ」とインテルのCPU、いわゆる“ウインテル”連合のパーソナル・コンピューターが世界を制覇したのは、あらためて言うまでもない。当ホームページをご照覧いただいている諸氏諸嬢のパーソナル・コンピューターも、このウインテル・パソコンが多いことであろう。
 奇妙にねじくれている『あ・じゃ・ぱん』世界においては、上新電機とインテルが合併して(あるいは共同ブランドで?)CPUを生産・供給しているのだろうか?パナソニックや三洋電機のような家電メーカーなどではなく、家電販売店たる上新電機の名前を、パソコンの半導体メーカーとして出す矢作俊彦のセンスがおもしろい(…そういえば、西日本の徳島県が発祥の地であるジャストシステムや、同社のワープロソフト「一太郎」は、本著には登場していない)。この文のすぐ後ろに「簡便で何でもござれ、まるでパナソニックの電気炊飯器のように賢い最新のOSだった」と一々パナソニックが例として挙げられているのがよりいっそう皮肉を感じさせる…と見るのは、穿ち過ぎだろうか?
 続いて「クモン式9・5」だ。公文式は言うまでもなく大阪発祥の教育メソッドであり、コンピューターのOSなどでは無論ない。

公立学校は公文(例のOS、クモン式を開発したソフト・メーカーの親会社だ)」(上巻324頁)≪上巻359頁≫

 とあるので、公文の子会社がOSを開発したらしい。何ともややこしい話である。漢字の「公文式」ではなくカタカナで「クモン式」と表記しているのが味噌なのだろうか?
 「9・5」とは、アメリカで1995年8月に、日本では同年11月に発売され、大ヒットとなったマイクロソフトのOS「Windows95」のもじりであり、なおかつ「Windows95」以前のマイクロソフトのOS「Windows3.1」のもじりなのだろう。
 最後が「パイナップル・コンピュータとIBMのOS連合軍」だ。…この世界ではアメリカでOSを開発しているのは、アップル・コンピュータならぬパイナップル・コンピュータだけのようだ。なぜなら本著には、マイクロソフトのマの字も、ウインドウズのウの字も、ビル・ゲイツのビの字も書かれていないからである。どうやら、この『あ・じゃ・ぱん』世界にマイクロソフトという会社は存在していないらしい。その一方でIBMは存在しているようだが。
 “ア”ップル・コンピュータではなく、“パイナ”ップル・コンピュータなどという会社名になったのは理由があるのだろう。何しろアップルの会社名は別のところで使われているのだから。

▼中国地方
『「ブルックス・ブラザーズで服を買うようなブラザーが、何をマター・ウイズ・ユーさ」
 ブルックス・ブラザーズ?どっこい、一昨年《青山》に買収されてからこっち、私はバーニーズ・ニューヨーク一辺倒なのだが
』(上巻99頁)≪上巻111頁≫

※《青山》とは、当然「洋服の青山」のことだろう。史実の「洋服の青山」は広島県発祥なので、西日本に存在しても不思議ではない。

 そして、広島県が発祥・本拠地のマツダ(上巻129・159頁)≪上巻145・178頁≫。前述の西日本の自動車会社のビッグ・スリーには名前が挙げられていないので、この『あ・じゃ・ぱん』世界ではマツダはダイハツより規模が小さな会社ということになるのだろう。
 史実においては、マツダは従業員21423名(単体)、売上高1兆8207億円(単体)(いずれも2008年12月31日現在)、ダイハツ工業は従業員11921名(単体)(2007年9月30日現在)、売上高1兆2708億円(単体)(2008年3月期)となっている。


●タミヤへの偏愛
 前述したように下巻109頁≪下巻120頁≫には、プロ野球チーム“静岡タミヤ・レオパルド”までもが登場する。レオパルドとはドイツの戦車から名付けたのであろう。


『「で、今、われわれを焼き殺そうとしたヘリコプタだが、何者か心当たりはあるかい?
 私はピンマイクをジャンパーの胸から外し、指で抓(つま)んでくりくり坊主の口許へ向けた。
さあ、今まで一度だって、この山で敵にであったことなんてなかったからなあ」と、彼は言って首をひねった。
「東京警視庁の機動隊か、あるいはもっと違う別の治安部隊とか、ーー」
「あんなヘリ、連中は持ってませんよ。西日本のパナアームスがライセンスしてるシコルスキーでしょう、今の。CH74の民間用だと思いますよ」
「機銃がついていた」
「ええ、ブラウニングのM33ね。あれは、窓を外して手作りのガンポッドを溶接で付けただけですよ。ブラウニングも西側の兵器だ。パナアームスで作ってる」
「なるほど」
「タミヤのプラモデルだって、後部舷窓のパーツを取り替えるだけで、軍用、民間用、どっちにでもなるようにできてる」
「ボディに書かれていた文字は?」
「さあ、ぼくにはよく読めなかった。タミヤのキットで買えば判るかもしれません。デカールは全種類ついてきますから」
』(上巻280-281頁)≪上巻310-311頁≫

アテンション・プリーズ。くりくり坊主が言ったとおり、このCH74の模型のためにタミヤは三十三種類のデカールを用意していたが、残念!こんなのは無い」(上巻300頁)≪上巻333頁≫

 いやはやマニアックな話ではある。



●鉄道ネタ
「あっ、蒸気機関車ちゃうか」と、吉家が叫んだ。
 ロータリーから伸びる一本の道は、すぐに途切れ、その先には田んぼが広がっていた。まだ雪の残る田んぼの向こうを、一条の白い煙が横切って行く。
あら流線型のC55や。ホンマもんの特急亜細亜号やで。こら、ごっついもんが走っとんなあ
 どうしたら機種を判別できるのか、私には地平線を煙が横切っていくのしか見えなかった。』(上巻190頁)≪上巻213頁≫

 …この文にある「流線型のC55」とは何ぞや?
 史実においては、戦前の1935(昭和10)年から1938(昭和13)年までの4年間に総計62両が製造された国鉄のC55形蒸気機関車のうち、当時の流線型ブームの影響により、1936年製造の21両は、流線型で製造されているのである。…ということは、この物語進行時点で、少なくとも既に製造から最低50年以上、下手すれば60年近く経過しているわけだが、今でも現役の機関車なのである。いやはや。
 …しかし、なぜここで「特急亜細亜号」が登場してくるのかはわからない。満鉄(南満州鉄道)特急あじあ号とは関係ないのだろうか。流線型の蒸気機関車が牽引している特急…から、矢作氏が連想したのだろうか。

※参考文献
島秀雄「島秀雄遺稿集―20世紀鉄道史の証言―から 流線型蒸気機関車」、鉄道ファン(交友社)2000年7月号126-131頁



新橋駅の構内を抜け、高架鉄道の向こう側に出ると、駅前広場には巨大な機関車が飾られていた。色、形とも、その昔DCコミックの表紙でスーパーマンが止めていた流線型の機関車によく似ていた。
「D91(デクイチ)ですよ。世界で、いちばん最後に生産された機関車だ」と、吉家が言った。
 言うが早いかマイクロキャムを回しはじめた。
「一九八四年だから、ちょうど十年前でしょう。それまで本気で造ってたんですよ」
』(下巻385頁)≪下巻428-429頁≫

 東日本の国鉄の蒸気機関車らしいD91(デクイチ)は、1984年まで製造されていたらしい。
 しかし史実では、中国の蒸気機関車前進形の方が遅くまで製造されている。1988年まで生産されていたのである。
 それにしてもD91とは…。史実では、日本国鉄においてD(動軸数が4つあることを示す。詳しくはウィキペディアの「国鉄機関車の車両形式」を参照されたい)の機関車は、D50(製造1923〜1931年、380両)、D51(愛称デゴイチとして有名。製造1936〜1945年、1115両)、D52(製造1943〜1946年、285両)、D60(D50からの改造。改造1951〜1956年、78両)、D61(D51からの改造。改造1959〜1961年、6両)、D62(D52からの改造。改造1950〜1951年、20両)と製造されており、D62でラストである。『あ・じゃ・ぱん』世界において、番号がD91まで辿り着くのに何年かかることやら。
 ちなみに、史実の東京・新橋駅前にはSL広場があり、C11形蒸気機関車が展示されている…というのは、ご存知の方も多かろう。


●クルマの車種とメーカー
トヨタ・クルセダーV12(上巻24頁)≪上巻25頁≫
マツダ・チンガー(上巻129頁)≪上巻145頁≫
ダイハツ・サイデッカー(上巻138頁)≪上巻155頁≫
追浜自動車公司・報国四型(上巻159頁)≪上巻179頁≫
トヨタ・ランドウォーカー(上巻243頁)≪上巻269頁≫
マツダ・アントン(上巻243頁)≪上巻269頁≫
ロールスロイス・ピックアップ(上巻243頁)≪上巻269頁≫
ダイハツ・ミゼットGTR401R(上巻340頁)≪上巻411頁≫
トヨタ・クルセダー・スーパーゴールデンドルフィン(下巻19頁)≪下巻21頁≫
追浜自動車公司・月桂冠XT4・R(下巻90頁)≪下巻217-218頁≫
ヤマト(下巻137頁)≪下巻152頁≫
シキシマ(下巻137頁)≪下巻152頁≫

 前述したように、この『あ・じゃ・ぱん』世界にはホンダという会社はあるらしいが(上巻40頁)≪上巻43頁≫、和製(もしくは西日本)ビッグ・スリーの一角に名前が挙げられているのに、物語の中には車種は登場しない。
 あと登場しない自動車会社は、三菱自動車いすゞ自動車(どちらも本社は東京)とスズキ(本社は浜松)くらいか。

●ギャグのパターン
・同種の句または同じようなテンポの短文の繰り返し(その段落の末尾にはしばしば落語的な落ちの類が来る)
 作中において頻出する。一々例を挙げると、


一九六四年のオリンピックに合わせてつくられたものは、なんでも五輪を冠して呼ばれるのだ。
 曰く、五輪堀。五輪櫓。五輪ビル。五輪炊き。五輪刈りに五輪の書
」(上巻48頁)≪上巻52頁≫



日本人は、山を見れば何でもフジヤマに見立ててしまう。
(中略)
 どんな小さな山でも、ちょっとシンメトリーならあたりかまわず、蝦夷富士、南部富士、榛名富士、下呂富士、生駒富士、そして千代の富士などなどなど
」(上巻167-168頁)≪上巻187-188頁≫



『「贋アカシアという木は確かに存在する。建築には贋ジョージア様式というものもある。贋紫田舎源氏という物語もちゃんと現存する。嘘のようだが、ニセコという町もあるのだ」』(下巻333頁)≪下巻371頁≫

 …しかし、いままで述べてきた『あ・じゃ・ぱん』世界の解説は、この世界の、ほんとうにごく一部にしか過ぎない。この小説は、国際・国内政治から、テレビ・映画、芸能、スポーツ(ほとんど野球がメインだが)、自動車、建築、軍事、風俗、鉄道、プラモデル…等々、果てはヒガサアリに至るまでの専門家が集まって元ネタを追求してもいいくらいの密度があるだろう。

■参考文献
 矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん 上・下』(新潮社、1997年11月
 矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん 上・下』(角川書店・文庫2009年11月
 高橋源一郎・矢作俊彦・内田樹「少年達の一九六九」(集英社「すばる2007年1月号」収録)

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               この部分はまだ作成中です。ご迷惑をおかけしております。
               完成まで今しばらくお待ち願います。  m(__)m 


●大学名
 ナンタケット大学(上巻33・ ・ ・ 頁/下巻279・342・ ・ ・ 頁)≪上巻35・ ・ ・   頁/下巻  ・  ・ ・ 頁≫
 京都産業大学(上巻33頁)≪上巻35頁≫
 会津労農大学(上巻205頁)≪上巻228頁≫
 東京ナロードニキ大学(上巻  ・ ・ ・ ・ 頁/下巻  ・  ・ ・ 頁)≪上巻  ・ ・ ・   頁/下巻  ・  ・ ・ 頁≫
 成城労農学園(下巻50頁)≪下巻56頁≫
 成蹊技能大学(下巻50頁)≪下巻56頁≫
 モスクワ大学(下巻50頁)≪下巻56頁≫
 救国学習院(下巻117頁)≪下巻128頁≫
 京都大学(下巻120・221頁)≪下巻132・245頁≫
 鹿児島大学(下巻183頁)≪下巻203頁≫
 白金の人民芸能大学(下巻183頁)≪下巻204頁≫
●テレビ局名
 よみうり放送(西日本で一番格調が高いらしい)(上巻75頁)≪上巻83頁≫
 ABC(上巻191・?頁)≪上巻213・328頁≫
 毎日放送(上巻  ・ ・ ・ 頁/下巻51・ ・ ・ ・ 頁)≪上巻・ ・ ・   頁/下巻57・  ・ ・ 頁≫
 アサヒ放送(上巻?頁/下巻277頁)≪上巻326・337頁/下巻308頁≫
 CBS(上巻313頁)≪上巻346頁≫
 河内放送(下巻16頁)≪下巻18頁≫
 扶桑TV(煽りとつかみと自家撞着には定評があるらしい)(下巻51・408頁)≪下巻56・454頁≫
 NBC(下巻188頁)≪下巻209頁≫
 大阪12チャンネル系列(下巻220頁)≪下巻244頁≫
 TV淀川(下巻220頁)≪下巻244頁≫
 香港スターチャンネル(下巻277頁)≪下巻308頁≫
 読売テレビ(下巻212頁)≪下巻236頁≫
●新聞名
 夕刊オオサカ(上巻?頁)≪上巻349頁≫
 朝日新聞(上巻?・?頁)≪上巻352・354頁≫
 ワシントン・ポスト(上巻?頁)≪上巻354頁≫
 浪速スポーツ(下巻326頁)≪下巻363頁≫
 日刊大阪城(下巻327頁)≪下巻364頁≫



 オオツカフーズ(食品)(大阪発祥、トップの大塚製薬は徳島県鳴門市発祥)(ジェネラル・フーズの親会社。上巻40・118頁/下巻195頁)≪上巻43・132頁/下巻216頁≫


 日本アパッチ製作所(上巻63頁)≪上巻70頁≫(大阪砲兵工厰を舞台にした小松左京の小説『日本アパッチ族』、開高健の小説『日本三文オペラ』が元ネタか)


 西日本でもぴか一の土建会社・大林組(上巻244頁)≪上巻270頁≫

 東淀川製作所(上巻301頁)≪上巻333頁≫ことヨドコー

 ダスキン(大阪発祥?)(上巻324頁)≪上巻359頁≫


史実と『あ・じゃ・ぱん』世界の両方で、既に失われているもの 史実において失われたが、『あ・じゃ・ぱん』世界においては健在なもの 史実において健在だが、『あ・じゃ・ぱん』世界において失われたもの
昭和天皇(史実では1989死去) アーネスト・ヘミングウエイ(史実では1961死去) 東京官話
吉本潁右(エイスケ)(史実では1947死去) 田中角栄(史実では1993死去)
三島由紀夫(史実では1970死去)
笠置(吉本)シヅ子(史実では1985死去)
渡辺美智雄(史実では1995死去)



そして、消え去ったものは、何もヒトだけではない。モノや組織もである。
そごう(十合)百貨店も。
『あ・じゃ・ぱん』が最初に出版された1997年から僅か年後の1999200012年に経営破たんするとは思われなかったであろう。
登場するシーン…
社長室備品の絵(下巻557頁)≪下巻624頁≫
ニイガタ・ライスを売るそごうの食品売場(下巻349頁)≪下巻388頁≫
商品券…田中角栄がくれたもの(下巻   頁)≪下巻  頁≫、石原慎太郎に渡したもの(下巻469頁)≪下巻526頁≫


 主人公やペパー軍曹が嘆いていた、ハリウッド映画、ナイロンストッキング、そしてペニシリンの三つも。(下巻25-26頁)≪下巻28-29頁≫(下巻390頁)≪下巻434頁≫


失われてゆく東京官話…主人公が東京官話を話すのは無視し、吉家の話す関西標準語にうっとりするホテルのメイド(下巻   頁)≪下巻  頁≫
大阪弁(関西標準語)に興味を示す湘南ボーイ(下巻461-466頁)≪下巻515-522頁≫
「おみおつけ」も。(上巻?頁)≪上巻221-222頁≫

そして元号すらも。

坊主の」(下巻?頁)≪下巻  頁≫

厳島神社も。


中国や北朝鮮と違って、東日本は、神社仏閣、皇室ゆかりのあれやこれやが、ほとんど無傷で残されていて、こだわりなく活用されている。
 むしろ、片っ端から壊したのは西日本の方だ。ことにこの十年、国土再開発、民需大活用の波に飲み込まれ、あの神社、この寺、例の墓などが次々と地図から消されていった。
 瀬戸内海一の規模を誇るマリーナの駐車場のど真ん中に立っている有名なシンボル、赤鳥居が、あの厳島神社の名残だなどと誰が知ろう
」(下巻?-53頁)≪下巻58頁≫


 そのくせ京都が保護され、寺が残っているのはおかしな感じだ。

坊主のストライキで観光客を締め出した清水寺、金閣寺、竜安寺」(上巻35頁)≪上巻38頁≫
京都には、宮内省だけでなく科学省と総合文化省も置かれている。パチンコ屋と麻雀パーラーは一軒もない。売春婦を買ってベッドまで連れて行くにも、セブンイレブンでおにぎりを買って鴨の川原で食べるにも、数種類の厳格な手続きと作法を踏まなければならない」(上巻332頁)≪上巻368頁≫

 皇居があり、天皇がいるから別格なのか。
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